君の背中に翼はなくて

初夏にさしかかり、陽光も瞳に眩しくなってきたころ。特にすることもなく、猿原真一は縁側でコーヒーを飲んでいた。喫茶どんぶらで販売していた特製ブレンドだ。販売とはいうものの、もちろん金は払っていない。時宜にかなった俳句で許された。あの店のマスターは風流をきちんと理解している。
昨今流行りの酸味の強いものではなくて、どことなくオールドな苦味を感じるもの。ミルクを入れるのも悪くはないかもしれない。チョコチップクッキーも合うだろう。今度作ってみよう。
この平穏な午後が脅かされず、突然戦闘に呼び出されることがないことだけを祈っている。ここ最近、真一は敵と戦うために生活の途中に空間を超えて移動させられることが多かった。もちろん自らの意思で変身することもできるが、たいていの場合は、呼ばれる。
ついでにロボットに変形できるようにもなった。ついでに仲間たち――イヌの正体は未だにわからないままだが、どうにかなっているので問題はないだろう――と合体するようにもなった。
真一はこの事態を嫌ってはいなかった。『身体』が分割されて腕になるときも、戦いで損傷したときも、痛みもなにもなく、変身を解けば元に戻ることだし。
そんなことを考えつつ、風にそよぐ枝を見ながら、コーヒーを味わっていたら、玄関の方からシロクマ急便ですとの声がする。
知っている声だ。

飲みかけのコーヒーを縁側に置いて、玄関に向かうと、赤と青の制服に身を包んだ桃井タロウが段ボール箱を持って立っていた。送り主は先月マンションの建て替えについてアドバイスをした近隣住民であった。品名には舞茸とある。
「サインをお願いします」
今の彼は仕事モードのようだった。真一がいつも会っているときのようなあのぶっきらぼうな雰囲気ではない。玄関においてあるボールペンで一筆記す。箱を受け取って、玄関の脇に置く。
桃井タロウはそのまま立ち去ろうとする。仕事が終わったのだから当然だ。真一はその後姿に、そこはかとない違和感を覚えて呼び止める。
「君、背中が痛むのか?」
「背中は痛くない」
その瞬間に、彼は仕事モードではなくなった。振り返り、真顔で真一を見据える。
真一は『困っている人』の手助けをすることが多い。その困っている人の中には当然、身体的な問題を抱えている人間もいる。現在のタロウの様子はそれに近い、ような気がする。
とはいったものの、桃井タロウは嘘をつかない。というより、つけない。嘘をつくと死んでしまうらしい。タロウは今生きているから、彼の言はすべて真と解釈するべきである。ならば背中は痛くないというのもほんとうだろう。
だけれども、真一には背中のあたりが痛いように見える。ならば答えはひとつだ。
「君、『翼』が痛むのか」
「ああ」
「何故言わない」
「誰も聞かなかったからな」
桃井タロウはあっさりと言う。
先日の合体したあとの戦闘の際、たしか右の翼のパーツに被弾したことがあった。そこを担当している雉野つよしももちろん、自分と同じように痛みはなかっただろう。
ただ、ダメージはあったはずだ。ダメージを認識しないのは、生命にとって危険なことである。
ならそれを誰が感じているのか?
「合体している間は――おそらく、文字通り、私たちは君の手足ということなのだろう。手足は何も感じない。感じるのは脳だ」
真一はタロウを指さした。タロウは真一の問いに対しては何も答えなかった。その代わりにこう言った。
「痛みがあるだけだ。身体を動かすのに支障はない」
なるほど、大分重症のようだ。世間とのズレが。
「そこに座るといい」
真一はタロウを框に座らせた。それから、タロウの背中側に回って、手をかざした。
「……何をしている」
「手当てだ」
タロウは首を傾げる。
当然ながら、彼の背中に翼はないが、傷んだそれを、真一は見たような気がしてならなかった。存在する傷ならば、包帯を巻いたり、湿布を貼ったりすることができる。存在しない傷に対して、真一にできることがあるとすれば、これだけだ。
「手当てというのは気持ちの問題かもしれないが――何もしないよりはマシだろう」
「何も感じないが」
「だろうな」
そう、これは真一の気持ちの問題なのだ。痛みを感じる人間に対して無力であるというのは、真一には、耐え難いことだから。
「まだ今日運ばなければならない荷物がある」
タロウは立ち上がった。真一はタロウの背を見送ることしかできなかった。おそらく、縁側に置かれたコーヒーは冷めていることだろう。

2022-05-29

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