塾講師のバイトは、文系科目を中心に請け負っている。特に現代文が得意というか、教えるのが好きだ。論説文でも、小説でも、きちんと読んで、ロジックを通せば、読解問題は解ける。漢字とか語彙とかに関しては覚えるしかないところもあるが、それ以外に関しては、適切な思考法を身につければ着実に点を上げられるというのが好きなところだ。
その日は高校三年生、つまりは大学受験生の論説文の解説の授業だった。扱うテーマは環境問題で、入試では頻出の話題だ。そのテキストでは、『これからの人類は地球環境のみならず、宇宙の環境にも配慮するべきである。もっとも、地球環境にも十分に配慮できているとはいえないのだが』という内容が、地球人類が宇宙に捨てているゴミであるスペースデブリを例にして論じられていた。
おれは、テキストの背景情報などを調べてから授業に臨み、解説していたが、高校生にとっては馴染みの薄いテーマというか、壮大過ぎる話だったのか、いまいちウケは悪かった。
そりゃそうだ。地球環境でも広すぎるのに、ましてや宇宙とは。
「でもさ、もし宇宙人と遭遇してさ、お前ら地球人がゴミを捨てまくったせいで宇宙が汚れているんだとか言われたら、嫌じゃないか?」
「それはわかるけど、宇宙人なんかいないよ」
おれもこの前までそう思ってたんだけどな、とは言えず、だから、もし知的生命体が地球外にもいて、それらと意思疎通がはかれたらの話な、と話を濁す。
そういえば、かつて、京斗の種族の寿命は十万年あるとか言っていた。現在のところ、地球人類の平均寿命は百に届かないが、計算を簡単にするためにとりあえず百年とすると、京斗たちの(そもそも、京斗みたいなものがどれくらいいるのか、群れをなしているかなんて、わからないのだが)だいたい千倍となる。
千倍。計算はしてみたもののまったくリアリティのない数字だ。人間の千分の一の寿命を持つ生物について調べてはみた。それはおおよそ一ヶ月ということで、なかなかいなかったのだが、ミカズキモが一ヶ月で死ぬことはわかった。
あいつにとって、おれたちってミカズキモみたいなものなのか。
ハムスターだって数年は生きる。それよりもかなり短い。
おれはシャーレのなかにいる人類を観察するなんらかの存在について考えてみる。そいつらは影のような形で人類に干渉してきては、データを取って帰っていく。あまり漫才の題材には向かなそうだ。どちらかというとコント向きなのだろうが、ほとんどコントをつくったことがないおれには、どういうふうに料理すればいいのか見当がつかない。
「だから、これは倫理の話なんだよ」
「現国じゃなくて?」
「科目っていうより、考え方かな」
生徒は、納得しているようなしていないような顔をしながら、とりあえずこれの答えはCなんですよね、と言う。
それからもおれはバイトをしながらネタを書き、稽古をして、テンカイとして舞台に上がりを繰り返していた。それは去年と同じように見えたのだが、着実になにかが変わっていった。少なくとも、そう信じなければ、この日々を乗り切ることはできなかった。
まだ初夏といえる季節だが、冷房を入れないと過ごしにくいくらいの気温だ。おれたちは次の事務所のライブに向けて、おれの家でネタ合わせをしていた。隣の部屋ではあるものの、おれの家を使うのが多かったのは、自分の家のほうが落ち着くからにほかならない。たまに京斗の家に行くと、ショールームみたいにきれいだから身の置き場がないというか、どこに座っていいのかわからなくなる。本人曰く、芸人仲間が来るときは適度に汚しておくんですよ、とかいうことなのだが、それならおれが来るときもそうしてくれたほうが――いや、これを知ってしまったら、乱雑な部屋であっても落ち着かないだろう。
そういうわけで適度に乱雑というか、足の踏み場がないまでは行かないが普通に物が散らかっているおれの部屋で、テーブルの上にはネタ帳と台本がある状態で、おれたちはああでもないこうでもないと言い合って、何時間かが経っていた。
今日は『犬になりたい』という漫才の内容を詰めていた。
「ここの『犬になったら毎日人に撫でてもらえるじゃん』って、あるあるとしてちょっと弱いと思うんですよね」
「お前って、自分がネタ書いたほうがうまくいくとか思うことないの?」
「勇悟さんはそうしてほしいんですか?」
「おれはネタ書きたいけど」
「じゃあ僕は書きませんよ」
「まあお前のアドバイスとか、すごく客観的だから、役に立つことはあるけど」
京斗はぴかぴかの真っ白なマグカップに入ったお茶を口にしてから言う。
「それはありがとうございます」
「口出してくる人って自分で書きたくならないのか、いつも考えてたんだ」
だいたい、芸人をやっていないただの友人とかなら、感想以上の受け取り方はしないし、同じ芸人だったら、あまり踏み込んでくることもない。前の相方は、どちらかというとそんなにネタに口を出してくる方ではなかったし、おれの台本を見てはいつもおもしろいって言ってくれていた。
京斗は違う。
京斗はホンを読んで、おもしろいですねって言ったうえで、でも統計的にここはどうかと思いますよ、って言ってくる。その発言は、一応今までの人類を観察した結果から出てくるだけあって、そう外れていないことが多い。もちろん、自分の感性と照らし合わせてまったく受け入れられなかったら、ここはこのままで、って言うけど、それを突き通した結果案外ウケないこともあって、じゃあこいつの言うこと聞いといたほうがいいのかなと思い始めている。
京斗はオレンジ色のマグカップを手に取りながら言う。
「僕はあくまでも勇悟さんを観察しに来たわけですからね。その観察に有用ならするし、有用じゃないならしない、それだけのことです」
「素材の味を味わいたい的な?」
「完全にそうではないですけど、そういうことですね」
なるほどな、とおれは答える。ときどき、こいつが冷徹な観察者のように思えることもあるし、普通の芸人だと思えることもある。
「地球の夏って暑いんですね」
と京斗が窓の外を見ながら呑気に言うので、ああ、こいつにとってこれははじめてのことなんだな、と思う。
「地球、っていうか、日本、っていうか、東京の夏が暑い」
これで暑いとか言っていたら、真夏はどうなってしまうのだろうか。一応ずっと東京で過ごしてきたおれだって夏には新鮮に驚いてしまう。地球温暖化で暑くなってきているのも、あるかもしれないが。だから、京斗が持っているデータよりも、暑いのかもしれない。
これもデータって言うつもりか? と軽口を叩くと、京斗はいたってまじめに、
「はい、この暑さもデータとして送られます」
「なんでもデータになるんだな」
「そうですね、人間の身体が感知できる情報ってたくさんあるので」
なにもかもがデータであるような状況について思いを馳せることになる。おれの意識は、すべての感覚を処理できるようにはできていない。おれ、というか、人類はそうだと思う。でも京斗は宇宙人だ。そのへんの情報がぜんぶ処理できていてもおかしくはない。
いったいどういう世界に彼は生きているんだろうか?
とか考えているのは多分疲れているからだ。おれが。
休憩がてら何か飲むか? 一応紅茶とコーヒーならあるけど、と、おれは言う。
「紅茶ならアッサムが好きです。ミルクティーにするのがいいですね」
「アッサムならちょうどこの前買ったところ」
「それはよかったです」
いつでも飲めるように水出しの紅茶を作ってあった。さすがに水出しコーヒーはなかったので、京斗が紅茶を選んでくれてよかったのかもしれない。自分も紅茶のほうが好きだし。
おれは風情も何もない、いつものマグカップに紅茶とミルクを注いで、おれと京斗の前に置いた。
マグカップに口をつけると、冷たいアッサムが身体にしみる。
水出しはあっさりした味になるものだが、アッサムはそれなりにコクがあるので、ミルクを入れても問題がない。
それにしてもさ、とおれは言う。
「お前、最初好みとかそういうのないって言ってなかったか?」
「はい、でも、好みがあったほうが選ぶときに便利じゃないですか」
「そうだけどさ……」
「それに、紅茶が好きって言ってたら、紅茶関係の仕事が来るかもしれないじゃないですか」
「言えてる」
「まあ、でも、ちょっとうれしいな」
「どうしてですか?」
「会った時はさ、なんか不気味だなって思ってたし、なんだよこいつって感じだったけど、なんだ、好きなものあるじゃん、って」
相変わらず喋り方にはなんだか違和感がある。でも、この紅茶が好き、だったり、好みはあるのだ。それってまるで人間みたいじゃないか。
「だからさ、お前の好きなもの聞かせろよ」
なんならそれを漫才に組み込んでもいい。ちょっとした人間味が、シュールを成立させるコツだ。京斗は毎日ニュースを見るのが好きなのだと言った。それはちょっと普通すぎるかもしれない。というかそれってなんのための情報収集なんだよ。
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