公園からアパートまでは十分もない。あれこれ考えているうちにすぐに到着してしまった。最寄り駅からは少し離れているが、家賃の安さと部屋の大きさのバランスがちょうどよかったのでここを選んだのだ。
宇宙人は建物を見上げて言う。
「遠くからはずっと見ていましたが、これが住居なんですね」
「お前のみたいに浮いてなくて悪かったな」
「いえ! 入ることができてうれしいです」
宇宙人はおれの冗談を無視して、家に上がるときにお邪魔しますと言った。ある程度の常識はあるみたいだった。常識があったらあのような出現方法は取らないような気もする。
常識のある相手なら、こちらも常識的に応対しなければならない。ということで、リビングに堂々と居座ってにこにこしている宇宙人に、おれはこう言う。
「……宇宙人って、コーヒーと紅茶どっちが好きとかある? ちなみに飲まないならそれはそれで」
「僕という個体に関してですが、飲食物に特に好みはありませんね。設定することはできますけど、どうします?」
「どっちでもいいなら面倒だからコーヒーにするけど」
「どっちでもいいっていう意味ではなくて、好みはないと言ったんですが、ならコーヒーでお願いします」
よく考えなくても今からコーヒーを飲んだら眠れる気がしないのだが、宇宙人と遭遇した夜に、しかも家に宇宙人がいる状態で眠れるほうがどうかしている。いや、宇宙人には話が終わったら帰ってもらうことになるけれども。
などといった流れでとっくに日付をまたいだ夜遅くにコーヒーを淹れることとなる。ドリップバッグを使うのも面倒で、インスタントをお湯に溶かすだけなのだが。ふたりぶん、のマグカップはないわけではなく、なぜってひとが来ていたからだ、かつては、たまに、だなんて思ったりはする。
おれはオレンジ色のマグカップにコーヒーを入れて持っていってやる。自分の分は水色。宇宙人はへたれたクッションに座ってテレビを見ていた。もうめっきり劇場でネタをやらなくなった芸人が司会を務めている音楽番組だ。いつの間にテレビをつけたんだろう。この宇宙人はけっこう図々しいところがあるのかもしれない。
宇宙人はコーヒーを一口飲んで、あ、けっこう苦いんですね、この身体の感覚って難しいんですけど、これも貴重なデータになりますと言ってから、こう続ける。
「お互いにとってメリットがあると思うんですよ」
「何に?」
「コンビを組むことにですよ」
「どこがだよ」
テレビの中では最近ストリーミング再生数が伸びているのだとかいうアーティストが、清涼飲料水とタイアップしたポジティブで明るい曲を演奏している。
そのポジティブさに負けないくらいの勢いで、宇宙人はこう言った。
「僕はあなたを観察できるし、あなたは僕を相方にできる」
自信満々な宇宙人に、おれは思わずこう答える。
「いやお前を相方にするメリットってなんなんだよ」
いきなりやってきて、相方にしてほしいなどと言われても困ってしまう。おもしろければ宇宙人だって構わないけれども、いや、今のところこの宇宙人はだいぶおもしろいけれども、お笑い界が求めているおもしろさなのかは判断に迷うところだ。
宇宙人ははい、と元気よく手を挙げて、
「メリットならたくさんありますよ!」
僕たちは、一応、地球よりも発達した技術を保有しているんで、地球で可能なことは基本的にすべて可能です、と、彼は言う。
「というと、つまり?」
「勇悟さんが僕に望むことで、僕のこの身体で実現可能な範囲のことなら、なんだってできるってわけです」
「また姿を変えたりできるってこと?」
「そうですね、ヒトの範囲で、今の外見を変えることはできます」
外見を変更しますか? と彼が言うので、おれはこれで問題ないと思うけどと返す。どうしてだかわからないが、彼の姿を見ているとなんとなく落ち着いた。
「ちなみに、今の外見ってどういう基準で選んだんだよ」
「統計的に、勇悟さんの隣に立っていて違和感のないビジュアルにしたつもりです」
「な、なるほど……?」
確かに、外見にある程度のコントラストがあったほうがコンビは覚えてもらいやすい。ネタがおもしろいのが一番だけれども、お客さんが最初に目にするのは外見なのだから、ビジュアルイメージや服装などの演出も大切だ。
その点、この宇宙人の外見は、おれ――どちらかというとモノクロの服を着ることが多い――の横にグリーンやパープルといったポップな色彩を配置する、という面で、コントラストがあってよいといえる。
こいつ、もしかしたらセンスがあるんじゃないだろうか。いやいやセンスがあるからっていきなりやってきた宇宙人とコンビを組む人間がいるだろうか。まあ、突拍子もないことをやってこそ芸人だという考えもある。でも宇宙人だぞ? 地球外生命体にどういうリスクがあるのか一切わからないからーー
そこでおれは思いつく。
なんだってできる、というのならば。
おれは携帯端末の画面にたらサブレの動画を表示した。動画サイトの自分たちのチャンネルに上げている、二年前、Cー1の準々決勝に行ったときのネタだ。このころからおれの衣装は黒のタートルネックに黒のジャケットで、それは今も変わらない。山下はいろいろ迷走していて、そのころは金髪にした上でビビッドブルーのジャケットをよく着ていた。古着屋で買ったとか言ってたな。そんな感傷を無視しながら、再生ボタンを押す。
冒頭三十秒ほどの部分を流して、止めた。
「じゃあこれを再現しろって言ったらできるのか?」
できないならできないで、この宇宙人には帰ってもらえばいいと思った。なんでもできるっていうならその証拠を見せてほしかった。
「ああ、勇悟さんの隣の、この人の代わりになれってことですか? できますよ」
そう言うと宇宙人は立ち上がった。あなたは? という目で見てくるので、おれもテレビの電源を消して立ち上がる。
スタンドマイクはないけれど。
じゃあ、始めるからな、と言って、息を吸って、
「はいどうも、折崎です」
「山下です」
「たらサブレです、よろしくお願いします」
気がつくと、宇宙人は山下と同じ声をしていて、同じ姿で、そこにいて、パステルブルーのジャケットまで着ていて、まるであいつが帰ってきたかのような気持ちになる。
こうやって家でもネタ合わせをしたものだった、書いては直しやっては直ししたものだった。
山下の姿をした宇宙人はそのまま続ける。
「今日は外が雨なんで、気をつけて帰ってください」
「最初から終わらせるなよ、それと外はめちゃくちゃ晴れだよ」
「最近ね、白鳥の湖にハマってるんだけど」
「いや、チョウチョが吐いてできた湖」
「蝶はなにも吐かないだろ」
「そうじゃなくて、それじゃチョウハクの湖じゃん」
「そっちかよ」
心臓がばくばくする、なんで緊張してるんだろう。宇宙人に何やってんだよとツッコんでやりたかった。この人の代わりになれっていうのはコピーしろってことじゃないんだよ。変身できるのは知ってたんだけどさ。ならそう言えばよかった。なのにできなかった。もう二度とないはずの光景が目の前にあったからだ。
たぶんもうちょっと先まで進んだはずなのだが、おれはいつもどおりやったはずなのだが、そしてこの宇宙人は『完璧』だったのだが。山下としては。
その『漫才』はおれが見せた三十秒でちょうど終わった。
「どうでしたか?」
だなんて無邪気な笑顔で山下が笑いかけてくることは絶対になかったから、いや絶対になかったとは言い切れないんだけど少なくとも最近はなかったから、これは宇宙人だとわかるし、おれだってそこまでバカじゃない。
おれは宇宙人の目を見られなくって、
「……頼むから、さっきの姿に戻ってくれないか?」
「どうしてですか? あの人の代わりになってほしいってことじゃなかったんですか?」
「二千年も地球人を見ててもわからないのかよ。まったく同じ顔の人間はいないんだよ」
「双子は?」
「双子だってちょっとは顔が違うし、あいつに双子のきょうだいはいなかった」
そうですか、じゃあ戻りますね、と宇宙人は茶髪の男の姿に戻った。こっちの姿のほうがまだ落ち着く。ヒトの形ならなんでもありってこういうことなんだなとは思う。思うけれども心臓に悪い。いきなり変身しないでほしい。
それにしても。
一回見ただけでこれなんだから、こいつはかなり、使えるんじゃないだろうか。
どう使えるのかはわからない。けれども、初見でここまで呼吸を合わせてくれるのだから、ちゃんと練習すれば、もしかしたら。
たらサブレを超えるコンビになれるのかもしれない。
宇宙人はすこしむっとした様子で言う。
「あの、さっきの質問の答え、聞いてないんですけど」
ヒトの範囲だったらなんだってできる。なんかよくわからないけどセンスはありそうで、何より一度見たものを再現することが可能。それに、おれは漫才をやりたくって、今のところ相方が見つかる予定はない。
ならば。
「――わかった、お前と組むよ」
そうおれが答えると、宇宙人は満面の笑みで、
「観察対象に同意していただいてうれしいです!」
「……一応聞くけど、同意しなかったらどうなったんだ?」
昔見た映画みたいに記憶を消されたり、それどころか存在をまるごと消されたりしたんじゃないだろうか、と戦々恐々としていたおれに、宇宙人はあっけらかんと言う。
「そんな、無理強いはできませんからね。他の観察対象を選んだはずです。このブランチは破棄することになったと思います」
どうやら穏健派の宇宙人のようだった。それはいいのだが、ちょっと前から気になっていたことがある。
「あと、そのブランチって何?」
「ステムから枝分かれした分体をそれぞれブランチと呼びます。僕は地球担当のブランチの影です」
「うーん、いまいちよくわからないんだけど……」
「これ以上詳細な説明は地球の言葉では難しいですね」
「まあ、説明はともかく、お前が有能なのはわかったよ。よろしくな」
よろしくお願いします、と彼は笑う。おれはテレビをもう一回つける。さっきの番組は終わっていた。
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