ポール・シニャックのことである。シニャックは新印象派の画家で、このサイトのヘッダー背景にもなっている。モネみたいな色で粗めの点描をやっている絵が多い。わたしはシニャックのことが10年くらい前から気になっていたのだが、去年大原美術館で『オーヴェルシーの運河』を見たのをきっかけに再燃し、いろいろ見に行ったり調べたりしている。まあ推しっていう単語を使うのもどうかと思うが、わたしはシニャックの絵が好きだ。
さて、シニャックがアナキストであるというのはだいたいどの本にも書いてある。友人のマクシミリアン・リュスのほうが社会派の絵が多いが、シニャックも理想社会の絵を描いていたりする。そこで思うわけだ、シニャックのアナキズムって「何」だったんだろう、と。というか何を見ていたんだろうかと。
そういうわけで森元斎『アナキズム入門』を読んだ。わたしはレ・ミゼラブルも好きなのだが、自分の興味って全部フランスに帰結するのか!?という気持ちになった。この本では何人かのアナキストを紹介し、アナキズムの歴史を概観しているようだった。現代の話をしていないから当然なのかもしれないが、社会的弱者と今されている人たちに関してはどうするつもりなんだろうと思った。というか、現代でアナキズムを実践するにはどうすればいいんだろうかと感じた。
高島鈴『布団の中から蜂起せよ』を読んだ。これはアナーカ・フェミニストの著者によるエッセイだが、ブックリストもついているためここから読めばよかったんじゃないかなと思った。「この人」がどう考えているのかは書いてある通りなのだろうが、じゃあ「自分」が何を知りたかったのかといえばシニャックが見ていた景色であり、それを「見た」として何になるんだろうか。わたしは「自分の話」を書きたくないのだが、それと同時に書かなければならないとも思う。そういう人間にはいいエッセイだった。
結局当初の目的は達成されず現在である。わたしはエッセイとかノンフィクションがぜんぜん読めなかったのだが(「現実」は「ある」のでそれ以上感じたくなかったから)なんか最近どんどん読めるようになってきている、というか小説が読めなくなっている。読むってどういうことなんだろう、というのは佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』を読んだときからずっと考えている。というかこの本を読み返す時なんじゃないでしょうかね。
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