オチの先まで連れてって - 12/13

次の日に舞台がないのは幸いなことだった、のかもしれない。夕方からバイトに行かなければならず、それまでは時間があって、ネタでも作っていればよいのだろうが、昨日のことが頭から離れなくてぼんやりしていたら夕方になっていた。どんなに気もそぞろでも授業はできてしまうもので、それは自分に知識が染み付いているからで、舞台に立つのと同じくらい授業をしていたからで、生徒の質問に答えていくたびに、ろくに考えなくても正しい答えが口から出てきて、なんか自分が自動応答する機械のように思われた。
じゃあそんな自分と、京斗は何が違うのだろう、とか考えてしまったけれども、何が違うって、そりゃ、何が違うのか考えられるところだろうというところに落ち着いたところで、もう最終コマも終わり、夜も九時だ。
おつかれさまでしたと言って職場を出る。外は晴れていて、月は雲の向こうで輝いていて、寒さは肌を刺さずにそっと撫でてくるくらいの、気温。自転車に乗っていると、なぜだか考え事が進む。初秋の夜風が心地いい。
京斗は雨が降っても悲しくはないし、風が吹いても寒いと思わない。ただ統計的な判断があるだけだ。だからこの初秋の夜風についても、そういうデータとして扱うのだろう。
おれは自分に意識があると思っている。京斗の判断と何が違うのか、でもおれには寒さを感じることができるし、何かが違うはずで、その何かがおれが京斗に混乱している原因のはずだ。
京斗がおれにとって完全に都合のいい『相方』だったのは間違いがない。なのに『感情も内面もない、クオリアのない存在』であることを知っただけで、それが瓦解してしまっている。
このまま京斗と別れて、またほかの相方を探すのか? 今度こそちゃんとピン芸を磨くのか? それとも――
赤信号で自転車を止める。広葉樹の葉が色を変える季節で、かすかに風が吹いたのか、黄色い葉が一枚落ちて、自転車のカゴに入った。おれはそれをじっと見ていた、その葉が落ちることに意味があるのだろうかと。
そしておれは思い当たる。葉が落ちることそのものには、意味がないのだと。
ぱちん、と脳内のパーツがハマったような気がした。
青信号で自転車を走らせる。家まではあと三分ほどだ。妙にクリアな頭で走っていくと、おれの隣の部屋の電気はついているようだった。
おれは京斗を公園に呼び出した。こんな時間に、とは思うものの、夜遅くなることが珍しくないこの仕事のこと、許してはくれるんじゃないだろうか。案の定京斗からはすぐに返信が来たし、今行きますと言ってくれた。
すぐとなりに住んでいるんだから、家に行ったってよかったのだが、京斗と会うのは、おれたちがあの冬に出会った、あの公園がよかった。

あのときよりはぜんぜん寒くない。昼間は長袖のシャツで十分だけれども、夜になると多少冷え込むので薄手の上着がいるくらいの、季節。
「こんな遅くに悪かったな」
「大丈夫ですよ、僕に休養が必要なのは、世間的に見て怪しまれないようにする以外の理由はありませんので」
京斗は自分が宇宙人――じゃなかった、宇宙から来たおれの観測体であることを隠す様子が一切なくなっていた。本人曰く、最初からそうだった、らしいのだが。
「それで、答えは出ましたか? 僕はいつでも、あなたの前からいなくなることができます。勇悟さんが望むなら、最初からいなかったことにもできるし、もちろん、いつの間にか解散したことにもできます」
思えばはじめからそうだった、こいつはいきなりおれの人生に現れて、ずっと前から人間社会に存在したことになっていて、ということはいきなりいなくなって、すべての痕跡を消せるということなのだ。
「――いや、このままでいい」
「次に新しい相方を見つけるのが面倒だからですか?」
「そうじゃない、お前だからいい、そう思ったんだ」
それは興味深いですね、と京斗は言って、
「僕がどういう存在なのかを認識してもなお、ですか?」
「そうだよ、そう言ってる」
「現実逃避なら、それでも別にいいですよ。勇悟さんの選択として受け入れます。このよううな存在が、地球人類に容易に理解されるケースは数少ないですし」
それは痛いところを突かれた、と思ってしまう。たしかに、これからするおれの選択は、現実逃避のひとつなのかもしれない。
それでも、と思う。
これはおれの、人間としての、芸人としての選択だ、と。
「ちなみに、今までこうやって、自分の正体を明かした例のデータってあるのか?」
「僕の本体は二万光年先にあるので、全データを送信して統合するのに最低でも二万年がかかりますね。だから今のところはない、と言うのがいいと思います」
またも途方のない数字が出てきてしまった。
「一応おれは、お前の言い分をぜんぶ信じることにしてるんだけど、すごい年数だな、それは」
「地球人にとってはそうでしょうね」
「それで、お前みたいなのはいっぱいいるんだよな」
「僕そのものは僕しかいないので、安心してほしいですね」
「お前はおれに、自分は自然現象のようなものだ、って言ったよな」
「はい。それがいちばん近いと思いますよ」
おれはひとつ息を吸う。
そして言う。
「確かに、雨が降ることにも、風が吹くことにも、意味はないかもしれない。でも、おれたち人間は、そこに『意味』を見出してきたんだ。嬉しいとか、悲しいとか。それは勝手なことかもしれないけど、人間にとって、いやおれにとっては、真実なんだ」
京斗は正しい。雨が降ることにも風が吹くことにも、『意味』はない。それらはおれのよく知らない物理とかそういう原理で動いていて、人間がある程度予測できるけれども操作はできないものだ。
しかし、それには意味がある。
雨が降ったら洗濯物を中に入れなきゃいけないとか、桜が咲いたら花見に行ってみんなで飲むとか、そのような意味が発生する。それに付随して、面倒だなとか楽しみだなとか、そういう感情が生まれてくる。
というか、お笑いというのは、基本的に『嘘』だ。フィクションだ。
お客さんたちは、フィクションだとわかっていて、それを信じているふりをして、笑っている。
ならば。
どうしてそこに、意図が必要なのだろうか。
どうしてそこに、意味が必要なのだろうか。
「だからお前を信じる。お前と漫才をやることに意味があるって信じる」
京斗が『何』であろうとも関係がない。
こいつのパフォーマンスは信頼に値するものだ。おれがよく知っているように。
だからおれはこいつに意味を与えてやるのだ。お客さんが笑えるように。さながら、投げ込まれただけでは笑っていいのかわからないボケを、ツッコミで笑っていいのだと示すように。
それが、ここまでやってきた、京斗への最大の賛辞であると信じて。
「そうですか、勇悟さん」
京斗ははじめて出会った時と同じように、しかし間違いなく違う笑顔で、おれに答える。
「とっても人間らしくて、好きです」
このことばも、この表情も、なんらかのアルゴリズムによって導き出された適切な応答、なんだろう。
それでもおれは、うれしかった。
うれしいと感じたのは、嘘ではなかった。
だからおれは、こう言う。

「京斗、おれの相方になってくれないか」
「ずっと前からそうじゃないですか」

それからおれたちは『とりとめもない話』をした。最近バイトどうなのって聞いたら物覚えがいいって評判なんですよと返され、お前なら当然だろと言うほかなかった。
「ちゃんと多少忘れたってことにして、不自然じゃなくしてるんですよ」
「それが不自然なんだよ」
「内幕を知っているのは勇悟さんだけですからね」
内容はともかくとして流れはぜんぶ自然で、どんなに自然な会話であっても、これは現象なんだなってわかっていてなお、それはおれにとって楽しいことだった、それがおれがこいつに見出した『意味』だった。
不意に訪れた沈黙の後に、おれは意を決してこう言う。
「――書き直すぞ、ネタ」
「クリアファイルので行くんじゃなかったんでしたっけ」
「そのつもりだったけど、変える」
ライブのスケジュール的に、来週の三回戦が初おろしになるが、まあいいだろう、と思えてしまったのは、ほんとうのことを、京斗についてのほんとうのことを語るのが、おれたちテンカイらしい漫才になるんじゃないかと、思ってしまったからだ。漫才っていうのは当意即妙な喋りーーみたいなものを見せるものだ。少なくともその側面がある。ならばほんとうを言ってしまえばいいのだ。おれたちが喋ってきた『ほんとう』のことを。
「おれなら書けるし、お前ならそれができる」
「僕の足引っ張らないでくださいよ」
「はは、言えてる」
ここからはネタ動画がサイトに上がることになるし、三回戦を突破できるとここからの足がかりになる――もちろん、決勝の舞台を目指しているのは当然なのだが。
三回戦当日、おれたちの出番はトップだった。トップバッターはどんな賞レースでも会場が温まっていないから不利とは言われているが、そんなの、自分たちの漫才をやって、こっちの空気に染めてしまえばいいのだ。
司会のオイコラのふたりが話しているのが聞こえる。会場から笑い声が聞こえる。
京斗を見ると自然体で、そりゃこいつにとってはそうだろうな、等しく観察対象なのだから、と思う。
そうして三回戦の幕が上がる。
持ち時間は三分。三分間だけはおれたちがこの舞台を支配する。
出囃子が鳴る。立ち位置の関係で、京斗がおれよりすこし先を歩く。
客席は逆光でぼんやりとしか見えないが、おそらくは満席だ。
この客席の一番前から一番後ろまで、おれたちは笑わせてみせようとしている。
まばゆいライトの下におれたちは立つ。
さあ、戦おう。そして、楽しもう。

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