The Hero Returns

 どこか遠くの国にカイジュウが出て、そのカイジュウは退治されたらしい。わたしはそのニュースを、テレビで見ていた。すべての局でそのニュースが流されていたようで、ヒトデのかたちに似たそのカイジュウは、市街地で、中心にある目玉の部分を攻撃されて、倒れていった。その作戦には何人かのひとが関わっていたらしい。奇抜な服装のひとびとの映像が流れていった。戦いの場には似つかわしくない格好をした女性や、大きなサメのようなものもいた。
 そのなかに、ひとり、水玉模様の、まるでふざけたコスチュームをまとったものがいて。
 わたしはその瞳を知っている。
 それはかつてテレビゲームに熱中していた瞳で、それはかつてわたしを睨んできた瞳で、それはかつてひとつの光も映さない闇を湛えていた瞳で。
 わたしはその男を知っている。
 ああ、あれは、おとうとだ。
 
 それは昼のニュースだった。わたしは昼ごはんの準備をしながらそのブレイキングニュースを見たのだった。知らない国にカイジュウが出たなんて、わたしにとってなんの関係もないはずだった。
 レンジに、近くの店で買ってきたデリを入れる。魚を中心としたヘルシーなもので、それほど高くもなく、お気に入りだった。
 レンジが鳴るまでの間、わたしはぼんやりとテレビを眺めていた。経済関係のつまらないニュースが流れていた中、特報として星型の巨大なカイジュウが現れたのだった。全体として青っぽく、ピンク色の部分もあり、中心に巨大な瞳があり、街をどんどん破壊していく。足元には、ヒトデが顔にくっついてしまったような感じのひとがたくさんいた。どうやらなんらかの兵器のようだった。
 そこでわたしは見てしまう。画面にちらと映ったその男を。白を基調としたコスチュームを着たその男は、たしかにわたしのおとうとだった。
 もう二度と、姿など、見ることがないと思っていたおとうとだった。
 目が離せなくなる。その男は水玉のようなものをカイジュウに放っていて、カイジュウの足は穴だらけになっていた。テレビに映ったのはそこまでで、それ以降はほかのひとたちが戦っていた。星型のカイジュウは倒されて、これはアメリカの勝利です、アメリカのヒーローが勝ったのです、とナレーターは締め括った。おとうとがどうなったのかはわからなかったが、勝ったのならきっと大丈夫なのだろう。
 レンジはとっくに鳴っていて、なんなら中身は少しずつ冷めてきているところだった。
 
 せっかくの休日だ、午後から家事をまとめてやってしまおうと思っていたのだが、まったく手につかなかった。
 インターネットでさきほどのニュースをもう一度見た。間違いなくそれはおとうとだった。もう何年も顔を見ていない。彼が刑務所に入ってから――というか、あの事件があってから、ずっと。
 最後に見たおとうとは、母の死体の前で立ち尽くしている姿だった。返り血を浴びながら、どうしよう、と、わたしに尋ねた声だった。
 
 そうか、そうか、おとうとは、無事に、生きていたのか。
 
 わたしたちはイカれた母親に育てられた。S.T.A.R.ラボに勤めていた母親は、エリートであったことに異論はないのだが、父親と離婚してから、なにかの歯車がおかしくなってしまったのか、こどもたちをスーパーヒーローにすることに固執しはじめた。わたしたちは学校に行くことも許されず、ホームスクーリングだということになっていて、部屋に閉じ込められて、わけのわからないウィルスに感染させられて、ジュディは死んだ。いもうとだ。
 わたしは生き残ることができたが、母親の望むような成果は出せなかった。
 お前は出来損ないだと母親は言った。隣の部屋で何が起こっているのかなど知らなかった。ある日、悲鳴が聞こえて、それはいつもの、おとうとの悲鳴ではなくって、わたしはなんとか身の回りにあったもので扉を壊して、そうしたら血の匂いがして、すべてはもう終わっていた。
 どうしよう、と尋ねるおとうとに、どうしようね、とわたしは答えた。裏庭に死体を一緒に埋めようとしていたら、近所のひとに見つかってしまって、おとうとは捕まって、家にはおとながたくさん来た。たくさんのひとたちがよってたかって家を調べ上げて、きみはもう大丈夫だからねと誰かが言った。
 わたしは研究所に引き取られ、あまり痛くはない、いくつかの検査を受けたあと、一日二回この薬を飲みさえすれば、普通に暮らせるよと言われた。この件について口外することがなければ、費用は一生国が負担してくれるのだと言われた。その錠剤は小さく、こんなもので人生を買い戻せるのかと思った。
 ファミリーネームを変えてもらった。殺人事件の起こった、しかもあまりにセンセーショナルな事件の起こった家の、係累として暮らすのは困難だろうという判断を、おとなたちはした。今になれば、その判断が正しかったとわかる。もし自分にこどもがいて、そんな事件があったら、同じようにするように勧めるだろう。もっとも、わたしは実のこどもを持つつもりなど、ないのだけれども。
 ファーストネームも変える選択肢はあったが、そのままにしておいた。かつての自分との接点の、すべてを失いたいというわけではなかったのだ。
 そういうわけで、わたしが彼ときょうだいであることを知るものは、身の周りには誰もいない。
 だから、水玉模様のコスチュームを着た男について、誰に話すこともできない。
 
 わたしは今日も薬を飲む。一ヶ月に一回送られてくるそれを、飲む習慣になってから何年が経っただろうか。夜ご飯を食べたあと、ミネラルウォーターで錠剤を飲み干す。いつも通りだ。いつも通りであるはずだ。なぜだか喉につっかえたような気がして、水をさらに飲んだ。
 おとうとは、薬を飲めば、普通に暮らせていたのだろうか。
 それとも、わたしとは違って、薬なんか効かなかったのだろうか。
 時計はもう十時を指していて、眠る準備をしなければならない。
 
 一週間後、いつもとは違う国の機関から連絡があった。『重要』と赤い字で書かれたその封書はおとうとの訃報だった。テレビで映ったあの瞬間の後、おとうとはカイジュウに潰されて死んだのだという。目撃者によると、即死だったそうだ。葬儀はすでに終わっている。詳しいことについて知りたければ、親族であるわたしには説明を受ける権利があると記されていた。
 詳しいこと、これ以上、何を知るのだというのだろうか。
 なんせ、おとうとが、死んだのだ。
 
 おとうとが死のうがなんだろうが、次の日は仕事だ。メールをさばき、数字が間違ってないかチェックし、書類を作成し、送付する。難しくはないが、簡単でもないそれに、わたしは長いことかけて慣れていた。薬を飲むのと同じように、慣れていた。
 何かあったのか、と周りに聞かれることもなかった。聞かれたところで、どう答えればいいのかわからないが。わたしにきょうだいはいないということになっている。この歳になって、小さいころの写真を見せてほしいと言われることもない。もしあったとしても、わたしたちにまともな家族写真などなかった。パートナーがいたことはあったが、そのあたりははぐらかしていた。
 時間になる。仕事は終わる。明日も仕事だ。
 何も変わらない、何も。
 
 どことなく現実感がないまま、家まで歩いて帰る。その道すがら、デリを買って行くべきなのだろうと思う。冷凍食品はそんなにもうなかったはずだ。ふらふらと、いつもの店に入る。デリのコーナーに立ち寄る。いつもの魚を買ってもよかったのだが、なんとなく、その隣にあった、鶏肉を選ぶ。じゃがいものつけあわせもついている。値段もさほど変わらない。
 
 家に帰っても出迎えてくれるものなどなく、テーブルには封筒がそのまま置いてあった。それをどこにファイリングするべきなのかわからなかったからだ。鶏肉のデリをレンジに入れる。動作音がする。ガーリックの香りがしてくる。
 記憶が確かなら、おとうとはにんにくが嫌いだったはずだ。
 おとなになってからどうだったのかは、知らないのだが。
 
 盛り付けるのも面倒なので、パックのまま食べることにする。飲み物はオレンジジュース。大量に買ってあるから、なかなかなくなることもない。
 鶏肉をひとくち噛んだが、ゴムみたいでそれほどおいしくはなかった。やはり魚のほうがよいのだ。それを知れたのならいいとしよう。
 テレビをつける。ばかばかしいコメディを見る気分ではなかった。仕事のためにはニュースを見なければならない。もう速報が流れることはない。一度流れたニュースは無断転載され続けるから、おとうとはインターネットのどこかにいることだろう。
 死んだことなど知らされずに。
 おとうとが苦しむことなく死んだのは、きっと、よいことなのだろう。わたしたちはあの家で苦しめられてきて、その牢獄を破ったのはおとうとで、そのせいで刑務所なんかに入ることになった。
 フォークが止まる。
 そう、もしかしたらあれは、わたしだったかもしれないのだ。
 母親を殺したのはわたしだったかもしれないのだ。
 なぜおとうとがあんな戦いをしたかって、それは、ウィルスに適合してしまったからだ。わたしとは違って、成功したからだ。
 あのカイジュウと戦っていたのは、異国の地で、死ぬことになったのは、わたしだったかもしれないのだ。
 封筒が目に留まる。中になにが書いてあるかは、もう暗記してしまったくらいだ。それほどに、簡潔な報告だった。それ以上、知る必要など、ない報告だった。
 
 まだ母親がまともだったころ、わたしたちはよく、ヒーローごっこをして遊んでいた。それはどの家のこどももやっただろう。ヒーロー役はくじ引きで決めた。あの日のヒーローはおとうとで、ヴィラン役のわたしを倒して勝ち誇っていた。
 ぼくがみんなを守るんだ、と彼は言っていた。
 それを母親はにこやかに見ていた。きっと隣に父親もいたことだろう。
 いい思い出なんか、そのくらいしかない。
 そのあとは、もう、思い出したくもない。
 
 どうしてこんなことになったんだろう、だなんて、言わない。言えない。わたしはもうおとなだ。
 
 デリはまだ半分以上残っている。さしておいしくはない鶏肉を、わたしは食べなければならない。生きているからだ。
 彼とは違って。
 ヒーローになんかならなくてよかったから、帰ってくればよかったのに、と、ふと脳裏によぎって、わたしが彼の居場所であったことなど、あのころしかなかったのだ、と、気付く。

2025-08-12

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