それから一万年が経った。トラファルガー星人のバルタン星人との全面戦争が光の国宇宙の介入によってなんとか阻止されたり、バロッサ星人がバトルロイヤルを行ったり、カネゴンが電子マネー化に対応したり、地球人類が太陽系を超えて新たな文明に出会ったりしており、少女ミハルは砂漠の縁で『光』の迎えを待ち続けていた。
惑星アイヴァス、王都カルヴィーノ。
陸地の六割が砂漠に覆われており、地下水資源に沿って大小の街が点在する惑星アイヴァス、その首都がカルヴィーノである。おおまかに円形をしたその都市の中心には白亜の宮城アフナーンが威容を示している。アイヴァスは三つの太陽を持ち、それぞれの太陽にちなんだ城門が、それぞれの太陽が登る間には開かれている。
三つの太陽――明るい黄色をした第一の太陽、穏やかな赤色をした第二の太陽、やわらかな桃色をまとう第三の太陽と呼ばれるそれらを持つアイヴァスは、永遠に続く明るさの代償として夜を持たない。夜を持たないがゆえに星の光を知らない。星の光を知らないがゆえに、宇宙へ往こうとする意思を持つものは少なかった。
さて、はるか遠くの宇宙ではないが、どこかへ往きたいと願うものがいた。
はちみつ色の瞳と、それを少しばかり影をつけた髪をもった少女が、カルヴィーノの街外れ、もうほとんど砂漠であろうという場所に佇んでいた。砂を防ぐための長いコートに身を包み、『光』の来訪を待っている。彼女の名をミハルと呼んだ。アイヴァスのことばで晴天を意味する名を持つミハルは、しかし浮かない顔をして砂漠にいたのであった。
この辺境に彼女以外の人間はいない。砂漠化が進んでいく場所にあえて家を建てようというものも少ないため、残っているのは放棄された石造りの建物ばかりだ。ミハルの視線の先には砂地以外なにもなかった。日によっては、隊商が王都に戻ってくるのを見ることもあるが、今日は行くものも帰るものもいないようだ。
空高くに鳥の鳴き声が聞こえる。第二の太陽が中天から下りつつあり、第三の太陽がわずかに地平線から覗きつつある。それは昼と昼の境界、大気はかすかに震え、色と色とが混じり合いながら、気温を落としていく。
この時間だ。
〈砂漠の光〉がやってくるとしたら。
〈砂漠の光〉の来訪パターンを過去のデータから研究した学者によると、ひとつの太陽が上昇し、ひとつの太陽が下落する、その交差した瞬間に光が最も現れやすいのだそうだ。
ミハルは光を待っていた。彼女の姉を連れ去ってしまった光のことを。姉と同じところに行きたかった。
というよりも、外に出たかったのだ。
王都カルヴィーノにはなんだってある。水も土地も食事も教育も、惑星アイヴァスで一番のものがあるのだというのはわかっている。
それでもなお、いつか『光』に会いに行きたいと願ってしまっているのだ。叶わない願いと知りながら。親戚はみな止めるけれども、せめてもの抵抗として、こうやって〈砂漠の光〉を待っている。
第三の太陽はぐんぐんと昇ってゆく。空気の色が赤に傾いていく。中間の時間は終わっていく。
ミハルは地平線の先を眺めている。
しかし今日も光は訪れなかった。
何日待っても同じなのだろうか。あきらめるわけにはいかない、というよりも、このくらいしか、できることなんかない。明日もまた辺境にやってくることになるだろう、とミハルが家に戻ろうとしたとき、地響きとともに現れたものがある。
あれは。
最初は点のようにしか見えなかったが、すぐにその形が判別できるところまでそれは進んできた。
砂嵐の向こうから出現したのは、人間の身長の何十倍もあろうかという長い尾をふたつ揺らしながら、大きな口を開けて、全速力で砂地を突進してくる怪獣――確かツインテールという名前だと本に書いてあった――であった。
ミハルは思わず目を伏せた。そうこうしている間にも、砂煙を上げながらすさまじい速さでツインテールは王都へと向かってくる。あれに捕食の意思がなかったとしても、ぶつかったら大怪我は免れないだろう。
ツインテールから逃げようと、進行方向から逸れるように走ったが、そいつはミハルを狙うように追いかけてきた。ミハルは青い石――曙光の石の付いたペンダントを強く握りしめる。これがあればたいていの怪獣は寄ってこないし、王都に近付く怪獣は警備兵が見つけ次第処分しているはずなのに。
運が悪い。
あるいは幸運だったのか。
ミハルは思う。
光が迎えに来ないのならば、この人生に価値はもはやない。
しかし、ミハルがツインテールに踏み潰されることはなかった。
彼女に突進してくるツインテールを、ひとりで止める人影がある。
都外を巡回している怪獣対策兵のひとりかと思ったが、明らかに異なっていた。
それは沈みかけの第一の太陽に似た、くすんだオレンジ色のごつごつとした鎧のようなものを全身に纏い、右手に刀を持っていた。胸に、円が欠けたような光を持っているのが特徴的だった。フォルムだけなら怪獣のような敵の一種ととらえられなくはないが、自分をかばってくれたのだから、敵ではないのだろう。
限りなく青に近い緑色の瞳をこちらに向け、それは言う。
「下がってろ、お嬢さん」
冷静な男性の声だった。まるで怪獣と出会うことなんて日常であるかのような。
「蛇心流、蛇心剣」
腰で刀を低く構える。彼は叫びながらツインテールに斬りかかった。
「新月斬波!」
刀から衝撃波が放たれ、ツインテールの触覚の部分を両断する。彼は動きが鈍くなったところにまたも斬りつけ、胴体を両断する。ツインテールはゆっくりと砂漠に沈んでいった。
ミハルは驚いた。なんならツインテールに遭遇したことよりも。怪獣をひとりで倒せるものなんて、近衛兵のうちでもごく一部――怪獣対策兵のみだと言われている。彼らはひと目でそれと分かるように、赤と青と銀の派手な服を着ている。そして、このひとが身に纏っている鎧はどう見てもそれとは異質なものだ。
このひとは――そもそもひとなのかわからないが――何だろうか。ミハルがそう思っていたところ、それは武装を解いた。中からはミハルよりは背の高い男が出てくる。
彼はアイヴァスの伝説に語られる、『夜』を飛ぶ烏の深い黒の瞳と、同じ色のふわりとした髪を持つ――この土地では稀に見る濃色だ――男で、黒を基調とした、交渉服のようなかっちりとした服を着ていた。モノトーンに、銀の耳飾りと濃赤のネクタイとベストがアクセントになっている。ミハルは、こんなに厚着をして、暑くはないのだろうか、そもそも動きにくかったんじゃないだろうかと思ったが、男は汗ひとつかいていない。
「ありがとうございました」
男はそれが当然であるかのように軽く頷いて、それからミハルの首元に目をやった。
ミハルが着けているのは曙光の石のネックレスだ。これがどうしたのだろうか。アイヴァスではそう珍しいものではないというか、知らないものはいないはずなのだが。
「それについて教えちゃくれねえか、お嬢さん」
彼はミハルのネックレスを指差して言った。
「お嬢さん、お嬢さんってなんなんですか。わたしはミハルです」
覚えておこう、と彼はミハルの肩に手に置いて言う。悪いものではないようだけれども、この男の距離感はわからない。
「ところで、あなたは……?」
ジャグラー、ジャグラスジャグラーだ。好きに呼べ。
その男――ジャグラーは手に持っていた刀を虚空に溶かしながら答えた。
立ち話もなんですから、と、ミハルは家にジャグラーを招いた。自分を助けてくれたわけだし、少なくとも、悪いひとではないだろう。都境から歩いて三十分くらいの場所にミハルの家はある。ジャグラーは途中の行商街の屋台でコーヒーを買ってミハルに渡してくれた。
「砂糖は入れるか?」
「いえ」
惑星アイヴァスでは、その気候もありよくアイスコーヒーが飲まれる。屋台のコーヒーは氷で冷やされていて、軽くローストされた豆の酸味がさわやかだった。はじめて会ったひとなのに、コーヒーを一緒に飲みながら歩いていると、まるで彼とずっと前からの友人だったみたいな気持ちになった。
砂避けを被っているものが多い人々の中、マントを着ることもなく、アイヴァスにはなかなかいない濃色の髪を晒して歩くジャグラーは人々の好奇の目を誘った。
「えっと、これを被ったほうがいいかもしれません」
ミハルは持っていた赤いストールをジャグラーに渡した。彼は手慣れた様子でストールを頭に巻き付けた。これでどことなく、アイヴァスの民のように見える。
行商街を抜けて少し歩けば家だ。
ミハルの家は緑色の石で作られており、彼女はそれを好んでいた。緑は姉の好きな色だった。偶然とはいえうれしいもので、しかし見るたびにすこしばかり喪失を想起させる。
ドアベルを鳴らす。からからと乾いた音がして、内側から扉が開かれる。
「今日は早かったわね。こちらの方は……?」
アキハ――ミハルの叔母はミハルを見た後に、その後ろにいるジャグラーに目を向ける。
「こちらはジャグラーさん」
「どうも」
ジャグラーは軽く頭を下げた。
「あら、あなたがお客さんを連れてくるなんて珍しいわね」
「北境で会ったの」
そう、北境。アキハはその次に何か言いたげだったが、飲み込んで、じゃあお茶とお菓子を用意するわ、と台所に向かった。
ミハルとジャグラーはテーブルについた。その上には近所に咲いていた黄色い花が飾られている。しばらくすると、アキハが盆を持って台所からやってくる。
「それじゃあごゆっくり」
アキハはコーヒーとクッキーをテーブルの上に置いた。
ジャグラーはカップにひとくち口をつけて言う。
「ここはいい星だな、文化がある」
ジャグラーはここのコーヒーをたいそう気に入ったようだった。それも当然だろう、とミハルは思う。なんてったってアキハの家はコーヒーの商人を生業としているのだ。砂漠の各地から集めたコーヒー豆を、秘密のブレンドで売っている。
アイヴァスの民にとって冷たいコーヒーは水のようなものだ。だからコーヒー屋はただ単に水屋と呼ばれることもある。
金属製のカップを置いて、それでだ、とジャグラーは切り出した。
「俺は探しものをしててな。他の星から来た、って言っても問題ないだろ、ここなら」
そういう文化の星だってどこかで聞いた、と彼は付け加える。
ミハルは、ジャグラーが宇宙人だということには驚かなかった。アイヴァスにあんな鎧はないはずだし、ツインテールを倒した際の人間離れした身体能力を見ていたからだ。
だけれども、ほんものを見るのは、はじめてだ。
「客人の方なんですね」
アイヴァスにはごくまれに、宇宙から来た客人が訪れることがある。それらはこの地に、新しい技術や考え方をもたらしてくれるものとして、また光に選ばれたものとして尊敬されていた。
このジャグラーというひとはミハルのことを助けてくれたし、その上宇宙から来たのだという。それならきっと、よいものなのだろう。
ミハルもコーヒーを飲んでクッキーをかじった。アキハおばさんのコーヒーにはいつもたくさんのスパイスが入っていて、おいしいし身体も冷えない。
「ところで、その石は」
ジャグラーはミハルに尋ねた。
彼が客人であるならば協力したほうがいいだろう。ミハルはペンダントを外した。銀色の縁取りに、空を映したかのような青色の石が嵌められている。
「これは曙光の石です。砂漠にたまに落ちている石で、わたしたちの神様である〈砂漠の光〉がもたらすものだと伝えられています。これを着けている限り、怪獣たちに襲われることはありません」
「ならあのツインテールはなんだったんだよ」
「……ここ数年、曙光の石を持っていても怪獣に見つかることが増えているらしいんです。これまではそんなことなかったんですけどね」
石さえあれば、光が守ってくれて、怪獣からは安全なのだ。そういうことになっていたのだが、辺境にはたまに怪獣が出るようになってきている。それで怪獣対策兵の巡回も増えていると聞くのだが。
「――ならどうして城門にいたんだ? 俺が来なかったらどうなってたことか」
「それは」
ミハルは口ごもる。ジャグラーは意に関さない様子で続ける。
「まあいい、で、その〈砂漠の光〉とやらはどこにいるんだ」
「捧ぐ緑というオアシスの、さらに向こう――〈光の神域〉にいるらしいです」
確か、家にある辞典にはそう書いてあった。捧ぐ緑には、砂漠の光を敬う人々が作ったコミュニティがあって、神域に最も近いオアシスとして信仰を支えているのだと。
「じゃあ簡単に行けるじゃねえか」
「〈砂漠の光〉に会うことはできません」
そりゃあ、どうして、片目をすこし眇めてジャグラーは問う。
「〈砂漠の光〉に自分から会いに行って、生きて戻ってきたひとはいないと言われています。何万年も前から。それこそ、人間がこの地に定住する前から、光は存在すると伝えられているのですが。西の方、祝福の地、〈光の神域〉。光はそこにいると言われていますが、探しに行くと、必ず失敗するんです。道に迷ってしまったり、目が見えなくなったり、足が萎えてしまったりします。会えるとするなら――そう、光が気まぐれに人間のところにやってきて、連れて行かれるか、置いていかれるか。そのどちらかです」
そう、光は気まぐれなものなのだ。みなを守ってくれるのは確実だったのに、曙光の石すらもここ最近ではその力を失いつつある。
それでもアイヴァスの民が〈砂漠の光〉を信じ続けるのは、これまでずっと、そうしてきたからだ。怪獣を倒せるものはいるとはいえごく一部で、王都カルヴィーノを守るのが精一杯で、星すべてに目を光らせることなんてとうていできない。
ならば〈砂漠の光〉を信じる以外、何ができるだろうか?
それに、光はとてもやさしい。
ひとつの見返り以外、何も求めない。
「お前さんはそいつに、会ったことがあるんだな?」
ジャグラーは今までよりも低い声で、ミハルに尋ねた。
「ええ」
ミハルは頷いた。忘れもしないあの光。すべてを与えて、何もかもを奪う光。
「おそらくだが、俺にはそいつを見つけられると思うぜ」
「本当ですか?!」
そのことばに、ミハルの胸は高鳴った。客人にはそんなこともできるのか。このひとがいれば、もしかしたら、と思う。
「俺はお前さんたちの言う、光? そういうやつを追って宇宙を旅してるんだよ」
ジャグラーはクッキーをもうひとつかじって言った。たいそう気に入ってくれたみたいで、ミハルもうれしかった。
「〈砂漠の光〉が追い払わなかったんですから、きっと、いいひとなんですね」
〈砂漠の光〉は怪獣の他にも、宇宙からやってくる悪い存在も討伐すると伝えられている。だからこれまでこの星にやってくる宇宙人や飛来した生物はすべてよいものだったのだ。
ジャグラーはミハルの質問には答えなかった。その代わりに、コーヒーを飲み干して身支度をはじめた。上着を羽織って、外に出ようとする。
「俺は行く。世話になったな」
あのコーヒー、おいしかったぜ、おばさんによろしくな、とジャグラーは言う。
「じゃあ、連れてってください」
「は?」
「探しに行くんでしょう、砂漠の光を。わたしも光のところに行きたいんです、砂漠の光にもう一度会いたいんです」
そのことばに嘘はなかった。光に会いたかった。会ったら連れて行ってくれるかもしれないからだ。会ったらもういちど姉に会えるかもしれないからだ。
そして、どこか遠くへ行けるかもしれないからだ。
「それに、わたしは捧ぐ緑までを示す方位磁針を持ってますよ。連れていかなければ、渡さないかもしれません」
正確に言えばミハルのものではなく、この家のものだが、同じようなものだろう。脅しのように聞こえるかもしれないと、ミハルは少しどきどきした。このように条件を握って他人と交渉するのは、商人の必須技能だと父は言っていたが、実践するのははじめてだった。
ジャグラーは数瞬の沈黙の後、
「わかった、付いて来い」
ちらりと振り向いて、そう言った。
「ありがとうございます!」
さて、ようやく、冒険の始まりだ。
「ちょっと、砂漠に行くなんて、どういうこと?」
水、食料、ロープ、砂よけの靴。いちばん大切な方位磁針。久々にこいつの出番だと、帆布のかばんに詰め込んだ。後は何が必要だっただろうか、と、自室で荷造りをしていたミハルをアキハが呼び止めた。
「砂漠っていうか、〈砂漠の光〉に会いに行くのよ」
「だから、だめだって言ってるじゃない!」
アキハはずっとミハルの砂漠行きに反対している。そうでなければとっくの昔に砂漠の光の元へと向かっていたはずだ。せめてもの反抗として、毎日光の来訪を待っていたのだけれども、来る気配がなかったのだから、行くしかない。
「方位磁針はここの家のものじゃない。他人に渡しちゃだめでしょ。だからわたしが一緒について行くの」
「だからって、砂漠は危険よ。それに会ったばかりのひとでしょう?」
「客人が行くって言っているのよ。わたしだって本でいろいろ読んで知っているし、あのひとはとても強かったから、安全よ。ひとりで怪獣を倒してるのを見たんだから」
「でも……」
なおも食い下がるアキハに、ミハルは自信満々に言った。
「アキハおばさん。お願い。絶対帰ってくるから」
アキハはひとつため息を付いてから言った。
「そう、それなら、いってらっしゃい」
アキハの言葉にミハルは頷く。玄関に経っているジャグラーがミハルに声をかける。
「行くぞ、お嬢さん」
「だからわたしはミハルです」
第一の太陽はほぼ沈んでおり、第二の太陽が明るく辺りを照らしていた。惑星アイヴァスでは第一の太陽が昇ってから第三の太陽が沈むまでの間を二十四等分して、最初の三分の一を朝、中間の三分の一を昼、最後の三分の一を夜としていた。
その記時法に従えば、今はアイヴァスの昼の始まりであるといえる。
王都カルヴィーノには水源も学校も商店も居住地も豊富にある。わざわざ砂漠を渡って他の街に行こうとするのは、隊商か兵士くらいしかいなかった。
そして今、砂漠を歩いているのはそのどちらでもなかった。
ジャグラスジャグラーは昼間の砂漠を歩いていた。なんでかついてきたミハルという少女とともに。
ジードの宇宙からオーブの宇宙に久々に戻ってきて、なんとなく『光』の匂いがすると、違和感を覚えた星に降り立ったらこれだ。ツインテールに襲われている少女を助けたら、変質した『光』のものらしき情報が手に入った。
これがあいつ本人であろうとなかろうと関係はない。
ジャグラスジャグラーは光を追っているのだった。夜明けの光を。あるいは夕焼けになお沈まない光を。ずっと。
しかしこの星に夜明けも夕焼けもないようだった。ここには、入れ代わり立ち代わり現れる太陽のもたらす昼間しかない。
彼にとってこのくらいの悪天候や砂地はさしたる問題がなかったし、付いて来られなかったら置いていこうと思っていたが、なかなか気合があるのか、それともこんな惑星のことだ、砂の上を歩くのに馴れているのだろうか、彼女はさくさくと彼と共に歩いていたのであった。
砂漠に道はないが、捧ぐ緑とかいうオアシスまでは特殊な方位磁針を頼りに行けばいいらしい。金属製の針は、常に同じ方向を示している。ミハルいわく、オアシスの方向を知るために、一家に一台置いてあるのだという。
この星の民はそれぞれの日の出とともに捧ぐ緑、ひいてはその向こうにある〈砂漠の光〉に向かって一礼する習慣があるらしい。そのために使うのだ。
そういう信仰があるのか、と聞いたら、そうではないとミハルは答えた。
「宗教ってほどのものじゃないですよ」
ミハルはそう言うが、たいていの宗教文化に属するものがそれを自覚していないことを、ジャグラーは多くの星と文化を訪れた経験から知っている。
「〈砂漠の光〉って、何なんだ?」
「光についてなら詳しいみたいな口ぶりじゃなかったですか」
「ここの光については知らねえんだよ」
光と呼ばれる存在については、よく知っているものからそうでもないものまで、宇宙でたくさん見てきた。
かつては殺したいほど憎んだ光や、眩しすぎて目を焼こうとした光、思い出の中にしか存在しないあたたかな光。
ここにいる光が自分の想像している通りのものだったら、ちょっと面倒だとジャグラーは思っている。
「〈砂漠の光〉は、わたしたちを守ってくれる、神様なんです」
「神様って、それ、会えねえんだろ?」
「〈砂漠の光〉がいるから、怪獣からこの星は守られています。それ以外にも、さまざまな奇跡を起こしたと伝えられているんですよ。曙光の石も与えてくれる。だからわたしたちは、〈砂漠の光〉を信じています」
「信じてる、ねえ」
曰く、病人を治したり、ひとを宙に浮かせたり、オアシスを作ったり、百日間の雨をもたらしたりしたらしい。神話によくありそうなことだ。
彼女の言う『信じる』は、ジャグラーには、信仰者のものとは感じられなかった。まるで、教科書に書いてあるから、そう言っているだけ、のような、突き放したところのある口ぶりだった。
「でも、〈砂漠の光〉は時々信じがたいことを行うんです。たまにわたしたちの前に現れては、ひとを連れ去ってしまうんですよ。連れ去られたひとは祝福の地にいると、師父たちは言うんですが、ほんとうにそこにいるのかは、わかりません」
「それでも信じてるのか?〈砂漠の光〉を」
「ええ、アイヴァスの民はみな」
信仰は厄介だ。かつて信仰を広める側にいたこともあるからよく知っている。ひとの習慣も行動も、簡単に変えることができる。そうとは知らないうちに。
この少女がそこまで信仰心が厚いのか、ジャグラーにはそうは思えなかった。
信じるものは、信仰を証すために神に会いに行こうなどとしない。
二時間ほど歩いたあとだろうか。重低音が地の彼方から聞こえてくる。しばらくすると、半円を地面に置いて、そいつに四本の足をつけて、半円の部分には吸盤をたくさんつけたようなシルエットが現れる。
タッコングだ。砂地にも出るのだろうか。砂漠は海のようだともいうし、現に出ているのだからそういうものなのだろう。
ミハルは鞄からロープを取り出して、輪を作って結んだ。もう片方の端を、ミハルとジャグラーの胴体に巻きつけて結ぶ。
「何をする気だ?」
「ショートカットですよ」
タッコングに投げつけて、その吸盤に引っ掛ける。ビニールシートを引いて、ふたりはその上に乗る。タッコングの動きに応じて、そりのように進んでいく。
「やった! ジャグラーさん、行きますよ!」
なんでも、怪獣には曙光の石を避ける性質があるため、タッコングの進行方向をある程度操作できるらしい。このタッコングくらいのスピードなら、人間が小走りするより早いくらいだから。振り落とされることはないだろう。
「へえ、なかなかやるじゃねえか」
「こういうときのために、本で読んでたんですよ。いつかやってみたかったんです」
おかげで旅程の半分ほどを短縮することができた。自分の人生に現れる少女というものはどうしてこうしたたかなものばかりなんだ、と、ジャグラーは感じなくはなかった。
ふたりは時に話し、時には沈黙の中で砂漠を進んだ。タッコングとは、それが捕食活動に移ろうとしているところで別れた。
第三の太陽が昇りはじめ、『夜』にさしかかったころ、遠くに木々の緑が見えてきた。あれが捧ぐ緑だろうか、とミハルは思う。
「たいてい、ここからが長いもんだ」
とジャグラーが言ったように、実際、その緑にたどり着くまでにはそこから第一の太陽が沈むのを待たなければならなかった。
歩いて、歩いて、歩いた先に砂地の中に突如現れる、それが捧ぐ緑であった。オアシスとはいっても、ただ木々や植物があるだけではなく、そこには数十人の人々が暮らしていた。
ミハルとジャグラーがやってきたのを見つけたオアシスの民は、金属のバケツでできた鐘を鳴らして住民たちに新たな冒険者の来訪を伝えた。
「ようこそ、ここが捧ぐ緑、ここが終わりになるのか、はじまりになるのかは、きみたち次第だ」
初老の男がふたりを迎えた。数年前に王都で流行した服を着ている彼は、ここに一晩泊まっていけばいいと言う。
「今すぐにでも行きたいんですけど」
ミハルはそう主張するが、男は今日はやめておけ、メシでも食っておけ、と制止する。
「〈砂漠の光〉を探しに行くんだろう。ここに来るのは、たいていそんな奴らばっかりだ。成功した奴は知らない。帰ってこないか、失意のうちに帰還するだけだ」
「それでも、わたしたちは光に会いに行きたいんです」
食い下がるミハルに、男は穏やかに伝える。ジャグラーはそれを静観している。
「だから、一晩泊まっていくといい。体調が万全じゃなかったから会えなかったんだなんて、そんなのは嫌だろう」
「それは……」
「ここは最後の憩いの場、光に挑んだ奴らが、手ぶらで故郷に帰れずに住んでる場所だよ」
「信仰者が集まる場所じゃなかったんですか?」
ミハルが尋ねると、男は目を伏せて答えた。
「王都では、そう呼ばれているんだね」
ふたりにはひとつの小屋が与えられた。古くはあるが、いくつかの部屋や寝台も用意されており、砂漠で一晩泊まるには十分すぎる環境だ。
〈捧ぐ緑〉には簡単な畑と牧場もあり、ひとつの小さな町のようになっていた。ミハルは畑仕事を手伝うこととした。商人の家に育った彼女にとって、それははじめての体験だった。水を運び、土を掘り、熟れた果実を選別し、収穫した野菜を箱に詰め込む。
ジャグラーは薪割りを手伝ったらしい。彼の巧みな斧の扱いに、あれはきっと只者じゃないとオアシスの民に噂されたとかいう。
そのお礼にと、ふんだんな肉と野菜、そして新鮮な果物が与えられた。王都で同じだけのものを仕入れるにはどれだけかかるだろうか。
王都に集められる食料は、地方から集められてくるもののため、どうしても保存食品が多くなってしまう。こんな豪勢な食事は、誕生日でもないとなかなかできない、とミハルは目を輝かせた。
明日、わたしたちは光に、砂漠の光に会いに行くのだ。
寝台に入る前、ミハルはジャグラーに話がある、と言って部屋に戻ろうとする彼を引き止めた。話してどうにかなるとは思わなかったが、どうしても、これから『光』に会いに行くのなら、話しておきたいことがあったのだ。
「たぶん、五年くらい前のことだったと思います。姉は、〈砂漠の光〉に連れて行かれました。歌が上手かったからかもしれません。『光』は、歌の上手な少女を好むとか言いますから。わたしもその時一緒にいたのに、止められなかった」
ミハルはそのときのことを鮮明に覚えている。ミハルとマナツ――ミハルの姉が北境近くの商店に買い出しに行こうとしていた時に、突然視界が真っ白になって、音が降った。
その音は、おれの名は、とか、闇を、とか、そういったことを言っていたような気がしているが、機器を間違えた音源のようにうまく再生することができない。
周りの商店の人々も、あれは光だった、砂漠の光だ、と口々に言った。
「きみのお姉さんは光に選ばれたんだ」
教父にはそう告げられた。マナツは光に選ばれて、祝福の地へと旅立ったのだと。そこで永遠に、しあわせに暮らすことになるのだと。光とともに、ずっとわたしたちを見守ってくれるのだと。
たったひとりの家族が、どうしてわたしを置いていってしまったんだろう?
どうしてわたしは選ばれなかったんだろうか?
「でも、神様なんだから、仕方ないですよね」
「――そうか」
ジャグラーは静かに答えた。
部屋には太陽の光が差し込んできていて、窓枠と同じ形の影を作っている。
「馬鹿だって言わないんですか?」
人生にそんなことはいくらでもある、諦めろ、光の選定は我々には計り知れないことなのだ。
一緒に暮らしている親族のみなだってそのように言うのだった。
「そういう馬鹿は、言っても治らねえもんだ」
「あなたはやさしいんですね」
「俺が? 気のせいだ」
「あなたは、どうして光を追ってるんですか?」
「さあな」
ジャグラーははぐらかして答えてはくれなかった。そのまま彼は自分の部屋に戻ってしまった。
第三の太陽が煌々と輝くなか、ミハルは眠りについた。
その夜、ミハルは夢を見た。
都市と砂漠のあわいで、ペットとして飼っていた灰色の大きなねずみ――確か名前はジャッカロープ――に紐をつけて、ふたりで散歩させていた。
マナツは風化した家跡の上を歩きながら、
「ミハル、かあさんの歌を覚えてる?」
と言った。ふたりの母親はずっと昔に死んでいる。マナツはかろうじて母の顔を覚えていたが、ミハルはマナツの語る母親のことしか知らなかった。
「覚えてないよ」
「じゃあ、歌ってあげるから、一緒に歌おう」
マナツは息を吸い込んで、歌い始めようとした。
ミハルはそのメロディを心待ちにしていた。
なのに。
そこに光がやってきた。熱はなく、色はなく、形はなく、光のみがそこにある。
光はミハルからすべてを奪うものだ。みなにはすべてを与えたのに。
「それじゃあね、ミハル」
「姉さん! 行かないで!」
夢の中でくらい、姉さんを奪わないでほしかったのに、砂漠の光はミハルにだけはやさしくはないようだった。
常に明るいこの星で、目を覚ましてくれるのは鳥の鳴き声だ。第一の太陽が中天に昇ったころ、ミハルとジャグラーは捧ぐ緑を出立することとした。
「〈砂漠の光〉はあの先にいる」
リーダーの男が砂漠の向こうを指差した。ここからはぼんやりとした光しか見えないが、この先に光の神域があるのだという。
「みんな知ってはいる。知っているんだ。どこにいるかは。だけれども、会えなかった、おれたちには」
せいぜい達者でな、帰れなかったらここに来るといい、と彼は言った。
ミハルは男に手を振った。ジャグラーは一瞥もせずに先に進んだ。
捧ぐ緑から光の神域まではさらに歩いて半日ある。
オアシスのひとたちはふたりに十分な水と食料を渡してくれた。それから水筒に入ったコーヒーも。暑さを凌ぐには冷たいコーヒーが一番なのだ。
その道すがら、ジャグラーはポケットから小さな袋を取り出して、八面体の結晶を取り出した。紫と緑が混ざりあった半透明のそれを、ジャグラーは無造作に口の中に放り込んだ。飴菓子なのかとミハルは思ったけれども、それにしては硬そうなものを噛み砕いたような音がした。飴というよりはむしろ石に近いようなものを。
ミハルが何かと思って見つめていると、ジャグラーはその袋からもうひとつ取り出して口の中に入れた。またも硬いものを噛んだ音がする。
「あの、宇宙では石を食べるんですか?」
忘れていたが、彼は客人だ。宇宙から来た客人だから、アイヴァスの常識は通じないのかもしれない。
「ああ、これか? もうそろそろ奴が来るだろうから」
「それって、何なんですか?」
ジャグラーはお嬢さんにもひとつやろうか、と、同じものをミハルに手渡して言った。
「えーと、他の星の干菓子だ」
その八面体は、薄く銀色に輝いていて、言われても菓子とは思えないほどに美しかった。それはしゃりしゃりとした食感で、薄荷の香りとともに口の中で溶けていった。コーヒーにも合う。宇宙にはこんなにすてきなものがあるのか、とミハルは思った。
どれだけ歩いても、遠くに光のようなものが見えるだけで、光の神域にたどり着きそうにない。
ミハルは、太陽の運行と影の位置で時間を大まかに把握する。オアシスを出てから半日くらいは経過しているはずだ。
「ほんとうにこっちで合ってるんでしょうか」
「合ってる」
ジャグラーは妙に自信があるようだった。捧ぐ緑でもこちらだと言われたし、きっと、大丈夫だろう。
そう言い聞かせながら歩いていたら、それは突然現れる。
あれが、光の神域。
光の神域は、四本の柱と二層の円によって構成されていた。まっさらな白い石で作られており、太陽の光を反射して輝いている。高さは人間の身長の二〇倍はあるだろうか。向かい合った二本の柱の上に石造りの円が乗っており、それらよりも高いもう二本の柱の上にも円がある。
円はところどころ欠けており、柱で支えられていない部分もあったが、それにもかかわらず円は宙に浮いていた。
光の神域に、砂漠の光は見当たらなかった。もちろん、姉――マナツの姿もない。
ミハルは光の神域の中に駆け込んだ。
何もいない。
「〈砂漠の光〉、あなたはどこにいるんですか?」
やはりわたしは選ばれなかったのだろうか、と、ミハルは光を呼びながらも思う。
声は虚しく砂漠の空に消えていくだけだ。
「どうして答えてくれないんですか? どうして」
砂漠の光は現れない。ただ風の音だけがする。
ジャグラーはそれを黙って見ていた。
「どうしてわたしだけ置いていったんですか?」
光の神域の中心でミハルが叫んだその瞬間、視界が光に包まれた。
これは。あの時と同じ。
砂と砂の隙間から無数の光が漏れ出して、地面を貫いて空までも届いた。
ミハルがかつて出会ったときとは違い、はっきりと姿を見ることができた。
光の束が天を衝く。
ミハルは思わず後ずさる。
視界を包み込む光芒が去った後に現れたのは、人間と同じ形をした、しかし人間よりも遥かに大きなひとがただった。これまで出会った怪獣と同程度、いやそれよりも大きいだろうか。純度の高い銀の輝きを纏い、肩の部分には神官のような金の飾りがついており、紫と赤のラインで全身が彩られている。黎明の如き白銀の瞳はおおきな卵型で、額には白銀の石。
最も特徴的なのがその胸――曙光の石と相似した、空を映した青色の光がまるく輝いていた。
砂漠の光は光の神域の輪の中心に立って、ミハルとジャグラーを見下ろしていた。
〈砂漠の光〉、そう呼ばれているものは、眼下の光景をどこかなつかしいものとして捉えていた。
彼は自分のほんとうの名前を忘れ、ただ彼の呼ばれるように、自らを認識していた。
数千万年、数億年をこの地で過ごし、薄れかけている、かつて与えられたミッションだけを胸に、人々を守り続けたそれは、いつかこの光景を見たように感じていた。
存在するために光の力を喰らった。借りものの光を自分のものにして、ようやく、存在できた。
そのようなかたちで存在してでも、果たさなければならないそれはミッションだった。
そう、この星は守られなければならない。
そのために不要なものは、排除されなければならない。
あれらはなんだっただろうか、と、考えようとしたところで、ノイズ、あるいは天啓が訪れて、彼の認識を書き換える。あれらは敵なのだ。わたしの星を害するものなのだ。
ひとりの男と、ひとりの少女。
そして、自分は、かつて、何だっただろうか。
男が武装してこちらに向かってくる。〈砂漠の光〉は剣を構える。
こうなるのをずっと、待っていたような気がする。
上方からの攻撃を、ジャグラーはミハルを掴みつつ回避した。砂地に大きな凹みができている。砂漠の光の攻撃だろう。見上げると、それは大きな剣――オーブカリバーに似ているが、エレメントを持っていない――をこちらに向かって振りかざしていた。
ジャグラーは魔人態へと転身する。先程蛍石から摂取した希少元素を消費して、空間元素を体表に固定し、鎧を身にまとう。胸には。太陽の輝き続けるこの地には存在しない、夜を照らす三日月の光。
蛇心剣を異空間から取り出し、構える。
「何しようとしてるんですか」
ミハルがジャグラーの腕を掴んで止めようとするが、ジャグラーはそれを振り払った。
「見ればわかるだろ、あれは敵だ」
「ようやく現れてくれた、〈砂漠の光〉なのに?」
「〈砂漠の光〉、って会えないものなんだろ?」
見上げる〈砂漠の光〉はまだ動かない。だがいつ攻撃してくるかわからない。
「でもこれは」
「じゃあ、この現れた光は、別モンだよ」
引き下がろうとするミハルに、そう思っとけ、とジャグラーは呟いて、〈砂漠の光〉に剣を向ける。
「おい、〈砂漠の光〉とやら、俺が見えるか?」
〈砂漠の光〉はゆっくりとこちらを向いた。光り輝く瞳からその感情を伺うことはできない。
「お前を倒しに来てやったんだぜ、喜べよ」
〈砂漠の光〉は手に持った巨大な剣を横に薙ぎ払う。ジャグラーはそれをジャンプして避けようとする。砂埃が舞って視界が悪くなった。攻撃を避けられたことはわかるが、今あれが何をしているかはわからない。
「ジャグラーさん!」
ミハルの声が聞こえる。
〈砂漠の光〉は二撃目に向けて、ゆっくりと剣を構えようとしている。
はじめて戦ったときの『あれ』よりはまともに戦おうという気があるみたいだ。まったく、あの巨人は腰もまともに入っていないへなちょこだった時期もあるが――今はそれどころではない。
たいていの光の巨人の弱点は胸にあるカラータイマーだ。一部でも傷つけられれば勝ち目はあるかもしれない。
これが正規品の光の巨人かどうかは定かではないが、叩いてみればわかるだろう。叩いて壊れれば自分の探している光ではない。
ジャグラーは神域を囲う円を足がかりにして跳躍し、〈砂漠の光〉の胸部にある光――カラータイマーへと一撃を加えようとした。渾身の突きは、しかし光に当たる寸前のところでかわされた。ジャグラーは神域の円の一段目に着地する。
「このままじゃ埒が明かねえな」
〈砂漠の光〉はその大きさの割に俊敏に動くことができるようだ。この宙に浮いている輪に制限されているからどうにかなっているが――と考えたところで、ジャグラーにはひとつの策が浮かんだ。
神域の円を走り出すジャグラー、円の欠けた部分を飛びながら加速していく彼を見下ろす瞳、またカラータイマーを狙うのだろうと身構えたところを、ジャグラーはスピードを利用して下に飛んだ。
質量としてはたいしたことがないだろうが、速度と合わせればそれなりの打撃となるだろうと、そのまま〈砂漠の光〉の左足に向かって斬りかかる。〈砂漠の光〉はよろめいて、神域の円にもたれかかった。
図体が大きいだけあって、体勢が崩れれば復帰するまでに多少時間がかかるだろう。〈砂漠の光〉のダメージが想定よりも大きかったのか、その体重で神域の円が崩れていく。支えをなくした〈砂漠の光〉は、そのまま円を壊しながら地面に倒れていった。
やったか?
そうジャグラーが思ったところ、〈砂漠の光〉は最後の力で巨大な剣を投擲してきた。
見るとミハルの方向だ。
またかよ、と思いながらも、ジャグラーはミハルを掴んで瞬間移動し、カリバーの太刀筋から避けさせた。とはいえ、大きな質量が落下したのだ、周囲には砂埃が舞い、視界が遮られる。
まあ、これで神域も崩れて、あれが倒れたんだからよかっただろうと思っていたら、ジャグラーは予想外のものを目にすることとなった。
果たして〈砂漠の光〉は消滅してはいなかった。
その代わりに大きな変質を遂げていた。
砂塵が晴れてきたところで、何が起こってしまったのかがわかった。
「混ざってやがる」
ジャグラーは苦々しげに言う。
オーブオリジンをベースとして、スペシウムゼペリオンの金、ハリケーンスラッシュの青いライン、バーンマイトの炎、そして右目のみサンダーブレスターの赤い瞳。ジャグラスジャグラーの追っている『あの光』の取りうるさまざまな形態が混じっている。
もしかしたら神域の円はこれを抑えておくためのものだったのかもしれない。今までこちらが足場にしてきた神域はもうなく、カラータイマーを狙うには高く飛ばなくてはならないが、魔人態といえどもこの高さまで跳躍するのはそう簡単なことではない。
混ざりものの光は神域の瓦礫を持ってこちらへ投げてきた。軌道は大きくそれ、遠くの砂地に落ちた。
変質した巨人はまたも瓦礫を手にしようとしている。次撃を用意しているようだ。
まだ敵意があるのだろう。こちらには非戦闘員がひとり、次こちらにできることは――
そこで、ジャグラーの意識に割り込んできたのは、清冽な光だった。
幾重にも重なった涼やかな鐘の音が天空から鳴り響く。水琴窟に落ちる水滴のようにはかなさをもちながら、大教会のパイプオルガンのような荘厳さをもったそれは、一帯の空気を清浄とし、後の降臨の露払いをする。空に天使の輪のような三連のまるい光が現れる。それらはかすかに青色をしている。清冽でありながら、この星には存在しない、太陽の存在しない夜の到来を告げるかのような、あたたかな光。
一瞬のうちに中心に収束、光の柱となって地上へと降り注ぐ。
砂嵐が舞い、ジャグラーとミハルは目を伏せる。しばらくして、風が収まったとき、霞む視界の向こうに、銀色の巨人が現れた。変質する前の〈砂漠の光〉によく似ており、同じような剣を持っているけれども、こちらのボディラインは黒と赤で、よりすっきりとした印象に見える。
まるみを帯びた銀色の瞳は、まっすぐと〈砂漠の光〉を見つめていた。
「――ウルトラマンオーブ」
ジャグラーが呟いた。
これが、オーブ。これこそが。ほんもののウルトラマンオーブ。
はじめて見た時と同じように、そして何度見上げた時と同じように、それはこの砂漠に存在した。
その声に呼応したのか、ウルトラマンオーブと呼ばれたその巨人は振り返り、ジャグラーの方を見て頷く。
「ったく、そういうところなんだよ、お前は!」
オーブの持つ剣――オーブカリバーに、赤、黄、緑、青の四色の光が灯る。
〈砂漠の光〉もまた、自らの剣を構える。
オーブは〈砂漠の光〉の方向へ走り出し、オーブカリバーで斬りかかった。〈砂漠の光〉の剣を弾き飛ばすと、自らもオーブカリバーを放り投げる。オーブカリバーは砂地に突き刺さる。
オーブは〈砂漠の光〉と一旦距離をとり、間合いをはかっていたが、砂漠の光に接近し、蹴りを数発入れた。
〈砂漠の光〉はよろめきながらも、逆にオーブの足をとって転ばせた。そこに砂漠の光は青白い光線を放つ。オーブは転がって避けようとするが、左腕にかすってしまった。
巨大なものたちの戦いはそれだけで地響きと砂嵐を引き起こす。ジャグラーからはかろうじて戦況が見えるが、砂地の窪みに避難させたミハルからはろくに見えていないだろう。
ジャグラーは地面に転がっているオーブを眺めた。
何回でも見たことのある光景。いきなりやってきて獲物をかっさらおうとするからいい気味だ、とも思うが、あまり気分はよくはない。なんでか。
「あーあ、とはいえ、俺もギャラリーに堕するわけにはいかねえからな」
ジャグラーは単体で巨大な姿になれるほどのエネルギーを有していない。何か、強大な力を持つものがあれば、そこから力を引き出して巨大化できることもあるのだが。
そう思ったところに、ミハルのペンダントが目に入った。
これだ。
「それ、貸してくれよ」
「ペンダント……ですか?」
「あれを助けに行く」
ジャグラーはオーブを指差す。
光と呼ばれるものはたいてい自分を選ばないものだ。ジャグラーはそれをよく知っていた。ただ、この星の防衛機構は最初からジャグラーを排除しなかったし、何より、ここの光はどうやら混ざりものがある。
それなら、もしかしたら、自分でも使えるのではないのだろうか。
いつか別の宇宙の別の地球、南の島で力を得たように。
「ええ」
ミハルはジャグラーにペンダントを手渡した。
「光の力、お借りします!――なんてな」
ジャグラーは蛇心剣を曙光の石に重ねる。
「星の瞬く狭間の闇よ、我に光につながる道を与え給え」
石との間にパスが開く。間にあわせの詠唱だったが成功したようだ。
ジャグラーは力の奔流に身を任せて、瞳を閉じた。
ミハルは突然の光に驚き、再び目をつぶったが、開いたときにはまた目の前の光景に驚くこととなった。
先程まで隣にいたジャグラーが、オーブと同じサイズにまで大きくなっていた。曙光の石に、そんな力があるなんて知らなかった。
ジャグラーは倒れていたオーブに手を差し伸べ、オーブはその手を取って立ち上がった。そのあと、ふたりは古くからの友人かのように頷きあった。
オーブはオーブカリバーを構え直し、ジャグラーと共に立つ。
そして、天空にオーブカリバーを掲げ、
「オーブグランドカリバー!」
と叫び、地面に剣を突き刺した。黄金の光が地面を円形に走り、〈砂漠の光〉を拘束する。
そこにジャグラーが飛びかかって、
「蛇心剣、抜刀斬!」
赤黒の光とともに砂漠の光を両断した。
〈砂漠の光〉はかつて『ウルトラマンオーブ』と呼ばれていたことをようやく思い出した。
それと名指され、定められ、ある星の平和を命ぜられ、今やその名前を忘れ、それを生み出した『光』そのものから討伐対象とされたそれは、オーブの光の中で、もはや自らにとっては存在しない過去を幻視していた。
忘れがたい出会いと別れのいずれかのうちにあったもの。
地球の少女。
思い出すために似たようなものを集め続けたけれども、手には入らなかったもの。
過去の一片、彼自らが経験したものではないけれども『クレナイガイ』の歴史のうちにはあったもの。
〈砂漠の光〉は自らがもはや『ウルトラマンオーブ』ではないことを知っていた。光が同種の光に焼かれるわけがないからだ。しかしながらそれはやさしかった。
『光』の温情であるかのように、彼が守り続けたアイヴァスの太陽たちよりもずっと、やさしかった。
わたしはもはや、ウルトラマンでもオーブでもない。
それでも。
この地に幸あらんことを。
宇宙に平安あらんことを。
人々に平穏あらんことを。
彼の祈りそのものは、最初から最後まで、ほんものだった。
ウルトラマンオーブとジャグラスジャグラーによって倒された砂漠の光は、虹色の光の粒子となって空へとほどけていった。ふわりと浮き上がったかと思えば、それらは地上へと舞い散っていく。そうして、砂漠は色とりどりの砂に覆われた。
いずれ色の砂漠と呼ばれることになるその地は、人間を拒絶しなお生い茂る植物たちの楽園となるのだが――それはまた別の話。別の機会にするとしよう。
〈砂漠の光〉と相対していた光の巨人――ウルトラマンオーブが、するするとその姿を収縮させ、ひとりの青年となっていくのを、ミハルは呆然と見ていた。
彼はジャグラーと同じく、アイヴァスでは珍しい黒い目と黒い髪をしているが、その瞳の奥には、ミハルには本でしか読んだことのない、銀河の果てのプレアデス星団の輝きを持っているように思われた。茶色のジャケットを羽織り、帽子をかぶっている。ジャグラーよりはましだけれども、彼も砂漠にしては暑そうな服装をしている。
その男は、どこか名残惜しそうに砂漠の光が消えたところを眺めていた。ジャグラーは変身を解いて、光には目もくれないでその男の方へと走っていく。
ミハルは彼らの方へと歩いていった。
そして先程まで巨人として戦っていた彼は、つくりもののように整ったくちびるを開く。
「ジャグラー、あれって、おれだったのか?」
彼は砂漠の光が消えていった方向を指差しながら、ジャグラーに話しかける。
「んなわけねえだろ、お前砂漠に何万年かいた記憶あんのか」
「ないな」
彼はあっさりと言う。ジャグラーはすこしばかり眉をひそめてから、つまりな、と言う。
「さしずめあれは『ウルトラマンオーブ』の影なんだろうよ。ほら、あの『光』の座はここから遠くにあるだろ? そいつがお前――というかオーブに干渉して生み出した影。あの『光』が強すぎるんだか、『ウルトラマンオーブ』が濃すぎるせいなんだかわかりゃしない。まあ、いくつか見たこともあるがどれも見事に変質してたぜ」
これもそのひとつだったんだろう、とジャグラーは結んだ。
ジャグラーの言っていることはミハルには半分もわからなかったが、ここにいる男性が〈砂漠の光〉そのものでないということはわかった。あの巨人だったものにしては気さくなひとであるし。
「ところで、あなたは……」
ミハルが尋ねると、ガイは帽子を直しながら答えた。
「おれはガイ、クレナイガイ。銀河の渡り鳥だ」
ジャグラーが最初に名乗ったときのことを思い出して、ミハルは笑ってしまった。
一緒に戦っていた時といい、そっくりだ。よほど気が合うんじゃないだろうか。
「おふたりとも、よく似ているんですね」
「これと、俺とが? どこが?!」
ジャグラーはガイと呼ばれた青年を指差して言う。自分といたときとはまったく違う表情を見せるジャグラーに、彼らはきっととても長い付き合いの友人なのだろうと思った。
そういえば、光がいなくなったのだから、これまで連れ去られたひとたちはどうなったのだろうか。もしかしたら、帰ってきたんじゃないだろうか。
ミハルは破壊された神域に走る。おい、お前さん、とジャグラーが呼ぶ声が聞こえるが、気にしない。
砂に足を取られて転びそうになったが、構わない。
そして再び、神域の中心に辿り着いた。
最初は何もいなかった、そしてあれが現れて、消滅した、神域だ。
今まで巨大なものたちの戦いが行われていた砂地には、水面のようにさまざまな輝きが落ちていた。
その中に、見覚えのあるきらめきがひとつあった。いつも見上げていた光、彼女の光。
ミハルは足元にあったマナツの髪飾りを手に取る。曙光の石が嵌められた銀の髪飾り。ずっと見ていた、マナツのもの。こんなすてきなものがほしいと、思っていたけれども、こんな形でじゃなかった。
髪飾りを握りしめて、空を見上げる。砂漠に雨はない。この星には光しかない。すこし視界が滲んだのは、きっと光が眩しいせいなのだ。
それ以外にも、小鳥のあしらわれたスカーフ、ぼろぼろのマント、銅の腕時計などが落ちていた。
きっとたくさんのひとがここにいたのだろう。
そしてもう、ここにはいない。
ミハルはようやく、自分がほんとうにひとりなのだとわかった。
もう一度壊された神域を見つめる。
ここに来るまではかりそめの希望を持っていた。光に会いさえすればどうにかなるのだと。しかし実際にはこれだ。光は襲いかかってくるし、神域は壊れた。
これまでの自分の世界は、この旅によって崩れ落ちてしまった。
それなら。
それなら、これから、誰に、どこに連れて行ってもらえばいいんだろうか?
ミハルはジャグラーとガイの元に戻った。ミハルの手にした髪飾りを見て、ジャグラーは何も言わなかった。
ガイはミハルによくやったな、と声を掛けてくれた。見知らぬひとのはずなのに、何も知らないはずなのに、どうしてだか心が軽くなった。
それから、ガイはジャグラーに、まるでいつもそうしているかのように気軽に話しかけた。
「おれはミッションに戻る。そっちはどうなんだ」
「俺は――まあお前に話す義理はないな」
ジャグラーは冷たく答えたが、その口角が上がっていることをミハルは見逃さなかった。
「変わらないな」
「変わらないさ」
ガイの言葉にジャグラーは平然と答えた。砂漠は彼らが今まで〈砂漠の光〉と戦っていたとは思えないほど静かだ。ジャグラーがふとガイから視線をそらしたところで、ガイは、
「あばよ」
と言って、先程戦っていた時と同じ剣を天にかざす。それと同時に、眩い光の輪が彼の全身を幾重にも包み、青い粒子となって天空へと消えていった。
空に溶けていくガイをふたりで見届けたあと、ミハルはジャグラーにおずおずと告げる。
「あの」
「なんだ」
「わたしも、連れて行ってくれませんか?」
「は?」
「これから、宇宙に行くんですよね? わたしも、どこかに行きたいんです。この星じゃない、どこかに。光が連れて行ってくれるんだと思っていたんですけど、もう、光もいませんし、それなら」
「甘えんな」
ジャグラーはミハルに冷たく言い放った。
第三の太陽は沈み始め、風は凪いでいる。
「このくらいは教えてやる。誰かがどこかに連れて行ってくれるなんて都合のいい話はねえよ。そこにいたくたっていられない奴だっていくらでもいる。だからといって、その運命に諾々と従ってやる必要なんかない。どちらの運命にも、抗える。俺はそう信じてる」
ああ、柄にもないこと言っちまったなあ、忘れろ、とジャグラーはきまり悪そうに言った。
だけれども、ミハルは少しうれしくなってしまった。彼の言葉がほんとうのことだと、直感的に、理解できたからだ。なんだかんだいって、彼はよい客人なのだ。
ミハルはジャグラーの瞳に微かな星の輝きを見た。青みがかった緑。見たことのないはずの光を。それも、彼の言葉と同じようにほんものだと、そう思えた。
「それに、お前さん――ミハル、家に帰る、って、言ったんだろ?」
そうだった。ミハルは家に帰らなければならない。アキハおばさんと約束したのだ。
帰るから、出かけてもいいのだと。
ミハルは光の神域まで来た。そして砂漠の光に会った。
だから帰らなくてはならない。
「ありがとう、ございました」
「……勝手にしろ」
ジャグラーはミハルに背を向けて、太陽の沈む方向へと歩きだした。ミハルは彼に大きく手を降った。ありがとうございました、また来てくださいねと。
眺めていたら、ふと、ジャグラーは姿を消した。
彼の進むべき道へと進んだのだろう。
わたしはどこに行かなくてはならないのか、まだわからない。
でも――とミハルは思う。
宇宙へ、彼らの行った宇宙へ、行くことだってできるんじゃないだろうか。またジャグラーに会って、今度はこっちが助けてあげたりすることだって、あるのかもしれない。
だけど。
少なくとも、今、やるべきことはひとつだ。
家に帰ろう。
ミハルは方位磁針を鞄にしまい、歩き始めた。
第一の太陽がまた昇ろうとしている。
常に太陽の昇っている空に、星はひとつも見えないけれども、宇宙の彼方に輝く星々のことを、流れるきらめきのあることを、ミハルは知っている。
2022-01-24
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