Chained Heat! - 3/5

隣の男がうるさい。アーロンは左手で頭を掻こうとしたがそちら側は使えないのであった。いやことばがうるさいというよりも思考がうるさい。聞こえるわけじゃないがもしも何の因果か手錠で繋がれているこの男にイマジナリー尻尾があればぶんぶん振りながら歩いてるんだろうなというのがわかる。
目を丸くしたり口を大きく開けてみたり両手を合わせて指先をくちびるに当てたりすべての所作から意味を読み取るそれがアーロンであった。ルークとは違った理由と意味合いでひとをよく観察するそれが習いであった。アーロンの大きな犬相手ならなおさらだ。
犬ならリードに繋がれていればいいものの、こいつはどちらかというと散歩させようとする飼い主をぐんぐん引っ張ってどこか知らないところに連れて行くタイプのいきものだ。
さっきだってそうだ、手錠をカモフラージュするために手を繋ごう!! と得意げなルークにそんな必要あるのか? とは言い出しにくかった。
あのアーロンともあろうものが!
心なしかルークのてのひらはいつもよりもあたたかかったような気がした。緊張しているなら手先が冷えるだろうから、リラックスしているのはいいことだけれども。
結局袖掴めばいいだろとは言ったけれども。
その時のルークの様子といったら。
動画にでも撮っておきたかった。この男にイマジナリー耳があったらしおれていたことだろう。尻尾も見るからに元気がなかった――耳も尻尾もないけれど!

だいたいエリントンスイーツコレクションって何だったんだ。
今朝からそうだった。
いやデートの誘いではあったのだろう。ふたりで何かをするのはだいたいデートだ。でもフードファイトっていうのはどうなんだ。ルークの誘いなら、そしてそのスイーツとやらがそこまで甘くないなら、付き合ってやるのも悪くはないのだが。
色気より食い気というのはこいつのためにある単語だろう。アーロンも食べるのは好きだ。どちらかというとタンパク質の担当だが。ルークは糖質の担当。
いやそうではなくて、核心に迫りたくなくて遠回りしているような気がする。
平たく言うと一度寝てしまってからルークといるとどきどきする。どきどきするというか目のやり場に困る。きちんと見ているはずなのに蜃気楼か何かを観測しているような気分になる。真実ばかりが横たわっているはずの現実から断片的な感情だけが立ち現れる。
ティーンの童貞かよ。
どちらにも当てはまらないが、この状況は典型的にはそれだ。はじめての性体験で舞い上がっちゃうあれだ。アーロン自身にそういった時期があったわけではないが、平和な国の平和なフィクションにはそういうことがよく描かれている。
一度のセックスで何が変わるんだよ、と思っていた。今でもそう思っている、じゃあ今どうしてこうなってる? 手をつなぐだけでこんなに胸が苦しくなる? やわらかいくちびるの感触がありありとよみがえる? わずかな汗の匂いにこの前の夜を思い出す?
誰でもない彼だからこそ、こうなって、誰でもない彼だからこそ大事にしようとしてどこまで、何を、どうやって、手で触れていいのか、求めていいのか、戸惑っている。ぜんぶ奪えばよかったあのころ、あるいはぜんぶ与えてしまったあのころ、それらとは違う現在、晴天の下を並んで歩くふたりにふさわしいだけの対価。
要するにアーロンもルークとの距離を測りかねていた、頭を撫でてやろうとしたときそこにちゃんと頭があるだろうかとそこはかとない不安を抱くような、皿を洗っているときに一瞬手から滑り落ちそうになるとか、まぶたを開く寸前、彼が、『そこ』にいるのだろうかと思ってしまうとか。
これまでうまくいっていたしこれからもきっとうまくいくだろうけれども、何か、何かが違って、どうすればいいのか、わからない。
あるいは理解しているのに言葉にしていないだけか。

なにはともあれ爆弾だ。切り替えが上手くなくてはアーロンだってここまで生き残れてはいない。爆弾事件を解決する。意味のわからない要求をしてきた犯人をできたらボコボコにする。その後にいろいろ考えなければならない、ということにして、ごちゃごちゃした思考を一旦整理する。

「えっと、次行くのはスーパーマーケットか」
ルークは片手でタブレットを操作しながら歩く。ずいぶんこの状況にも慣れてきたようだ。アーロンは変わらずルークの左袖を掴んでいたが、人通りも少なくなってきたことだし、もういいかと離す。
そうすると、ルークがこっちを見て「何かあったか?」と言わんばかりの目で見てきた、ような気がした、というかアーロンにはそう受け取られたので、慌ててアーロンは袖を掴み直す。ルークのイマジナリー尻尾が元気になった。みたいだ。
アーロンはルークのタブレットを覗き込む。現在地を示す点は着実に目的地に向かっている。
そのとき、近くで悲鳴が聞こえる。女性のものだろう。ふたりは迷うことなくその声の聞こえた方向へ走った。ルークがアーロンの手を掴む、そのほうが走りやすいのかとアーロンは諒解する、わざわざ言葉にすることがなくとも。
路地を入って右、もう一回右、そこには複数の男性に白い車に押し込まれそうになっている女性の姿があった。
明らかに、誘拐だ。今日は事件に巻き込まれる日なのだろうか。
「そのひとを離せ!」
ルークが叫ぶ。
「助けてください!」
彼女はルークたちに必死に手を伸ばすがみるみるうちに覆面の男たちに車に詰め込まれてしまった。ふたりは走っていったが、犯人たちはそそくさと車に乗り込み、エンジンをかけてしまう。発進する車。
アーロンは辺りを見回す。すぐそばに一台のバイクが置いてある。ご丁寧にヘルメットもふたつ、ちょっと外すだけだからここに放置してもいいと思ったのだろう。緊急事態だ、後で返せばいい。
バイクに近づき、ポケットから針金を取り出してロックを外す。このくらいなら左手でも簡単だ――というか、怪盗ビーストなどどちらの手でもでこの程度できなければ務まらない。
「行くぞ、ドギー」
バイクに跨る、ルークも座れるだけのスペースがあってよかった。ルークの左手がアーロンの右手に重ねられ、ルークの右手はアーロンの腰を掴んでいる。
「アーロン、ヘルメット!」
「この状況で安全運転も道路交通法もクソもあるかよ」
ちなみにいらないところで捕まらないように国際免許証は持っている。
ルークは後ろからアーロンの頭にヘルメットをかぶせてくる。
顔が見られないということはこの状況ではむしろ好都合かもしれない、とアーロンは思い直す。どこから犯人が監視しているのかわかったもんじゃない。アクセルを押し込む。二人乗りは危険? 道路交通法なんか知るか。
狭い路地だ、小回りの効くバイクのほうが有利。みるみるうちに犯人たちの車との距離を詰めていく。左に急カーブ、まだ追いつける、右に曲がる。
「――エリントン大通りじゃないか」
ルークのくぐもった声が後ろから聞こえる。
急に視界が開ける。歩道を突っ切る車を追う。さいわいなことに歩道にひとはいなかった。
信号を無視しながら爆走を続ける白い車に、周りの車はクラクションを鳴らす。車の間を縫いながらバイクは走る、あいにくこういうのなら逃走劇で慣れてるんでな、とアーロンはハンドルを切る。
このあたりでカーチェイスは終わりにしたいんだが、と思っているところで、街頭モニターのある大きな交差点にさしかかる。
白い車の窓が開かれ、中から犯人のひとりが何かを持ってこちら側に向けてきた。
あれは。こんなところに出しちゃいけねえモンだろ。
「何考えてやがるんだ――」
アーロンは思わず呟いた。
「え、ロケットランチャー!?」
ルークが驚くのも無理はない。あれは戦車でも撃つときに使うものだ。当たったらひとたまりもないし、周囲にも被害が出る。
しかしその驚きも瞬時に収まった、背後の空気が研ぎ澄まされるのがわかる、犬が牙を研ぐときのそれ、アーロンにも真似のできない集中力。
何が起ころうとしているのか、ルークが言う前に、アーロンはわかった。
「――あの車のタイヤを撃つ」
ルークは懐から拳銃を取り出す。銃を握った右手を、ハンドルを持つアーロンの手に重ねている左手の上に置き、照準を定める。ルークが右に身体を乗り出すことによりバイクの重心が右に寄り、傾こうとする。それをアーロンは体重を移動させて最小限に抑えようとする。
アーロンにできるのは運転を安定させることだけだし、それ以上のことは必要ない。
ルーク・ウィリアムズが外すわけがない。
ルークは引き金を引く。アーロンの手にも伝わる軽い衝撃、弾丸は犯人たちの車の右後輪に命中する。白い車は大きく揺れ、減速を始める。ただ、ロケットランチャーを構えた男はこちらをまだ狙おうとしている。死なばもろともというところだろうか。大きな迷惑だ。
この距離なら――
アーロンはフロントブレーキを掛ける。ストッピー。後輪が思いっきり跳ねる力を利用して、
「飛ぶぞ」
後ほどルークが語ることには、重力って存在しないのかもしれないと思った、とのこと。アーロンの腰にぎゅっとしがみついてルークは高く、高く飛んで、永遠のような滞空時間の一瞬にアーロンは鉤爪を左手に準備して、降下する勢いと共にロケットランチャーを切り裂いた。
弾を破壊したらひとまず安全だろう。止まった車から三人の犯人が逃げようとしている。
ルークは車の中を確認する。ロケットランチャー以外にはライフルや拳銃がいくつか転がっていた。
「アーロン、犯人たちはまだ武装しているかもしれない」
アーロンはああ、と短く答える。ふたりは走り出す。案の定、ひとりが拳銃をこちらに向けてきた。それを目視したルークは言う。
「あと三秒したら一瞬止まってくれ」
一、二、三、ストップ。銃声。
ルークは犯人のひとりの銃を弾き飛ばした。普段のスタイルとは違う、片手撃ちで。
他の構成員は銃器を持っていないようだ。アーロンたちは犯人たちがひるんでいるうちに歩を詰めた。鉤爪を使うまでもなく、拳ひとつで、あとはどうにかなる。

「ぜんっぜん、手応えねえな」
「まさかあんなものが出てくるとは思わなかったけどね……」
確かに平和なはずのエリントンでロケットランチャーを見る予定はなかった。アーロンが初めてエリントンに来たときにも犯罪に巻き込まれたのだから、まあ、そういう街なのかもしれないが。
でも、とルークは言う。
「あのひとが無事なのが一番だよ」
車に押し込まれた女性は地面にへたり込んでいた。ふたりはそこまで歩いていき、ルークが手を差し伸べて立たせる。
大通りということもあり、この大立ち回りに周りに人が集まってきていた。ルークは、
「警察を呼んでください」
と呼びかける。そのうちのひとりが連絡をしてくれたようだ。
彼女に怪我はなさそうだ。何かを取られたということはないかとルークが尋ねたが、そういったこともないようだった。
「ありがとうございます!」
と彼女はふたりに言う。ルークは当然のことをしたまでです、と答える。
そうこうしていると、すぐにパトカーのサイレンが聞こえてくる。
この制服はエリントン地方警察だろう。国家警察のほうじゃなくてよかった、とルークは胸をなでおろす。一般人だと思ってくれたほうがこの場はありがたい。
「あとは警察におまかせしましょう」
地元警察にひったくり犯を引き渡し、
「今は急いでいるんですけど、後で事情はお話するので、こちらにご連絡ください」
ルークは警察官のひとりにメモを押し付けて、現場を足早に去る。
バイクはヘルメットと共に置いておいた。そのうち持ち主に連絡が行くだろう。

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