このおはなしはぐるぐると回りながら語られることになるだろう、そう、俺たちはスパイダーだ、クモの巣みたいに俺たちの物語は絡まっていて、自然界にはありえないような模様を描く。クモがどうして自分の糸にくっつかないか知ってるか?あれはくっつく糸とくっつかない糸があって、巣を作るクモは器用にそれらを見分けてるってわけだ。はなしが横道に逸れたように見えるかもしれないがこれが本題だ。俺たちは正しい糸を選ぶことができる、できた、できたっていう、はなしなんだ。
できたよなあミゲル。だから海に行こう。この世界にはろくな海がない。お前がコンクリートで固めちゃったからな。無駄だって言ってさあ。俺はそうは思わなかったけど。ともかく、海に行こう。俺の世界の、海に行こう。
今日はメイデイ連れてきてないぞ。メイデイをハグして解決するフェーズは、とうに過ぎただろう?
ーーピーター・B・パーカーはデバイスを操作してポータルを開く。赤、青、黄ーーグリッチが空間を覆い尽くし、アース928からアース616へと接続する。ミゲル・オハラの立っている宙に浮いたフロアまでスイングし、腕を取って地面に降りる。苛立たしげに何事かを呟くミゲルの言っている内容はピーターにはわからないが、わからないことをいいことに無視してポータルに向かう。ミゲルはやれやれと首を振るがそれ以上の抵抗はしなかった。誰もいなくなったスパイダーソサエティ、最後に開いたポータルが閉じる。
まず誰のはなしからするべきだろうか?何度だって説明してやるよ、だってこれはお前が成し遂げたことだーー聞いてるか?覚えてなくてもいいけど。お前が覚えているのは、あの家族のことだけでいいよ。永遠のことなんか忘れちゃって構わない。ああ、でも、俺と約束したことくらいは覚えててほしかったよな。約束したよな、俺たち。というかお前から言い出したんだよな。俺はちいさなメイデイ抱えてさ、どの戦いだっけ?誰のカノンイベントだっけ?どのスパイダーのカノンイベントだろうと、同等に重要だからどうだっていいか。とにかく、無事に「悲劇」は遂行されて、ウェブは正常に保たれて、無駄な死人は出なくって、でも怪我とかはあるから俺はメイデイの目を塞いでやったりしてて、あの子はいい子だから泣かないんだよ、今もそう。そうじゃなくって約束のはなし。
「ピーター、この子が大きくなって、きちんとスイングできるようになったら、海を見に行こう」
「今行ったっていいだろ」
「……将来には、希望があったほうがいいからな」
珍しいな、お前がそんな、未来のことを口にするなんて、しかもポジティブなものを、って思ったのは、よく覚えているし、それはこの擦り切れかけた時間軸の中で本当だと思う。んだけれども。
約束は果たされなかった。
メイデイは大きくならなかったからだ。
ーーアース616、マンハッタン。人に溢れたビル街。だから多少人間が増えたところで誰も気にしない。ピーターとミゲルは地上30メートルの屋上に降り立つ。スイングして行くかとピーターは問い、目立つだろうとミゲルは答える。まあそう気にすんなとピーターがマスクを被り、勢いよく落下していくのをミゲルは追いかける。手首から伸びるウェブだけが彼らの命をつないでいて、それを危ないと思わない程度には、彼らは熟練のスパイダーであった。どこに行くんだとミゲルは叫ぶ。海に行くんだとピーターは応じる。
とりあえずメイデイと俺のはなしをしようか。俺とMJのかわいい娘、スパイダーの力を持つ最強のこども、メイデイ。小さい頃からウェブシューターを持たせていたのは、いずれ来る運命を知っていたからだ。この子がスパイダーパーソンであるからにして、悲劇は避けられない。そのときに、できるだけ、強くあってほしいと、思っていたからーー強くても避けられない、カノンイベントは避けることができない、俺がそうだったように、彼ら彼女らが、そうだったように、それでも、できるだけ傷ついてほしくはなかったから。それが親心ってもんだろ?
ーーふたりのスパイダーが風を切りながらビルをスイングするのを、見上げる者もたまにいるが、この街にふたりのスパイダーがいること自体は普通のことなので、特段問題視されることはない。たまに、あれっていつものスパイダーマンじゃないな?と思うものがいる程度で、しかしニューヨークの名物であるスパイダーマンの存在に違和感を覚えるものは誰もいない。ミゲルにとってそれはどこか懐かしい光景であった。ヌエバ・ヨークの立体的なビルたちでは、こうも直線的な移動はできないから。ビーターにとっては電車で通勤するのと同じくらい、日常的な光景だった。
で、なんだ、約束が守れなかった理由ね。そうそうメイデイは歳を取らないし俺もそう。だからMJもそうなんじゃないかなって思っているし実際そう。俺の身の回りのひとたちは時間が止まったみたいにずっと過ごしているんだけどその実毎年歳を取るし今は2023年だ。そうだっけ?3024年じゃなかったっけ。どっちでもいいか。歳を数えるほど無駄なことはない。
俺たちスパイダーパーソンは、歳を取らない。
というか、「物語における最盛期」で、ひとつの時計が止まる。
でも、普通に歳をとる俺もいる。その俺は結構前に死んでいて、この俺だけが,残ってる。おかしいよな。おかしいのは自分でもわかってる。でも俺は死んでるし、俺は生きてる。というか、スパイダーマンのカノンイベントに永続的な死はない、それだけの話なような、気もする。
ーーこうやってさあ、スイングしてどっか行くって久しぶりじゃないか、そう、戦うんじゃなくってさ、ただ楽しいからスイングしてさ、どっか適当な場所に行って、ひったくりがいたら捕まえたり、ヴィランがいたらぐるぐる巻きにしたりするやつ。とかピーターが言っていたら、そんな日常は最初からなかった、とミゲルは言い、そうだったなとピーターが返す。
俺は40歳の誕生日を祝われると同時に、55歳の誕生日も祝われることになった。メイデイがつかまり立ちをできるようになるのと同時に、彼女はハイスクールに行く準備を重ねている。ほかのスパイダーパーソンがどうなっているのかは外部から観測することができなかった。みんながみんなその真実に気付いているわけでもなかった。そのうち俺は老衰で大往生を遂げ、そうして俺が残った。40歳の俺が。ここにいる俺が。ミゲル、お前だってそうだろう?俺の知ってるお前はずっと30そこそこだ。覚えてるっけそれ。覚えてないよな。覚えてなくて、いいよ。
ーー海って、どこの海に行くんだ、と、ミゲルが言う。コニーアイランドだよとピーターは答える。やがてビルもまばらになってきて、彼らは地面に降りる。こっそりマスクを取る。マスクなんかしてたらスパイダーマンだと思われてヴィランが襲ってくる。ここはそんな街だ。屋台でチュロスを売っていたからピーターは2本買う。アップルシナモンを。そんなに好きじゃないとぼやくミゲルに、ピーターは食べてみたらおいしいからさとまだ熱いチュロスを押し付ける。ミゲルがかじってみると、ジャンクな味だけれどもスパイスが効いていて、まあおいしいと認めないほどではなくて、この世界のチュロスは捨てたものではないな、と、食べ進める。
マイルスがきちんとカノンイベントの中に組み込まれてアノマリーじゃなくなったあの日から、あいつもいっぱしのスパイダーだから、当然ずっとハイスクールにいる。彼はこの時間の流れを感知しているのかな。感知できたら全部元に戻してーーああ、そんなことしたらお前の仕事が増えちゃうよな。やめとけ。あの子はいい子なんだ。またみんなで追い回したくなんかない。お前だってそうだろ、なんだかんだであいつのこと気に入ってたじゃないか。違ったか?お前は仕事を終えたんだ。これ以上何もしなくたっていい。自由なんだよ。それはあの子も一緒だ。
ーーコニーアイランドのビーチは、ニューヨークらしくひとに溢れていた。もう15時にもなるのに、それから平日だというのに、関係ないとばかりにひとびとは思い思いに海を楽しんでいた。日傘を差して海を眺めるもの、水着を着て海に飛び込むもの、ビールを飲みながら砂浜を歩くもの。ピーターとミゲルはただただ砂浜を歩いていた。サンダルで来ればよかったなとピーターは伸びをした。そうしていたらちょうどサンダルを売っている店があったので、赤と青のサンダルを買った。ピーターがミゲルのサイズがあってよかったよ、とか言ったら睨まれた。
グウェン、あの子はラッキーだった。運命のすり替えに成功して、父親を亡くさずに済んだんだ。もちろん、カノンイベントは平等に訪れるから、他の署長が死ぬことになったけれども、そしてそれが彼女にとって悲しくないなんてことはなかったけれども、親を亡くすよりはマシだ。マイルスともなかよくしてるらしいぜ。かわいいやつらだよな。
ーーサンダルに履き替えたおかげでだいぶ歩きやすくなった。足を進めるごとに白い砂が指の間に入っていくのがミゲルにはもどかしい。建物さえあればスイングして地面から離れられるものの、ここにはそんな高い建造物などない。歩くしかないのだ。おれはどうしてこの男に、海に行きたいなどと言ったのだろうか。覚えていない、焼きついているのは全てを失ったあの日のこと、それだけで、それ以外の記憶は、あまりない。楽しかったあの頃のことさえも。だから記録映像ばかり、見ていた。
ホービーは事実に気付いたらしい。すべてに反抗する彼のことだ、一回世界から抜け出そうとしたけれども、そうしたって何も解決しないことにも気付いて、結局ずっと、スパイダーをやっている。スパイダーをやりながら世界に反抗してる。ギターをかき鳴らしては政府に反抗し、ウェブを操っては市民を守る。そういう生き方だってある。お前はそうはしなかった。永遠のように見えるソサエティの中でほつれ続けるクモの糸を編んでいた。編み終わった。戦いは終わったんだ。
ーー砂浜を歩いているとひとも減ってきた。端に近付いているのだろう、遠くからひとびとの歓声が聞こえる。水をバシャバシャ掛け合って遊ぶひとたちは楽しげだが、ミゲルにそれを楽しむ感性はない。かつて子供がいた頃に、海に行ったこともあっただろうか。すべてが曖昧な霧の中、街と一緒に葬り去られた記憶の数々、手の中で消えていった彼女、ピーターはそれを見ていることしかできなくて、だからといってそれを明るい記憶にする魔法なんて使えない。
そもそも、スパイダーがいる世界の方がノーマルだというのが誤りだったんだよな。お前の肩にかかっていたのは、すべてのスパイダーとその世界たちのみならず、文字通り無限の、世界だった。お前はその糸を全部見つめて、ほつれを直して、編んで、歪みを正して、正常に運行するようにして、実際そうなった。もうどのスパイダーもカノンイベントから逃れることはない。もうどのスパイダーも悲劇に屈することはない。それが運命だからだ。
ーー太陽が中天から外れつつあり、疲れてきたこともたりふたりはビーチに腰を下ろした。青すぎるほど青い海の向こうには何も見えない。まるで未来のようだと、ミゲルは思う。
お前がいろいろなこと忘れちゃったの、悪いことばかりじゃないと思うぞ。だってお前はずっと頑張ってきたもんな。ずっと戦ってきたもんな。守れるものを守らずに、より大きなものを守ろうとしてきたもんな。俺はその手助けをすることしかできなかったけどさ、でも、お前ってほんとすごいなって思ってて、ちゃんと言ったっけそういうこと、俺偉そうにいろいろ喋ってるけどさ、俺だって永遠に40そこそこなわけで、なのにたくさんのことがあって、老衰で死ぬなんてカノンイベントはないから死ぬことすらできなくて、ずっとずっと親愛なる隣人でーー親愛なる隣人っていうのはお前の隣人でもあるんだけど、ああ、もう。なんで言ったらいいんだ?なんで言ったらお前は今を生きるつもりになってくれる?なんで言ったらそこから降りてきてくれる?俺なんかじゃだめなのか?なあ、メイデイ抱っこすればいいのか?もういいんだ、やめよう、ずっと記録映像なんか見てないでさ、街に降りて、ハンバーガーとか食おうよ。
ーーだからこれはいつかの記憶。過去でも未来でもなく、どこかの世界線には確かに存在しうる砂浜の記憶。海辺にふたりの男がいる。彼らは砂浜と海の境目を歩きながら、一定の距離を保って会話をしている。
「なあミゲル、砂浜って無限に砂があるような気がするけど、時間があれば数えられるんだよな」
そして俺たちには無限の時間がある。
だからといって砂を数えていたって仕方がない。それより他に、いくらでもやれることがあるし、やるべきことがある。世界に助けを待つ人はいくらでもいるのだからーー悲しいことに。
ミゲルは爪先で水を蹴り上げて答えた。
「おれたちは無限を過ごしてきた、それに無限を足したところで同じことだ」
「え、今のジョークのつもりだったんだけど,通じてなかった?」
「どっちでもいいだろう、そんなことは」
ようやく約束が果たせたんだとミゲルは口元を歪めて笑って見せる。
今度はメイデイも連れてくるからな、とピーターは目を細めた。
2023-07-14
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