あらゆる宇宙と次元が崩壊してから三日が経過したが、時間という概念も消え失せてしまったので、それを三日と呼ぶことができないことを読者のみなさまもご存知だろう。そういうわけでここには何もなく、何もないなら物語が始まるわけがないのだが、ここにこうやってテキストが書かれている以上、何かがあるのである。その何かはこちらに向かって手を振っているような気がする。それはヒトに似たかたちをした銀色の身体を持ち、金色に発光する頭部を有している。
太陽がもはや存在しない以上、太陽よりも太陽な巨人、タローマンである。
タローマンは孤独であった。この世界に生命体や物体が存在しなくなったからではない。そもそも、タローマンは常に孤独の中に身を置いていた。でたらめ8兄弟も彼のきょうだいではない。孤独こそ人間が強烈に生きるバネだ。そう、岡本太郎も言っていた。とはいえ、タローマンは遊ぶものでもあった。タローマンはヒトで、ビルで、奇獣で、地球で一生懸命に遊んでいた。たまに飽きることもあった。有為転変のプロセスそのものの中に、タローマンは生きていた。
しかし、タローマンがまばたきしている間に、世界も、宇宙も、姿を消してしまった。タローマンの瞳に瞼はない。ゆえに、まばたきすることなどない。そのはずだったのだが、タローマンは不可能なことがあればあるほど燃える性質であるので、それを可能にしてしまった。タローマンが目を閉じたのはほんの一瞬である。彼はそのとき真の暗闇を見た。そして、極彩色の世界に戻りたいと思った。だから目を開けた。
タローマンのまばたきと世界の終わりに相関があるのかは定かではない。そんなことは問題ではない。何もなくなってしまったことが問題なのだ。タローマンの遊び場が。
タローマンがでたらめをやるのは、誰かのためではない。自分自身のため、いや、目的などないのであった。目的を持った瞬間に、それは目的のための行動に成り下がってしまう。だから、タローマンはこの状況においても好きなことをやっていた。何をしても何も破壊されないのだから、世界にとってはそのほうがよいのかもしれないけれども、その良し悪しを判定する世界がなくなった今、価値判断に何の意味があるというのだろうか。
宙返りをして三点倒立で着地したタローマンは、ふと静止する。
あることに気がついたのだ。
この世界からタローマン以外の何もかもが消え去ったと思っていたが、そんなことはない。
ここに、タローマンを観測しているものがいる。そう、読者のあなたである。
タローマンは首を傾げる。三点倒立した状態で首を傾げたので倒れるが、タローマンはそのような些事を気にしない。
タローマンは推測する。タローマンは物事をありのままに見つめるので、真実に到達することができる。
あなたは、タローマンに終わらないでほしいと願ってしまった。タローマンは大人気コンテンツである。70年代特撮の映像が見つかったという体ではじまったこの番組は大ヒットし、2025年には映画にまでなった。
あなたはタローマンのグッズを集めた。配信で何度も本編を見た。なんなら「存在しない本編」の存在を夢想することすらあった。なのにタローマンは終わってしまう。
あなたは願ってしまった。タローマンが永遠に存在してほしいと。それはふとした願いだったのかもしれない。ただ、本当の願いだった。だから、タローマンを動かすには十分だった。タローマンは自分が永遠に存在するなどという安定した人生を許さない。それゆえ「タローマンの世界」ごと消え去ってしまうことにしたのだ。
実行しようとしたそのとき、タローマンは思い出した。
世界ごと消え去る前にやることがある、そう、まばたきだ、と。そしてタローマンが目を閉じている間に、世界が消え失せていたのだった。
すべてを思い出したタローマンは、すっくと立ち上がって、存在しない地面に立ち、あなたを見る。
タローマンはあなたを爆破しない。
ヒトは爆破するまでもなく、いずれ生命を終えるからだ。
そのかわりにあなたを見る。
あなたがその視線を覚えている限り、タローマンは存在する。あなたが寿命をまっとうする瞬間まで。
自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ。
そう、岡本太郎も言っていた。
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