落日の王国、白夜の英雄

極圏には日が沈まない季節がある。
太陽はぎりぎりまで水平線まで接近し、そこで推移し、また昇っていく。夕焼けと昼の連続した夜のない土地。大気は冷え切ることはなく、地表はうすぼんやりとした暗さを持ち、ひとびとはそこに生きる。
夜のない土地に、もはや月は必要がない。昼の空にある月ははかないものだ。たゆたうクラゲのように透明で、あるのはわかるけれども、存在感はまるでない。
光の影は濃くなることはあろうが、夜の闇と同化することはない。一定のつめたさを持ちながら人々は影を携帯する。夜のない土地には中点の太陽も力を制限されている。あたたまりすぎることも冷えすぎることもない大地。海の向こうを眺めたって沈まない太陽。時計でしか区切られない時間。そこにどうやって暮らすのか、考えたことがなかった。
かつて父は言った。「私たちは日の出のリズムで動いている機構だ。そうでない土地に住むひとびとは、私たちと異なるリズムで生きている。違うリズムに身を浸しても、同化できるわけではない。生活の表面は似通っているだろう。しかし人間は表面ではない。壁時計と腕時計が同じ時を刻んでいるが、それぞれクオーツとゼンマイで動いているように」
水晶の振動数を利用して時間が作られていることを、幼い私はすでによく知っていた。応用することもできた。ゼンマイ時計なんてもっともっと昔に通り過ぎたものだ。
ただし、古い技術であることは実用性がないという意味ではない。電波時計くらいまでなら一般家庭に存在してもよいことだけれども、普通に生活するために原子時計を使う必要はまったくない。数秒ずれていたところで、待ち合わせ時間に遅れることはあまりない。そもそもその違いがわからないのだから。なんなら平気で数分ずれていることもある。
それでも生活はできる。
だからどんな技術で動いているかなんてどうだっていい。
だとしても、違いはある。
たとえば耐久性とかに。
要するに、外側のアーマーで動いている私たちと内側の強靭さで動いている彼と、まったく同じということはできないのだ。受けた訓練だって違う。どうやって生まれたかも違う。同じところを数えるほうが難しいほどだ。
なのに私たちは同じカテゴリに属すとされた。上弦の月と下弦の月を同一視するように――もっともこれは、同一と言っても差し支えないけれども、このくらいのカテゴリ分けでいいならみんな『人間』だ――同じものなのだ。
それゆえ彼は極地にいるのだろう。実際のところ極地にいるのかはわからない。調べればわかると思うが、調べようとしたことがない。

しかし、彼にとってみれば、そして私にしてみれば、彼のいる場所は常に白夜だ。
太陽――正義が常に、存在する場所。

スティーブ・ロジャースが姿を消してからもう3年になる。
世界は平和だった。
平和の定義をどのくらいにするかによるが、少なくとも人類の集団内外での争いは発生しなくなった。宇宙人や危ない機械やそのようなものの襲来の結果、人類がばらばらになっていたらすぐに滅びてしまうと、ようやく気付くことができたのだ。そう思えば、あれらの存在には感謝しなくてはならないのかもしれない。
小競り合いはまだある。私怨による犯罪は存在する。それらが大きな単位になる前に、SHIELD――国家横断的非国家的地球防衛組織となった――は解決できるようになった。
宇宙の彼方、次元の隙間、世界の外側からやってくる敵には今でも対応しなくてはならないけれども、それらは専門職の仕事だ。
ヒーローではなくて。
アベンジャーズも必要はなくなった。それぞれ自分の仕事に戻ったり、国に帰ったり、星を守りに行った。戻った先が戦場であるものも多かったが、それならそれで地続きの日常なのだ。
そしてスティーブ・ロジャースは姿を消した。
彼には戻るべき日常がなかった。からだと思う。理由は知らない。

トニー・スタークはモニタをひとつ閉じてため息をつく。また宅配便だ。送り主不明の。
送り主が不明ということで、トニーにとっては送り主が明白である。
ロボットアームたちがトニーに代わって箱をラボまで送り届けてくれる。アームから箱を受け取る。ずっしるとしている。開けなくてもなんとなく中身はわかるので、そのままにしておく。
どうせ至急ではないのだ。至急なら電話の一本でも入れてほしい。

その中には負傷したコスチュームやらシールドが入っているはずだ。大きさ的にシールドはないかもしれない。シールドを修理するのはそれなりに骨の折れる作業なので、なくてよかった。
それ以前に、シールドのない彼は、彼としてはたらくことができないだろうから、そこまで大事でなくてよかったと思ってしまう。

トニー・スタークはそれがキャプテン・アメリカからの荷物だということを疑わない。

キャプテン・アメリカのコスチュームについてスティーブと話し合ったことがあった。多少なりとも美的センスがあれば一度は経験することだろう。
「国旗なんて着ていてどうするんだ。他の国に行ってまでもこれが星条旗だって見せつけるつもりか。異星人はアメリカの国旗なんか知らないぞ」
「それじゃあ他にコスチュームがあるとでも?」
「モノクロのやつとか、緑と赤のデザインとか、盾を使わないとか、いろいろあるだろ」
「きみはそれを着たわたしが見たいのか?」
「あまり見たくはないな」
「そういうことだ」
どういうことだったんだろうか。今でもキャプテン・アメリカは星条旗を背負って『ヒーロー』をやっている。

アベンジャーズが解散した後もたまにメンバーに会うことがあった。年に一度のパーティーにはソーも現れることがあったし、シュリがニューヨークに用事があるとピーターを連れてラボに来ることも多かった。
一番よく会うのがバナーだ。そりゃあまあ、彼の研究分野はプロダクト制作にも関わることが多いから、論文を読むことがある。わからないことがあったら聞けばいいし、一緒に研究もできる。
ついでにブルーベリーを食べながら世間話もできる。
そういうわけでバナーはトニーのラボに遊びに来ていた。査読付き論文がアクセプトされたことだし、次の論文の研究対象探しも兼ねて最新式のロボットアームがどうなっているのか見に来たのだ。
バナーがゲートにやってきたのを見て、トニーは解錠すると同時に、おもてなしプログラムを実行する。
なんてことなはい、深煎りコーヒーを作るだけのことだ。
「やあ、きみときみのアーム、それからアーマーたちは元気かな?」
コーヒーがドリップされたくらいのときにバナーはラボにやってきた。
「見ての通り完璧だ」
「コーヒー豆変えた?」
「フライデーに任せてる」
「あとでソースコード見せて」
フライデーを搭載するのは普通のコーヒーメーカーには無理かもしれないが、それを単純化したニューラルネットワークならどうにかなるかもしれない。バナーは次の論文はこれでもいいかもしれないと思う。
「こうやって研究と実践だけやってられたらどんなにいいか」
バナーにとって、研究が自らの本分だった。これまでやってきたアベンジャーズとしての活動は、必要に迫られてやっていたものだった。もちろん、社会貢献としての意義は認めているけれど、街を破壊するモンスターであることは、あまり研究に寄与しない。
「ああ、でも、新しいアーマーは作らなくっちゃいけない。SHIELDが最近うるさいんだ」
トニーはテーブルの天板の下から常備しているブルーベリーの袋を取り出す。
「そんな事する必要はないんじゃないか」
「必要がない?」
「なあ、トニー、きみはエンジニアだ。僕は科学者。技術の発展が、理論の進展が、どうして世界を救わないだなんていえる? この世界を守るためには、必ず前線に出なくてはならないのか?」
「あんたの緑のおともだちはどう言ってる?」
「まあ、そうだね、多少、破壊を必要とすることもあるよ。科学者としての僕には必要がなくても、『彼』には必要だ。ついでに彼は僕だし、多少、破壊を必要とするんだろうな」
「要するに、たまには宇宙からとんでもない軍団が攻めてきたっていいってことだ。どうせ僕らは勝てるのだし」
「それ、あの頃も思ってたか?」
「いや、まったく」
ふたりは笑う。あの頃はとてもじゃないけど笑えなかったけれども、今なら神の弟とか空の裂け目とかは、彼らではなくても安全に対応できる案件だ。

「ところで、スティーブはどこにいるんだ? 引退して平和な生活を送れるようには、あまり思わないけれど」
バナーはトニーが手に持つ袋からブルーベリーをひとつつまみあげて言う。
「そうだな……たまに、俺の預金口座から引き出しがあったりするんだ」
「なんて?」
「それから、ぼろぼろになったシールドやらマスクやらが届く」
「それを」
「直して送り返してやるさ。まったく、不明な宛先人からのプレゼントは基本的に断ってるんだがな」
「えっとそれは、きみはスティーブと連絡をとっていて、送金してやっていて、装備を直してあげていて、彼はまだヒーローをやっているってことかい」
「かなり近いが、それは違う。第一に、私は彼と連絡をとっていない。勝手に荷物が送られてくるだけだ。第二に、俺は送金してない。預金口座をひとつ渡してやっただけだ。第三に、ひとことのテキストメッセージさえ送られてこない。未だにスマートフォンの使い方がわからないだなんていうのか?」
「最後のに関しては、そうでもおかしくはないけど」
「そうだろうな、電話の掛け方くらいは覚えておいてほしいが。飲食店でバイトする方法も覚えてほしい」
「YouTubeに赤と白と青の滑稽なコスチュームを着た男が銀行強盗をボコボコにする動画がある」
「もちろん本人が撮ってるなんてありえない。だが周りの奴は撮る。それから何も考えずにアップロードする。そうやって我らが英雄キャプテン・アメリカの活躍を知るってことだ」
「いいじゃないか、元気にやってるみたいで」
「彼はもう軍人じゃない。もし軍人だったとして、これは軍人の仕事じゃない。警察の仕事だ。個々人の争いだからな」
「ヴィジランテってやつかな」
「まあそれが一番近いだろうな」
「どうして」
どうして、それはトニーの一番聞きたいことだった。どうして彼はまだ戦地にいるんだ。戦争は当分起きそうにないのに。人類感の戦争は。あるとしたら宇宙人だろうし、宇宙人と戦うときにもう、キャプテン・アメリカは、呼ばれないかもしれない。

だからトニーはひとつのたとえ話をバナーに語ることとする。
「たとえば――たとえば、ここに時計があるじゃないか。壁掛け時計だ。これは時間を知らせるためのものだけれども、ここで私がいきなりこいつを壁から剥がして、きみを殴ったっていいわけだ」
「それはちょっとおすすめできないな。ハルクは怒るだろうし」
「もちろんそんなことはしない。たとえ話だ。だれども、時計を見ると時間がわかるからといって、鈍器として使わない理由にはならないんじゃないだろうか。まな板にしてもいいかもしれない。平らだしな」

思い出すのは父親のこと。決してよいとは言い切れないあの父親は、成果物の最たるものがああやってヒーローをやっているのは置いておいて、偉大だったことには変わりはないのだ。
父がいたら何と言うだろうか、とトニーは思う。
この現実を、褒めてくれるだろうか。少なくとも、世界は平和だし、みんな生きている。

「結局、スティーブはどこにいるんだ?」
きみなら知っているだろう、という目にトニーは答える。
「白夜の土地だ」

夜のない世界で少しだけのの暗がりにも目を向けて旅をする彼のことをたまに考える。
地球は落日の土地だ。たとえわずかな場所が夜から逃れられていても、地球総体としてはどこかで日が落ちているのだ。もしもすべてを光で照らしたいのならば、巨大なロードローラーで平たくするくらいしか方法はない。
永遠の昼を得た地球に、我々人類が住めるとはあまり思えない。落日の王国のからっぽの玉座を守ることで、どうにかして人類はこうやって生存を許されているのだ。何かの気まぐれですぐに滅ぼされるかもしれない世界で!
だけれども、トニーは夢想するのであった。
地球すべてが明るく、静かで、穏やかになったころ――きみはこの世界において安らぎを得られるのだろう。
それはそれで、ひとつの祝福だろうが。

「というか、どうしてきみは、スティーブをそのままにしておくんだ」
「それ以外、どうすればいいのかわからないんだ」

2015-05-20

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2025年11月21日