天国への扉は回転扉

あの世も来世も信じてないし、そもそも死んだつもりもない。そういったものを信じるひとたちのことは知っているが、自らとは無縁だと思っていた。光線の直撃を避けられないほど鈍ったつもりはない。世界を守るために、自らを盾として、そうして彼は光を放ったのだった。視界の全面がまっしろになって、そして。
そしてジャグラスジャグラーは扉の前にいた。
扉以外にはなにもない。なにかがあるとかないかすらもわからない。これは、あまりにも、いわゆる、人間が想像するところの、「あの世」に似ている。
微かに開いた扉の向こうからは陽気な音楽が聞こえる。まあ、ここで立ち止まっていても仕方がないだろうと、ジャグラーはドアノブに手をかける。

扉を開けると木製のカウンターがあって、向こうにひとり、こちらにひとりの男がいる。カウンターには酒の瓶が並んでいて――なるほど、ここはバーなのか。
「と、まあ、私が兄上を助けてやったときに」
カウンターに座る優美な男が話しているところに、店主がこちらに気付いて声を掛けてくる。
「いらっしゃい」
「おお、まさかこんな繁盛することがあるなんてな、この店が」
「あなたが何回も来ているだけですよ」
どうやら彼らは顔馴染みのようだ。まるで普通の店みたいで、ジャグラーは混乱した。さっきまで命をかけた戦いをしていたのに、あまりにもここは静かで、落ち着いている。
「ようこそ、ここは『死んだと思ったがなんかよくわからない理由で生きてたひとが再登場までいるバー』だ」
カウンターの男が両手を開いて大仰な仕草でジャグラーに話しかけてきた。
「死、死んだと思ったが……再登場……?」
ジャグラーはさらに混乱した。バーの名前にしては長すぎる。とかそういう問題ではない。何を言っているんだ?
「要するに休憩場だ。カクテルを一杯飲んでから落ち着いて現世に戻れというマスターの粋な計らいというものだ」
「まあ、そういうことになりますね」
マスターはグラスを磨きながら穏やかに言う。どこかで見たことのある顔のような気がするが、思い出せそうにはない。彼はジャグラーに座るように促す。必然的に先客の隣に座ることとなる。右にせよ左にせよ。ジャグラーはふたつ離して右を選んだ。
壁には『Revolving Door』と書かれた木製のプレートが飾られている。
窓の外にははるかに広がる水面が見える。海なのか湖なのかはわからない。光を反射してまたたいているが、光源は見当たらない。
「私はロキ、オーディンの息子だ。今回もまったく死ぬつもりはなかったんだが、まあハルクが――充分信頼に足る大きな怪物がいてね――どうにかしてくれるだろう。さて客人の方」
「ジャグラーだ」
「今回の死は?」
「今回の、って、何回も死ぬもんじゃないだろう」
「そりゃそうだ。こちらは一応イモータルだからな。定命の者モータルがそう何度も来る場所じゃあない」
「その口ぶりだと神は死なねえんじゃないのか」
「まあ、死んでるな」
そういった話をしているうちに、カクテルが完成したようだ。マスターはジャグラーの前にグラスを滑らせる。
チェリーの沈んだ赤いカクテル。
「こちらはマンハッタンです」
「私にとっては多少不吉な名前だな」
ロキが口を挟むが、マスターは気にせず続ける。
「夕日をイメージしたカクテルです。お客様にぴったりかと」
「夕日ねえ……
夕日は自分のものではなくて、このカクテルと同じ赤色を名前に持つ彼のものであるはずだった。それを、自分に、という。
ジャグラーはアルコールをあまり好まなかったが、それは認識を歪めるからであって、ここまで不思議な状況ならもう飲むしかない。飲まなくたって正気じゃないような空間だ。
カクテルグラスを口元に運ぶ。強いアルコールの味がして、それからさわやかなハーブの香り。悪くない。
「あなたにはグラスホッパーを」
マスターはロキにはライトグリーンのカクテルを差し出した。
「この前の――グリーンアイズとかいうのじゃないのか?」
「もう嫉妬なんて似合わないでしょう?」
そういう解釈もあるか、とロキは静かに笑う。ひとくち口をつけて、さすがマスターいつも通り最高じゃないか、と言う。
「なあ、いい場所だろう?」
「そうだな」
こればかりはジャグラーも同意するしかなかった。戦いのことなんか一瞬忘れてしまうような一杯。これまで抱いてきた思いが行き場を失って、どうすればいいのかわからなくなって、どうすればいいのかがようやくわかって、ここに来るわけになってしまったのだが。
もうそろそろ帰らなくてはならないのだろう。
「マスター、会計は」
「お代は要りません。ここはそういう場所です。天国の扉なんか開かない、なぜならそこは回転扉、帰る者は帰る、そういった因果の流れです」
あなたもさっさと帰ってくださいね、とマスターはロキに言う。
「私にはもっとぴったりの出番が待っているからなあ」
だからお前は先に行くといい、とロキは言う。

おそらくここに来ることは二度とないだろう。
手を振るロキと一礼するマスターを背にしてジャグラーは扉へと向かう。短い時間だった。それでも充分だった。
そしてジャグラーは扉を開く。
その向こうにはほんものの夕日がある。

2020-10-22

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