むやみやたらに世界を移動しないほうがいい、それはオタクのおれも科学者のおれもよくわかっている。バタフライエフェクトが最たるものだし、なんならバック・トゥ・ザ・フューチャーばりの尻拭いをするはめになる。まあでも、このくらいは、問題ないだろう。だって文通だぞ?紙の束だ。検閲もしてない。当然だ。友人の手紙を覗くやつなんかいるか?ジェシーとウォリーがかわいらしい文通を始めようとしたとき、ハリーは苦い顔をしていた。多分むやみやたらに世界を移動しないほうがいいっていう理由じゃないと思う。
「オーケーじゃあ届けとく」
「いつもありがとう」
「コーヒーよろしくな」
ウォリーから小さな封筒を受け取って、世界を渡る準備に入る。集中して、しかし思考の熱量を上げて、アース2への穴を開ける。手を振るウォリーがぼんやりとしてくる。可能性の拡散した状態。視界は青に染まってきて、何もかもが現実じゃないみたいで、実際現実ではないのだ。最初は驚いていたけどもうこんなのはアスファルトの道を歩くのと大差ない。今ならどこにだって行ける。アース2の、ラボへと向かう、道標がこっちとはちょっと違うコーヒーの香りだということはあまり深く考えないでいたい。
「はーい着きましたよアース2へ。誰かいる?」
答えはない。
転移先はいつもハリーのラボにしている。ジェシーの私室に勝手に入るわけにもいかないし、ラボに彼女がいることも多い。今日はそうではなかったみたいだ。透明なボードに白いペンで数式が書かれている。ハリーの文字。ざっと読んだ限り、多次元宇宙を構成する諸原理についての考察だ。だけど、この分だとうまく行っていないみたいだ。最後の最後でえらい矛盾が発生してしまっている。これだと世界を救うどころか爆発してしまうだろう。ちょっと考えたけれども、この変数でいいのかおれにも判断しかねる。上からジェシーのコメントが添えられている。『初期条件を見直したら?』
えっと初期条件を見直す?ハリーもそれには苦戦したみたいだ。従属変数を変更すると……
「また壁に物を投げるつもりか」
「うわっハリー」
「珍獣みたいな扱いはよせ。また郵便職員の真似事をしているのか」
振り返るとハリーがいた。ラフなシャツスタイルで、湯気の出ているコーヒーを片手に持っている。コーヒーブレイクの途中に来てしまったのだろうか。
「うん、まあ、そんなところだ」
ハリーはおれの手から手紙を取り上げる。
「これならジェシーに渡しておく。ラモン、きみは帰れ」
「はいはい、すぐ帰るつもりだったよ」
「たまにならいいが、こう頻繁に文通をされては時空連続体に歪みが出る可能性がある」
「わかるけどさ、これってそんなたいしたことないだろ、たかだか100グラム以下の物質の移動だ。恒常的に人間が滞在するわけでなし、おれがひとを撃つわけでなし」
「そうとも言える」
うわーいつもクール。クールじゃないときのほうが珍しいけれども。
「だからさ、おれにだって郵便屋さんをやりながらあっちとこっちでコーヒーを飲む権利くらいあると思うんだよね」
「さっきちょうど豆を切らしたところだ」
「ですよねー」
物事を断るときの常套句――とはいってもハリーはそんなくだらない嘘はつかない。それってもしかして豆があったらコーヒーくれたってこと?ハリーにしてはやさしいことだ。だなんて言えずにおれはアース1に戻る。じゃあな、また来るよ、手紙を持って。
アース1に戻っても大して時間は経過していないし、おれにはおれの仕事がある。解析済のデータがあるはずで、まずはそちらをチェックする。数字の羅列を解釈していくうちに、ひとつのアイデアが思い浮かぶ。
「うわもしかしてこれあれじゃん?」
「どうしたのシスコ」
ケイトリンには不審がられたけど、ああ、それだ。
さっきのあの式。ハリーの書いていた多次元宇宙の定義式、それって前提も推論も正しいけれどもデータに不足があったのでは?というところにたどり着いてしまった。ひらめきというのは自分の自由にならなくて困るよな。
さて、このことを伝えにアース2へ向かっていいのか、多少疑問が残るけれども、ついでにコーヒーを飲みに行くので許されないだろうか。今度は豆をストックしておいてくれよ。
2019-06-23
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