角砂糖一個分の世界

「もう十分なんだ」
白いテーブルの上に置かれた、白い角砂糖を見つめて、彼は言います。
「もう十分に、物語は存在する」
私は困ってしまいます。文脈を無視されては、私は答えることができません。
無視する文脈が、この空白である以上。
「なにもないじゃないですか」
「何もかもがもう、あるんだよ」
ほら、と彼が言うと、白かった壁がみるみるうちに土色に変色して、蔦が生えてきます。
蔦は生えてきた壁を伝って天井に達し、葉を茂らせ、細かな花を付け、実を生します。
その実を狙って、鳥が窓からやって来ました。
窓は先程までなかったのですが、窓はあります。
なかった窓は、なかったのにもかかわらず開き、その時空ができました。
その空から、鳥がやってきたのです。
鳥は蔦に生っていた実を啄み、そして蔦に巣を作りました。
巣が出来れば、他の鳥がやってきます。卵ができました。
青と黄色のまだら模様の卵です。
その卵の隣には、すでに幼生がいます。
卵から生まれる前に存在したくなってしまったのでしょう。羽ばたくのを覚えようと必死になっています。
「つまり、こういうことなんだ。僕が角砂糖と机の間に直角を見れば、架空の線が引ける。
線を引けば、それは壁にぶつかる。
壁から想起されるものが、この部屋に現れる」
彼は机の上の角砂糖を狙ってきた鳥に触れました。鳥は翼の先から黄金に変わって、ことりと机に突っ伏しました。
その瞳はエメラルドでできていたので、私はそれをえぐり取りました。
一ミリくらいしかないエメラルドはすうと伸びて、針状になりました。
針を刺すべき場所が見つからなかったから、角砂糖に刺そうとしたら、彼の手がそれを制しました。
「支点は必ず、そのままでなくては」
「でもあなたは、終わらせたいのでしょう。これに、絶望しているのでしょう。ならば、支点を崩すべきではないのですか」
私はもう出自のわからなくなった、緑の針を角砂糖の中心に刺しました。
白い立方体はほろほろと崩れて、小さな立方体たちの残骸となりました。
結晶たちはてんでバラバラの方向を向いて、頂点から線を伸ばし始めます。
あるものは机へ。反射した線はイモリとなって、壁に向かいます。
あるものは蔦へ。有刺鉄線が蔦を貫いて、破壊と暴虐の限りを尽くします。
あるものは鳥へ。黄金だった鳥が熱線で溶かされ、水たまりのように揺らめいています。
立方体で形成されている立方体を崩せば、こうなることは自明であったのです。
支点と支点が干渉しあい、観測者の制御できないものが発生し始めました。
鳥はいません。だから窓はないはずなのに、窓はあります。
卵はさっき、割れてしまいました。
「もう物語が多すぎて、この部屋の収拾はつかないよ」
何もかもなかったことを始めるには、何もかもがありすぎました。
私は途方に暮れて空を見上げました。そういえば、先ほど空が作られるまで、空はなかったのでした。

2013-05-06

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