オチの先まで連れてって - 1/13

アパートまではあと十分くらいだ。あのころよくネタ合わせをしていた公園を右手に歩く。馬によく似た子供向けのカラフルな乗り物だけがおれたちを見ていた、あのころ、だなんて感傷はすぐに通り過ぎる。
歩道の横には赤い自動販売機が光っていて、あたたかい飲み物ばかりになったそれの前で立ち止まり、ひとしきり眺めたあと、手持ちに不安しかないことを思い出し、そのまま立ち去ることとする。家に帰れば、飲み物くらいはあるだろう。あたためなければならないかもしれないが。いや、あたためなければならない飲み物なんて、家にあるか? そもそもそんなものなくないか? 冷蔵庫には牛乳しかない。あたたかい飲み物といっても、コーヒーとか紅茶はその都度淹れなくてはならない、とか、益体のないことを考えながら歩いていたら、後ろから突然声をかけられる。
「あの、折崎勇悟さんですよね」
誰だろうか、こんな夜中に、ファンってことはないだろうが、と思いつつ振り返ると、電灯の下に立っていたのは、濃いグレーのコートに黒のパンツを合わせていて、黒髪のモッシュヘアで、肩から帆布の青いトートバッグをかけている三十歳そこそこくらいに見える男性だった。
見覚えがある姿だ。
というか見覚えしかない姿だ。
目の前にいたのは、要するに、今のおれの姿をした何者かだった。
「えーっ!?」
と大袈裟に叫びつつも、ドッキリなんじゃないだろうか、と頭の片隅はどこか冷静だった。これドッキリだろ。精巧なドッペルゲンガーが出てくるドッキリはあまり聞いたことがないとはいえ。どんなに似てるにしても、自分の顔なんだから違うってわかるはずだ。いやでも、目の前の男は、他人にしては似すぎているというか、今朝鏡の中に見たものと寸分の狂いもないというか、声までまったく自分と同じってどういう仕組みなんだろうとは思うのだが、まあ、そういうこともあるのかもしれない。夜だし。暗いし。眠いし。そのせいで自分そっくりに見えるのかもしれないし。
「あ、ドッキリだと思ってます?」
目元を細めながらにこやかに質問してくるそいつの表情は、あまり自分には似ていない、気がする。おれは初対面の人間に対してそんなにフレンドリーじゃない。というかこういう屈託のない笑い方はたぶんしない。自分の表情をそこまで観察したこともないのだけれども。
おれは何をどう答えていいのかわからなくって、しかし守らなければならない一線は守って、
「いや、そうじゃないんですけど……」
そう、もしドッキリだったら気付かれていると悟られてはならない。うまくごまかせているかはわからないけれど。
おれとまったく同じ姿と声をした目の前の存在は、あっけらかんと言う。
「僕、宇宙から来ました」
この言葉もかなりドッキリみたいなのだが、目の前の存在はどうやらずっと、本気で話しているようだった。少なくともおれにはそう見えた。演技だとしたら上手すぎる。周りにカメラの気配もない。いや、あらかじめ設置された監視カメラか何かがあったら気付きようがないのだけれども。
宇宙人と名乗る、自分と同じ姿をした人間に対する態度として、何が適切なのだろうか、と、考えて、考えた末に、
「いや、宇宙人なんかいるはずないでしょう」
と極めて普通の返答をしてしまう。それにしたって十一月頭の真夜中はさすがに寒い。早く帰りたい。さっさと帰ってあたたかい飲み物でも飲みたい。帰りたいのだが帰るに帰れない、自分とまったく同じ姿の男がいるのだから。
「えーっと、それならこうしたら、宇宙から来たって信じてくれますか?」
そう言うと男はひとつ手を叩いた。フラッシュを焚いたかのような眩しさに目を閉じてしまい、光が去ったあと、目を開くと、そこには今まで目の前にいた『自分』とは異なる姿――髪は明るめの茶色で、この寒空に緑色のシャツに薄紫のジャケットだけで、おれよりちょっとだけ背が高い、男がいた。
おれは目を丸くする。今入れ替わったんだろうか。そういうことにしてほしい。変身した、と考えるのが妥当なのはわかる、わかるけれどもそんなの現実にはありえない。だから入れ替わりのはずだ。でもこの一瞬でどうやって、とも思う。どれだけ大掛かりな番組なのだろうか。チャンスが来た、よりも先にどうしよう、が先に立つ。
何と言っていいのかわからずにいるおれに、その男は、
「まだ信じていただけないなら、宇宙船にお連れする用意はありますが」
宇宙船、あるならちょっと行ってみたい。いやいや、よくできたセットがオチだ。明らかに地球人のスタッフが作ったちゃちなプロップに驚いてみせなければならないのだろう。行きたいわけじゃないんですけど、と言う前に、その男は言う。
「じゃあ光学迷彩解きますね、右手をご覧ください」
ここで素直に右のほうを向くと、電灯に照らされたすべり台やベンチの中に、ぽつんと銀色の平べったいラグビーボールのようなかたちをした物体が浮かんでいた。横幅はだいたい二十メートルほどだろうか。横に比べると縦幅はずいぶんと狭い。おれが立てるかぎりぎりといったところなのではないか。うっかりこの中に入る想像をしてしまったが、これが宇宙船だとして、という話だ。
「宇宙船、だな……」
と呟くしかなかった。だってそうじゃないか。それ以外にどう言えばいいんだ。
現代の技術で、音もなく、あれだけの大きさのものが宙に浮くことが可能かどうか知らないが、もし可能だったら今ごろ自動車は空を走っているのではないだろうか。
じゃあほんとうにこいつは……いやいや、宇宙人なんかいるわけがない。
おれの考えをよそに、男は続ける。
「あとすごく伸びたりもできるんですけど、そうそう縦とか横とかにも、あ、僕もだしあの宇宙船も可変なんでって意味で、だからあの宇宙船ってとってもみなさんが想像する宇宙船っぽい感じなんですけど、でももしほかの人に見られたら記憶消さなきゃいけないですからね」
その男の声はもちろん声もおれとは違う。明るくて通りやすく、はきはきとした印象を残す声だ。
いきなり目の前で変身して、ボイスチェンジャーを使っている気配もなくて。おれは自分の頬をつねってみる。痛い。一般に痛みは夢には存在しない。とりあえず夢ではないということにする。
彼はひとつ手を叩いて、
「そうそう、僕はあなたのことをずっと観察していたんで、あなた以外にだれも知らないことを言ったら、わかってくれますかね」
観察? どういうことだろう、え、何? ストーカーか何か? それにしては冷静だけど、と思っていたら、
「あなたは小学五年生のころ、はじめて小説を書きましたね。剣と魔法のファンタジー世界、ベタな設定ではありますが魔法の名称にひねりがあります。主人公は自分を、助けに行くヒロインはそのとき好きだった相手をモチーフにして。タイトルは『月と剣のソナタ』。小学生にしてはなかなかかっこいいですね」
「まあそのくらいならエピソードとして喋ったことはあるけど……」
昔からなんらかの創作をやっていたということで、ちょっと話を盛ってはいるが、そういう話をしたことはある。もっとも、その話を知っているのは劇場に来ているコアなファンくらいだろうが、こいつがそうじゃないという保証はない。
目の前の男はしれっと続ける。
「ちなみにそのノート、三冊ありますけど、捨てたって言ってるのは嘘で、まだ持ってますよね。本棚の裏にしまってます」
穏やかに告げる彼に、寒いっていうのに顔が熱くなるのを感じる。え? 何を言っているんだ? そう、ノートを捨てるのは忍びなくって、実家から出た時も持って出たのだ。そんなこと、親しい友人にだって、誰にも言ったことがないぞ?
「表紙にイラストも描いてますよね、一冊目が――」
「わかったわかったわかった、もういい、やめてくれ」
こいつはおれの『秘密』を知っている。誰も知らないはずの秘密だ。どうやって知ったのかはわからないのだが、とにかく、さっきからの言動からするに、人間離れしているのは、事実だ。人間離れしているからって人間じゃないっていうのは軽率かもしれない。でも、あらゆる可能性を考慮して、それが残ったのなら、どんなに嘘みたいなできごとでもそれが真実なのだと、どこかで読んだこともある。
これはもう腹を括るしかないだろう。
おれは恐る恐る尋ねる。
「……仮に、仮にお前が宇宙人だとして、何の用でおれに?」
別に政府の要人でもなんでもないし、もちろん世界的に有名でもない。ただの芸人に何をしに来たのだろうか。
ようやく聞いてくれましたね、と男は朗らかに言う。
「折崎勇悟さん、あなたの相方になりに来ました!」
え? いきなり何を言っているんだこいつは?
おれはあっけにとられる。
確かに、近頃おれは、コンビを組んでくれる相手を探してはいた。だいたい、この年になると、ピンでやっているひとはその覚悟を決めてやっているわけだし、おれと同じように最近解散してっていうひとはそう多くない。
だから、向こうから提案してくれるなんて、ラッキーなことだ。
でもそれは、相手が人間だったらの話だ。こいつはどうやら人間じゃない。人間じゃないモノとコンビを組んでいるっていうケースは、なかなか、っていうか、まったくないだろう。人間じゃないっていう体のはいるかもしれないが。そうじゃなくって、ほんとうに人間ではないのは。
まあ、こういうのを渡りに船というのかもしれない――どんな船なのかは、わからないが。いやそこで浮いている宇宙船じゃなくって。とにかく、どんな船だって、ないよりはマシなのだ。
おれは、相変わらずにこにこしているその男に言う。
「とりあえず、お名前お伺いしてもいいですか?」
「名前ですか、うーん……」
もしかして個体名称がない星から来たとか言うつもりじゃなかろうか。なんかSFとかでよくある気がする。
「あの、僕はともかくブランチとステムの名前はありますが、地球人の発音器官ではうまく言えないので、僕の名前はあとで一緒に考えてもらってもいいですか?」
「そうきたか……」
このパターンは想定外だったけれども、それこそどこかで読んだSFにありそうだ。ブランチとステムってなんだろう。後で聞いてみればいいだろう。

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