桃井タロウの「友達」になれなかった話

「ユキちゃんってお人形さんみたいだよね」
と言われるたびにわたしは曖昧に笑うことにしている。違うよと言ったら冗談通じないんだからと返され、そうだねと言ったら相手は反応に困ることを知っているからだ。
お人形さんみたいだよね、大きな口を開けて笑わないし、動きも洗練されてるし、いろいろなことを知っているし、テストはほぼ満点だし、なんだって完璧にこなしてみせるんだから、と、彼ら彼女らは言う。
所詮中学生なのになにが『完璧』なのだろうか。本の中にはいくらでも自分よりも優れた存在はいる。完全無欠なヒーローやヒロインたち。世界を救ったり人間を助けたりする偶像たち。でもそれはフィクションだからだ。現実には完璧な人間など存在しない。
そう思っていた。

「今日からこのクラスで一緒に勉強することになった桃井タロウくんだ」
中学二年生の春、五月も半ばを過ぎた頃、担任がひとりの少年をクラスに紹介した。
まず、すごい名前だな、と思った。もし自分が名付け親だったら、桃井という名字にタロウは合わせない。実際クラスもざわついている。桃太郎……? と。ニックネームは確定したと言って差し支えないだろう。
「桃井タロウだ、よろしく頼む」
彼はクラスの雰囲気などまったく意に介さないかのような平静さで言った。頭を下げる。顔を上げる。目が合った、ような気がする。
たぶん女の子たちはきゃーきゃー言うんだろうなっていう感じの、整った顔。読んだことはないけれども、こういうひとが雑誌のモデルとかになるのかもしれない。
それもこれもわたしとは無縁のはなしだ。
わたしは何回も読んだ国語の教科書に目を落とす。何回も読んでいるからおもしろくもなんともない。桃井タロウは窓際の空いた席に通されたようだった。そこにこの前まで誰かがいたはずなのだが、もう覚えていない。

桃井タロウはただの転校生で、気にかけることなどない存在のはずだった。他のクラスメイトたちと同じくらいに、わたしに関係のない存在のはずだった。
そういうわけにはいかなかった。なぜなら。

桃井タロウは完璧だった。

「桃井くん、すごい!」
クラスメイトのミカコが桃井タロウがスリーポイントシュートを一〇回連続で決めるのを見て拍手していた。男子たちは呆然としていた。バスケットボール部のサブキャプテンを務めるショウタは対抗しようとしていたが、タロウのようにはいかなくて、途中で諦めた。
「タロウってなんでもできるよな」
桃井タロウが得意とするのは運動だけではなかった。
「この問題、わかるひと」
数学の時間に先生が教科書に載っていない応用問題を黒板に書いた。
わたしが手を挙げようとした一瞬前に、窓際のタロウが動いた。先生はタロウを当てた。彼は黒板に向かい、チョークを手に取り、淀みなく解答を書いていった。それが正しいことは、わたしにはすぐにわかった。

桃井タロウはスポーツや勉強が得意なだけではなく、ひとの助けになることが好きなようだった。重い荷物を率先して運ぶし、クラスにプリントを配るのだって当番じゃなくてもやる。おかげでこのクラスにはプリント当番がなくなった。
そしていつだってこう言うのだ。
「おれはプリントだけではない。幸運を運ぶ」
「何言ってるの?」
一番前の席でプリントを受け取ったカナエは訝しげに答えた。
「これであんたとも縁ができたな」
彼はテンプレートのようにみなに同じことを言っているようだった。最初はおもしろがっていたクラスメイトたちも、徐々にこの少年のおかしさに気付いていった。彼は縁にこだわりを持っているようだった。それ以外は、まあ、完璧だった。

クラスのみんなは彼のことをロボットみたいだと遠巻きに見るようになった。問題を入力すると正しい解答を返すようなロボット。部活の助っ人には呼びたいけれどもチームメイトにはしたくないロボット。成績は学年トップ、というかテストで満点以外を取ったことがないらしいけれども、だからこそ、人間じゃないみたいな。

桃井タロウは完璧であるがゆえに、ひとに嫌われているようだった。

それを理由にと言ってはなんだけれども。
わたしはなんだか、桃井タロウに親近感を抱くようになっていた。

だってユキちゃんはなんでもできるから、っていう理由で、彼女たちはわたしを仲間に入れようとはしなかった。わたしの力が必要なときにだけ都合よく呼びつけて、そのあとのパーティーには呼んでくれない。だからクラスメイトには最初から興味がない、ということにしていた。桃井タロウも同じように感じているのではないだろうか。

それは夏休み、学校で自由参加の発展的な学習を行うクラスがあり、その帰りのことだった。
タロウは荷物をまとめた後、窓際にいた。わたしは思い切って話しかけてみることにした。
「桃井くんは、いつも、何を見てるの?」
「空だ」
「空を見て、なにか楽しい?」
「楽しくはない。ただ、空はおれを拒絶しない」
そう言うタロウはなんだかさみしげで、なんだ、こいつもロボットなんかじゃないんだ、と、思った。
「やっぱり、さみしいよね」
クラスでは浮いているし、聞くところによるとおせっかいすぎて地域からもクレームが来ているらしい。
そんなの、大変だろうな、って、思ったのであった。
わたしは彼から共感のフレーズが出てくることを期待していた。しかし、その期待は裏切られた。
「おれはあんたじゃない」
タロウは冷ややかに言い放った。わたしは彼が何を言っているのかとっさにはわからなかった。
「え……?」
「あんたのさみしさをおれに投影したところで、なにも解決しない」
彼は教室から出ていった。ひとり残されたわたしは、空を見た。
なるほど、空はなにもしない。桃井タロウのように。

それから桃井タロウとろくに会話をすることがなく、クラス替えになって、わたしは中学三年生になった。
わたしは県でいちばん高い偏差値の高校に進むことになった。てっきり桃井タロウも同じところを目指しているのではないかと思っていたが、入学式の名簿に彼の名前はなかった。桃井タロウがどこの高校に行ったかは知らない。先生に聞けば教えてもらえるのかもしれないけれど、そこまでするほどでは、なかった。
わたしは完璧ではなかった。日本でいちばん高い偏差値の大学に進んで、それなり以上の成績をおさめて、大企業と呼ばれる会社に入った。上には上がいることがよくわかって、自分はそれなりの存在なのだということがわかった。
休日、チャイムが鳴る。そうだ、通販で買物をしたのだった。ジャージを羽織って、玄関に出る。宅配員が荷物を差し出す。
「ハンコかサインをお願いします」
「え、桃井くん」
赤と青を基調とした宅配員の制服を身にまとったそれは桃井タロウだった。顔を見ただけで一瞬で分かったし、名札にもそう書いてある。
「あんたは……ユキか。二年三組だった」
「配達員やってるんだ」
「ひとに荷物だけではなく幸福を運ぶ、大切な仕事だ」
大切な仕事。桃井タロウにとっては、プリントを運ぶのも、荷物を運ぶのも、同じことなのだろう。
「おれとあんたには縁があった。そういうことだ」
帽子をかぶり直して、彼は去っていった。それ以降、彼の姿を見ることはなかった。配達地域が変わることはそうないだろうから、もしかしたらまた出会えるのではないかとちょっとだけ期待していた。しかし、その期待は裏切られた。
わたしと彼の縁はそれまでだったということだろう。

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