ライブ終わり、飲みには行かずそのまま帰ることにした。Cー1の三回戦も近付いていることだし。雨が降ってはいたが、傘をさすほどでもなかった。帽子も被っていることだし、ほとんど気にならない。
「今日のライブ、楽しかったな」
「はい、たくさんの貴重なデータを観測できました」
いつもの京斗のことばだ、とは思いつつも、どことなく引っかかるところを感じて、おれは聞き返す。
「京斗――お前さ、今日、っていうか、おれといて、楽しかったか? 面白かったか?」
そう、おれはずっと聞きたかったのだ。
京斗がきちんとこの舞台を楽しんでいるのかどうかについて。漫才をしているのが楽しいのかについて。
だって、ただのデータ収集にしては、京斗はいつだって笑っているじゃないか。
京斗は歩きながら答える。
「勇悟さんの観察には興味深い点がたくさんありました。地球人類の平均的な振る舞いからはかなり外れたところがありますが、完全に平均の値を取る対象は存在しませんからね。ほかのサンプルから得たデータを千件くらい統合すれば、おそらくこれまでの観察と一致する結果になるでしょう」
「えっと、おれは、楽しかったか、って聞いてるんだけど」
「ああ、それなら、僕に人間と同じような内面や感情はありませんよ、『影』っていうのは観測体なんで」
「それは前から聞いてるけどさ――え?」
感情や内面がないってどういうことだ? さっきの平場、めちゃくちゃ感情的だったし、笑ったりしてなかったか? ものすごく演技がうまいってことなのか? いやでも、演技ができるっていうことと感情がないっていうのは違う、ひとは感情を発露するために演技をするのであって――
おれは立ち止まる。それはあの日出会った公園のそば、あの日と違うのは月明かりなんかないことで、電灯しかおれたちを照らしてないってことで。
「じゃあさ、今まで感情的に振る舞ってたのって」
京斗は数歩進んでから、おれが立ち止まったのに気付いて振り返る。
「統計的に判断して、って言ってたじゃないですか。ここは笑顔を見せるときだって判断したときにそうしていたし、『感情的』であるべきだと認識したらそのように行動していましたよ」
「そりゃそうだけどさ、お前のことは」
信用してるんだけどさ、と言おうとしてできなかった、信用、って、人間相手に使う単語だと思ったから。機械とか、そういう、感情のない相手に対して、信用、って使うのは違う気がして。
こいつに感情っていうか、内面っていうか、その、人間性、というか、そういうものがないのだとはどうしても思えなかった。
だって今のこいつはうっすらと微笑んでいる、まるでおれを安心させたいかのように。こいつの笑顔はいつだってつくりものじゃないのだと、思わせるかのように。
「じゃあ、今までの――今のお前の笑顔はなんだったんだ?」
「統計的に最適な表情を取っていました。自然だったと思うんですけど」
統計的、っていうのも、便宜上の表現っていうか、人類の技術水準に合わせたことばなんですが、現に勇悟さんは、僕の表情を見ると安心するでしょう、と京斗は言う。そのことばには一切安心できないのだが、
「感情とか、人間がクオリアと呼ぶものを、ぼくは持ち合わせていません。観察端末にそれらは不要でしょう?」
クオリア、一応現代文を教えているのだから、そのくらいの知識はあって、『赤が赤いというときの、その感覚』のこと、ただ単にその現象を捉えるのではなくて、それが内面でどう認識されているかの、その認識。
当然こいつは、おれがその語彙を知っていることを前提に話しているのだろうから――
なにをどこまで京斗に読まれているのかわからなくなる。というか、こいつはどう見たってヒトで、ちょっと言動に癖はあるけどそれって宇宙人だからで、ってことにしていた、というか、ヒトのかたちをしているから自分と、自分たちと同じような感情があるって思い込んでいただけで、え?
「……そんな、急に言われても、どういうことだか」
「ぼくがこれまで、勇悟さんに嘘をついたことがありますか?」
たしかにそうだ、こいつは嘘をつかない。こいつの言動に嘘はない。そんなことは一番近くにいたおれが一番よく知っている。できるって言ったことはぜんぶやってくれた。だから今のおれたちがある。わかっている。わかっているのに思考がついていかない。
「ふざけるな、いくら宇宙人だからってそんなことあるわけない」
「僕が宇宙人だって言ったことありますか?」
「……は? でも宇宙から来たってずっと」
「それは言いましたよ。でもヒトとは言っていません。一応僕だって、宇宙人って日本語で言ったら、だいたいヒトと同じようなモノを指すっていうことくらいはわかっていますからね」
「え、じゃあお前、ずっと嘘ついてたってこと?」
「嘘はついてませんよ、勇悟さんに聞かれなかったので答えなかっただけで。僕はいつだって、正直に答えてきました。それが勇悟さんの理解の範疇を超えることでも、できるだけ正確にお話してきたつもりです」
こいつの笑顔は、こいつが笑ってくれることは真実なのだと思いたかった。
「でも今まで、おれのネタをおもしろいって言ってくれてただろ」
「そう言うべきだという判断をしたからです」
「なら今だって楽しいって言うべきだっていう判断をすればよかっただろ」
「勇悟さんは、自分がどう判断するのか、自分で選べますか? たとえば、赤信号で止まるという判断を、意識的にしていますか?」
当然だろ、と言いかけたところで、ほんとうにそうだろうか、と口ごもる。赤信号は止まらなければならないから止まる、ではなくて、それを見たらほぼ反射的にそうしている、のが近いような気がする。それを意識的と呼ぶのはどうだろうか。
でも、それでも、と問いたくなる。
「じゃあ、お前が笑うのも、おれとの漫才も、本当は何の意味もないってことか?」
だってそうじゃないか、笑ってくれたことに意味がないんだったら、おれたちはこれからどうすればいいんだろうか、いや、おれだけか。
京斗は穏やかに答える。
「意味はありますよ。花が咲いたり、風が吹いたりするのと同じように」
おれはどう答えていいのかわからなかった。花が咲くことの意味や、風が吹くことの意味なんか、考えたことがなかったからだ。ある、だなんて思えなかったからだ。
「今降っているこの小雨にだって、意味はないでしょう? 僕はそれと同じです」
「えっと、お前って、自然現象ってこと?」
「勇悟さんが持っている語彙にいちばん近いのはそれかもしれませんね。僕は現象です。ものごとを記録する現象です。僕が保持している感情に見えるようなものについて、流行りのことばで言うなら、生成AIっていうのも遠くはないですね」
当然、人類がつくったAIよりも大量のデータでつくられているので、僕のほうが精度はいいと思いますけど、と京斗は言う。
「もしこれにショックを受けて、観察対象から外れたいというなら、別にそれでも構いません。僕は『観察対象に正直に話す』というパターンでやっている観察体なので。ほかの観察体が別のデータを取ってますし、統合すればおそらく同じ結果が得られるはずです」
ああ、最初から、ずっとこいつは嘘はついていなかった。おれが聞かなかっただけで。人類を観測するために地球にやってきて、そのサンプルのひとつがおれだっただけで、最初からおれとお笑いをやるつもりなんかなかったのだ。
「……なあ、おれのネタがおもしろいって言ってくれたのは、ほんとうなんだよな」
「ほんとう、の定義によりますね。おもしろいって言うのがいちばん適切だから、そうしたんですよ」
「――もういい、お前とはやってられない」
と口に出した時、おれがそう思っているのか、わからなくなってしまった、だってこいつは最高の相方だった、だった、と思えている時点で終わっているのかもしれないけれども、だって、感情のないロボットみたいなものと漫才やったっておもしろくないだろ、と感じてしまったのは事実で。
そんなことはどうだってよかった。
目を見開いて、その瞳はライトを反射していてキラキラしていて、ってことはもしかしたら泣いているのかもしれなくって、つまり、その表情が、ショックを受けている、ように見えたからだ。
こいつのことばを信じるならば、内面など何もなく、ただそうするべきだからそうしているだけ、なのだろうけれども、おれにはそれが、悲しんでいるようにしか見えなかった。
だから走った。走るしかなかった。おれは逃げたのだった。この公園は家まですぐ近くだっていうのに、まるで永遠のような長さを感じた。
勇悟さん、と呼ぶ声がする。振り返れなかった、こいつが追いかけてきても、追いかけてこなくても、いつか隣の部屋に帰ってくるものなのだとしても、だとしても、今はこいつの顔を見られなかった。
カバンから鍵を探すのに手間取ってしまった。革製のキーホルダーについた家の鍵を見つけて、部屋に転がり込む。適度に雑然とした普通の部屋には、このまえ京斗とネタ合わせしたときのノートがまだ残っていて、あいつはあのときおれのネタをおもしろいって言ってくれたんだよなと思い返す。
おもしろいって言ってくれたんだよな。
あいつがおもしろいって言ってくれて、あいつがおもしろいって思ってくれるのがいちばんだよなって感じたんだよな。
ノートには『ここをちょっと遅く』とか『これはタメる』とか細かく書いてあって、その文字のたいていは自分のものだけど京斗のものもあって、おれってこいつにそれなりに気を許していたんだなと実感する。たらサブレのときはそんなことはめったになかった。大学生のときは、もっと楽しくやっていたのかもしれないけれども、プロになったあとはとにかく勝たなきゃいけないと思って必死になっていた。必死にやっていたのに山下は離れていってしまった。
あいつが今どうしているのか、ぼんやりとしか知らない。たまにメッセージアプリで連絡を取っているし、テレビに出たときは見たよ、って言ってくれたりもしたのだが、おれはろくに返信していなかった。
京斗は最高の相方だった、と思ったところに、山下――元相方のことばを思い出す。
「自分のコピーがほしいんなら、俺はついていけないよ」
山下がどういうつもりで言ったのか、そのときのおれにはわからなかった。
でも今ならわかる。
おれは自分が思い通りに動かせる存在がほしかったのだ。それを自分のコピーと呼ぶべきなのかはわからないが。おれは山下をそうしようとして、失敗した。普通の人間は、自分の思い通りに動くわけなんかないのだ。
なのに、おれはコピーを手に入れられたのかもしれない。なんなら自分よりも性能の良いコピーを。違和感も、トラブルも、アドリブも、ぜんぶ台本通りのパフォーマンスが可能になった。京斗がおれの台本を十全に活かせる相手なのは、事実だった。
にもかかわらず。
おれの台本を十全に活かせる相手は、ヒトではなかった。
おれの台本を十全に活かせる相手は、自然現象だった。
おれの台本を十全に活かせる相手は、カメラだった。
「わかってんのにな……」
京斗は大量のデータから、人類を二千年観測してきたデータから、適切なものを返しているだけなのだという。おれには人間とあまり区別のつかないその応答を、おれは信じてしまっていた。
腹が減った。とりあえず遅めの夕食というか、夜食というか、そういうものを食べないと眠れないだろう。おれは湯を沸かす。こういうときのためにインスタントラーメンがある。三分待たなければならないのがもどかしくて、今でも週に一回新作ネタ動画を動画サイトにアップロードしてくれている先輩芸人のノイジーホワイトのチャンネルを眺めて、笑っていたら、三分は過ぎていた。
こういうちょっとした救いになりたかった。誰かを笑わせたかった。おもしろいと思ってもらえればそれでよかった。
なら京斗でいいはずなのに、なぜだかその踏ん切りがつかない。
漫才を見ているのならば『勉強』にでもすればいいのに、ぼんやりしていたら、夜はみるみる過ぎていって、いつの間にか朝が近付いていた。
あいつとはじめて会った日も、そんな感じだったと思い出す。
あいつとはじめて会った日は、もっと密度のある時間だったが。
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