雉野つよしの元カノの話

「雉野くん、話があるの」
大学のカフェテリア、二限の時間ということもあり人はまばらだ。もう散りきった桜は葉を青々と茂らせ、ガラスの向こうで揺れている。私たちは毎週火曜日、履修科目のないこの時間に集まることにしていた。テーブルの上にはカフェオレとキャラメルマキアートが置かれている。カフェオレが私の分、キャラメルマキアートが雉野くんの分だ。
「えっ、かなえちゃん、話って……」
淡いピンクのポロシャツを着た雉野くんは答える。
だいたい、こういった切り出し方をするときにはどういった話題になるのかは決まっているものじゃないか、と思ったりはする。
「別れましょう、私たち」
雉野くんは目を丸くして、どういうこと、と、つぶやいた。

私が雉野くんと出会ったのはおおよそ一年前、桜の花咲く新歓のときだった。夕方、もう日も落ちた頃。入学式で偶然隣だった女の子に誘われて、インカレのバドミントンサークルの勧誘ブースにいた私は、同じくブースにいたちょっと小柄なメガネを掛けた男性に声を掛けられた。
「あの……バドミントンに興味があるんですか?」
「いえ、実のところ友人の付添いで」
数メートル先ではサークルの概要の説明を友人は受けているようだった。私は人混みから少し離れて、もらったウーロン茶を飲んでいた。
「ぼくもそうなんですよ。経営なんだけど、友達できなくって……とりあえず人数多いところ行けば誰かいるかなって思って」
不安げに話す男性に、私は明るく声を掛けた。
「ここの一年?」
「あっぼくは雉野つよしです」
「私は遠藤かなえ」
流れで連絡先は交換したが、その後夕食に行くとかもせずに解散した。初対面の人とふたりで食事に行くほどノリは軽くない。
結局バドミントンサークルには入らなかったが、知り合いができたのでよかったということにした。

一般教養の哲学のクラスが偶然一緒になったこともあり、雉野くんとは課題を一緒にやったりとたまに話すようになった。
学食でランチをしながら今日の講義の復習をする。私はトマトスパゲッティ、雉野くんはカツカレーライス。教授がいうところのヤスパースの思想について軽くディスカッションを終えた頃には、スパゲッティは半分以上なくなっていた。
その後、雉野くんはそういえば、と尋ねてきた。
「法学部ってことは弁護士志望?」
「うん。高校生の頃からずっと、法学部狙ってて」
国立の法学部に入るために、高校一年生から志望校を絞って勉強してきた。浪人することもなく入れたのは運もあろうが、自分の力で成し遂げたのだと誇りでもあった。
雉野くんは目をキラキラさせながら答える。
「えー、すごいなあ。ぼく、なんとなくで経営にしちゃって。家族もその辺にしとけって言ったしね。ぼくなんか得意なこともないし、せめて社会に出たときに役に立つようにってさ」
「どの学部だって、やりたいことは見つかるよ。大丈夫」
「司法試験受けるってことでしょ? 応援してるよ」
うん、がんばってね、と自分のことのように言う雉野くんは、とてもやさしいひとなのだろうと、そのときは思っていた。

正直なところ雉野くんが告白してきたときは驚いた。顔を真っ赤にしてぼくと付き合ってくださいと頭を下げるドラマみたいなことをしてきた。
顔は悪くないし、気のいいひとだ。付き合ってもいいかもしれない、と思った。

そう、それから。
雉野くんは「いい彼氏」になった。
行きたい場所はどこへでも連れて行ってくれるし、履修の空き時間も合わせてくれるし、彼の苦手なスープパスタだって、私がいれば食べてくれる。
だけど。
だからこそ、雉野くんとこの関係を続けるわけにはいかない。

雉野くんはキャラメルマキアートを飲もうとして、手が震えて、こぼしそうになっていた。
「なんでそんな、いきなり」
「だって、それとなく伝えたって、わかってくれなかったから」
ちょっと会う頻度を減らそうとか、遊びに行く機会を減らそうとか、言ったけど大丈夫、勉強はちゃんとやってるからの一点張りだった。
そういう問題ではないのだ。
「この服だって、かなえちゃんが選んでくれたものじゃないか」
ピンク色のポロシャツ。お世辞にもファッションセンスがあるとはいえなかった雉野くんのために、全身コーディネートしてあげたうちのひとつ。
あの頃は楽しかった。
「そうね、だから私たちは一緒にいないほうがいいと思うの」
どういうこと、ねえ、理由を聞かせてよ。雉野くんは私の目を見て言った。
「だって、このままだと、雉野くんは私とか、他の人に喜ばれるためだけの人生を送るでしょう?」
雉野くんは私のことを何よりも優先してくれる。私の夢を応援してくれる。
雉野くんは家族のことを大事にする。家族に言われたからこの大学に入るために勉強したのだという。
でも。
人間は人間によりかかるようにはできていない。存在価値は自分の中にしかない。いっときそういうこともあるかもしれないけれども、ずっとその状態でいるわけにはいかない。
「それの何が悪いっていうんだ」
紙コップを両手で抱えながら言う雉野くんは、何も疑ってないようだった。私たちの会話の内容を察したのか、隣のテーブルのひとたちは別の場所に移っていった。
「本気で言ってるの」
「こんなときに嘘なんかつかないし、かなえちゃんに嘘ついたことないよ……」
雉野くんは目を伏せる。
「私も別に雉野くんのこと嫌いなわけじゃないからね」
「じゃあなんで」
他に好きなひとでもできたんならちゃんと言ってよ、と、雉野くんは言う。
私は首を横に振って、
「……こんなの、よくないよ」
「え?」
「まだ大学生活半分も終わってないよ。雉野くんは、雉野くんのやりたいことをやったほうがいいって」
私は雉野くんに夢を見つけてほしかった。この大学に来ても何もやりたいことがないなんて、もったいないからだ。たくさんの学びの場があって、たくさんのひとと出会える。ここでなら、きっと、雉野くんだって何かを見つけられるはずだ。
雉野くんはなおもまっすぐに答える。
「かなえちゃんのためになるのが、ぼくのやりたいことだよ」
「……そう」
この男は本気なのだろう。
なら私にはもう何も言うことはできない。
私は荷物をまとめ、半分ほど残ったカフェオレを手にテーブルから離れる。中身はもうすっかり冷めていた。
どうしていつもこうなるのかな、かなえちゃんとはうまくいくって、思ったのに。
彼が小さな声で言うのを、私は聞かなかったことにした。

2022-04-25

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