カテゴリー: 日記

自分の歌を歌うということ

スパコミ1日目おつかれさまでした!わたしはタローマンオンリーで新刊を2冊出しました。ピコ通販を開けています。ご入用の際はご利用ください。

リアイベに出るのが久々だったのでずっとあわあわしてたんですけど楽しかったです。家を出てからサークルチケットを忘れたことに気付くなどしていました。すぐに気付いてよかったね。オンデマンドで刷った方の本(AUROFLOROUS)は会場で小細工+ペーパーといっしょに袋詰めをしたんですがけっこう時間ぎりぎりでした。

いろいろあったけど楽しかった!買えなかった本は……あったけど……まあそういうこともある。今は読みながらにこにこしています。さまざまなアプローチがあっていい。お声がけくださったみなさま、差し入れをくださったみなさま、ありがとうございました!お返しが途中で足りなくなってしまいすみませんでした。あと勇気を持ってフォロワーさんにスケブを頼んでよかったです。イェイ!

リアイベならではの気付きとしては、『AUROFLOROUS』の見本誌を手に取ってくださった方のほぼ全員が驚く箇所があって、それをサンプルに入れるべきだったんだ!というのがあります。そういうわけでそのポイントを通頒開始時点で出しました。あとはおしながきが不親切すぎることがわかりました。登場キャラクターがわからない。それはそう。登場キャラクターは書いたほうがいい。あまりにも自分が今まで書いてきたものの文脈を理解している人向けすぎた。

『AUROFLOROUS』については長々とあとがきペーパーに書いたんですけど、『ゼロ除算、すなわちメタフォリカルリアリティにおける光軸の(非)固定性』については内情とかそういうのを書いていないので、ここで書いてもいいんですが、かなり「全部言う」本だったのでいらないかなと思います。どちらもウェブ再録はしないと思います。込み入った話を書いたからね……

このジャンルでの今後の活動についてですが、小説はあまり書かないかなというところです。タローマンというコンテンツはまだ続くと思いますが、自分が着目しているところについてはこれ以上先がないという結論を自分で出してしまったので。現実で起こったさまざまなこと、すてきなできごとによって今回の本はつくられたわけですが、自分が見ていたものというのは、根本的に、そこではないということに辿り着いてしまったので。イラストは多少描くかもしれない。タローマンの造形が好きなので。べら棒を作った時に改めて感じましたね、タローマンの顔があるとうれしいって。

ここまで辿り着けてよかったなあと思いつつ、自分の読書ノートを検索したら(Obsidianに入れているものがある、ほんとうは全部入れたほうがいい)まあまあ前に読んだ本に2冊目とだいたい同じようなことが書いてあったので、自分の経験からは逃れられないのだなあと思いました。でもその本は当時わからないなと感じながら読んでいたため、ようやく自分が追いついたということかもしれません。ということで何度目だウィトゲンシュタインチャレンジをやっていきたいです。もちろんその他の分野に関しても。

二次創作で書けないことで一次創作をやり、一次創作で書けないことで二次創作をやるシステムを採用しているので、今回書けなかったことでなんか一次創作をやりたいなあという野望はあります。ネタはいくつかあります。しかしながら書けなかったことって書けなかったことなので輪郭が掴めていないんですよね。また書きながら輪郭を掴んでいくのでしょう。掴めたらいいですね。

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急に本が読めるようになった

お久しぶりです。最近はイベント準備でてんやわんやしていました。なんか5/5スパコミで同人誌が2冊出るっぽいです。たぶんタローマンではこれが最後になると思うのですが……いつもこれが最後だと言いながら本を作っている。イベントが終わったらその感想も書こうと思います。

それはそうとなんか最近本がたくさん読めるようになりました。ブクログによると、4月末時点で去年読了した本よりも多い冊数を読んでいるっぽいです。だいたい月20冊ペースです。たくさん読めるといっても、まあ、これより多い人はいるだろうと思います。自分はメンタルの調子を崩してからがくっと読めなくなったので、戻ってきたともいえる。

どうしてこうなったのかについてはいくつか理由があるのですが、一番大きいのは図書館に行けるようになったというのがありますね。というか、定期的に図書館に行けるようになった。読みたかった本を片っ端から予約して読むみたいなことをしています。ちょっと前の本なら高確率で借りられる。自治体に所蔵がなかったら……買おう……

というか図書館に行こうと思ったら図書館に行けるのが大きいですね。どういうことかというと、元気じゃないと図書館に行けないということです。そして平均的に元気じゃない場合、予定を入れたくなくなるというか、守れない予定を入れたくなくなるわけですね。図書館には期限があるので、それだけでまあまあストレスになってしまっていました。

あと、図書館の利用者ログインをする時に利用者番号的なものを入れるのですが、カードを取り出してそれを確認するという作業がスムーズにできるようになりました。以前はそれができなかった。なぜ?なぜかはわからないんですが、めちゃくちゃハードルがありました。

そんな感じで図書館で借りる+読みたい新刊は買うみたいな感じでもりもり読んでいます。今年は「自分の作風で読んでいそうなのに読んでいない本」を読んでいっており、『ずっとお城で暮らしてる』や『ロリータ』を読んだりしました。かなり答え合わせ感がありました。次は『華氏451度』かな。実は読んでなかったんですよ。

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できることに足を取られる

最近はタローマンの同人誌の表紙を作るためにジオラマを作っている。それについてはもろもろ完成したらまた別途記事を立てると思うのだが、それと並行して岡本太郎も読んでいる。タローマンの二次創作をやろうとするとまず岡本太郎のことばを探すという工程が発生する、そういうコンテンツなので……

というわけで『今日の芸術』を読んだ。まだ読んでなかったんですか!?いろいろ他の本を読んでいたら後回しになってしまったんだけど、早く読んでおけばよかったなと思った。まずものすごくわかりやすい。自分がそこそこ西洋絵画の歴史を知っているのはあると思うけど、そんなに知らなくてもきちんと説明されている。「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」というのはタローマンのOPにも引用されている有名な言葉だが、これがきちんと解説されている。自分の考えていたのとだいたい同じ意味ではあったが、原典に触れるのは大事ですからね。あと人造タローマンのくだりとかである「でたらめをやれと言われてやるのは難しい」話にも紙幅を取っている。

何より印象に残ったのが、絵を描こうとすると、どうしても自分の知っている「きれいさ」などに取り込まれてしまうということだ。それはうまく描こうとしてしまうからで、じゃあ逆に「でたらめ」にしようとしたってどうすればいいのかがわからなくなってしまう。そのわからなさに出会うこと、そしてそこから少しでも、「自分の描きたいもの」に近づけること、それが一般的に言われる「きれいさ」に適合しなくてもいい、むしろ適合しないほうがいい、そういうことは高度な訓練を受けた才能のあるひとしかできないのだから。そうではないひとは、自分の絵を描くことになる、それが何であろうとも。

わたしは2年ほど前から多少絵を描いていて、2年で技術的にうまくはなったものの、ものすごくよくできているというわけではない。でも、自分の描いた絵に関しては、技量的な面で伝わってないところがあるかもしれないが、少なくとも自分が描けるもの、描きたいものを描いているからそれでいいというか、けっこう好きなところがある。もちろん、技術的に向上すればこそ描ける絵の範囲が増えるということもあるし、もっといい絵が描けるようになりたいけれども、それは世間的に評価されたいというよりは、自分の理想に近付けたいからだ。

そう思うと、わたしはテキストの技量を上げすぎてしまい、技量に足を取られている部分があるなというところに気付かされる。当然、自分程度の技術なんかよりはるかに上のひとたちもいるだろうが、自分の実現したいもののために技術を用いるのであり、技術があるからやる、というのは本末転倒にもほどがあると思う。なんだろう、絵よりも「やれてしまう」ことによって、かえって自分が不自由になっているように思うのだ、自分の望みに対して。自分のテキストの強みはがちがちに縛ったところから噴出するエネルギー的なところかなと思っているが、これは狙ってやるものじゃないし、これにふさわしい内容がある時に自然となるべきものなんだろう。

そういうわけで、今回の同人誌は、自分の描きたいことを書こうと思う、それはいつだってそうなんだけど、だいたいそれなりの長さのテキストを読ませるなら相手に配慮しなければならないとか、わかってほしいとか、こういう状態になってほしいと思ってしまう、それをできるだけ忘れたい。そもそもお前はどうしてテキストを書いているのか、という根本に立ち返ろう。わたしは語らないことを決めた7歳のころの自分のために書いている、ずっとそうだ、その子供が何も語ることができないからわたしは書いている、この代理はできるだけ誠実であることを望む。その誠実さがあなたにとってもそうであることを祈る。

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回復のナラティブを要請する社会について

なんか大仰なタイトルになってしまったが、ここからはじまるのは極めて私的なテキストであって、特に一般化できるようなものではないということだけ言っておきたい。この社会には回復、というか「普通」に戻すための力場があって、「逆境」から「回復」したとき、その「逆境」には価値があったということにするナラティブを発生させやすいという話をする。どういうこと?

要するに「つらいことがあったけど今は大丈夫だし、そのつらいことのおかげで逆にいいことがあった」みたいな話に丸め込まれやすいということである。これは、その「つらいこと」の渦中にある人間にとっては光となる可能性がある。「自分の状態は、いつか回復し、その結果として何かを得ることができる」というのは、希望である。その希望を否定するつもりはないし、人間が回復のプロセスを踏むことはよいことであるという認識をしている。

元に戻るものについてならそれでいいのかもしれない。しかし元に戻らない、というかむしろ、そもそもそのかたちではないものに関してはどうだろうか。

治る病気と治らない病気があり、後者は一般に障害と呼ばれる。後者の場合、投薬やらなんやらの結果として寛解することもある。寛解という状態がなく、薬を飲むと「普通」に生活することが可能ということもある。しかし治らないというのは事実である。治らないものに回復するというストーリーは発生しえず、なのに「そこから何か得られるかもしれない」という期待だけがうっすらと漂っている。

「善行は報われる」「悪人には必ず罰が当たる」「努力すれば成功する」などといった考え方のことを公正世界仮説という。何が言いたいかというと、なんらかの逆境、「普通」に対する不足が発生した場合、ここから「努力」して「元に戻る」といいことがある、という素朴な信念があるのではないだろうかということである。なお、公正世界仮説は認知バイアス、要は人間が持ちやすい考え方の傾向であり、特に正しいというわけではない。それでも、だ。それでもひとは回復のナラティブを求めてしまう。何かあるんだからいいことがあるんだと思いたい。

ここで自分の話を多少すると、わたしに発達障害の診断が出たのはここ数年のことなのだが、WAIS自体は大学院のころに受けていた。通っていた大学院の大学に発達障害センターみたいなのがあって、そこで受けて、まあそのときは診断出さなくていいでしょうになってたんだけど、その結果を持って病院を変えたら即座に診断が出た。(それ以前もずっと心療内科には通っていたが、大人の発達障害を診ているところではなかったので、病院を変えた)WAISの数字というより、結果を解説したときに言われたことをよく覚えている、「これは大変だったと思います」と言われて、大変だったんだなと思った。大学院に行けていた時点で恵まれているのは重々理解しており、しかしながら大変ではあった。その後一般企業に就労しようと何回かした結果、今はバイト+フリーの仕事+資格試験の勉強みたいになっている。資格を取ったところで正規雇用につける可能性はあまり高くなく、つけたところでついていけないのは目に見えている。

どういうことかというと、回復しないということである。いや、個人の中では「前よりよく」はなっている。しかし元には戻らない。元がないからだ。ずっと大変だったし今も大変だ。これから先もそうだろう。ここから何を得られるというわけでもない。わたしには「できること」がいくつかあるが、それは社会に寄与しない。というか、資本主義に寄与しない。資本主義に寄与することは可能だが、それ以外の側面が寄与を阻害する。オフィスにいることが苦痛とか、そういうことで。

ここでは回復のナラティブを発する個人を問題としているわけではない。回復するということにはひとに希望をもたらすこともあるだろう。自分の逆境をそのようなかたちで語ることを求める社会に対して話している。「もしかしたらこれがいいことだったのかもしれない」と思わずにはいられないような話をしている。というか「回復したんで大丈夫ですよ」と言わせているのはそもそも誰なのかという話である。世間に言わないと「大丈夫じゃない」ということになる。「大丈夫じゃない」のは「よくない」ので「大丈夫だ」ということにする。そうやって人は「回復」していくし、元の社会に戻ることが許されることになる。

許しているのは誰かという話をしている。誰だよそれ。この社会における「普通」というのは、勤労している人であったら「一日八時間、週五日以上働いている人」である。学校に通っている人であったら「学校に通えている」ことである。このレールから外れるととたんに「普通」ではなくなる。「普通」はそこに戻ることを要請する。戻ってきたらよかったねということになる。

壁と卵があったときに卵の側に立つ、オーケー、いい心がけだ。卵の側に立つひとがたくさんいて、あなたはそこから動けないかもしれない。あなたは花を踏んでいるかもしれない。あなたは足を動かせないかもしれない。花の名前を知らないとしても、あなたは花を踏んでいるのだと理解してほしい。理解したところで何にもならない。そうだね。なのにそのほうが多少はマシなのだと思う、それもまた誤謬のひとつであろう。

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ことばという手段、その不確かさ

今のところメインのSNSとしているブルースカイのbioの最初は「嘘つきの見習い」だ。「ゆかいな嘘つき」とかでもよかったんだけど、なんとなく見習いにしている。嘘という概念に対する執着があるというか、自分は嘘つきだと思っている。というかほんとうのことを言ったって誰も聞いてくれないんだからせめてゆかいな嘘をつこうみたいな考えがずっとある。そうなるとこのテキストも嘘だということになる。クレタ人のパラドクスだ。

比較的ことばを使うのが得意な方なのだが、それはわたしがことばのことを信用していないからだと思う。信用していたら切り刻んだり何だりしないと思う。音韻に興味を持つことができないのに意味の連関もぐちゃぐちゃにしている。そうやっていくつかの言葉遊びを作っており、それは楽しいが、それが何になるのかはわかっていない。形式と意味に関連があるとうれしい。形式のために意味を曲げていき、それが言いたかったということにしてしまうことがある。

言いたいことなんて最初からなかったのかもしれない。

冗談めかしてなにかを言ってればほんとうのことを混ぜたって気付かれないのではないかという考えがずっとある。ぜんぶ嘘だよ。

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感触とか手触り、まとまりのなさ

小説を書いた。『怪獣、あるいは手続き的あなた』というタイトルで、こちらはカクヨムに投稿している。円城塔賞(というかカクヨムコン)の締め切りが今日の12時だったのだが、11時くらいに投稿した。ぎりぎりすぎる。なにもまとまらなくてずっとじたばたしていたが昨日2500字書いて今日3500字書いてなんとかした。なんとかなっていたらいいな。

円城塔賞、一回で終わりの予定だったらしいんですけど、なんかもう一回やるということらしいので、じゃあ何か書きたいなと思っていたのが去年。締め切り間近にならないと何もできずにずっと放置されて方向性が見えたのが先週。先週!?イメージとしてはまず「あなたは怪獣になれない」があり、かつ「あなたは怪獣だ」を成立させようというのがあり、1万字くらいの規模にするなら途中で転調がいるんで「わたし」の話をしたら一人称と二人称と三人称が交じる話になった。基本的にはやらないほうがいいとされている気がしますがまあ……わたしは……そういうのが好き……追い詰められすぎて取り繕う余地がなく、逆に原液っぽくなったのでよかった、ということにしたい。

作業用BGMはサカナクション「ミュージック」でした。「怪獣」じゃないんだ……怪獣ってなるんじゃなくてされるものだなあという感触がある。わたしは怪獣に詳しくない。

絵を描いているほうが苦しみが少ない(下手だからということもあると思う)んだけどなんかずっとテキストを書いている。わたしはプロットを立てるのが下手すぎるし、何がどういう話になるのかがわかるのが書き終わったときなんですけど、その「わかる」プロセスをやりたいんだろうと思っている。自分の理解というのは特に価値があるものではないが、価値がないことはそれをしない理由にはならない。

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「?」の一字に救われるということ

なんかいろいろばたばたしていてぜんぜんこちらが書けていなかった。2025年紅白からこちら、なんやかんやタローマンとその周辺でずっとめちゃくちゃになっていました。突然山口一郎さんが神棚の下に紅白で使ったタローマンの棒を飾っている様子が投稿されたり、それに藤井監督が「太陽が昇る場所に神棚をまつるのはとても良いことだと言われています。」と引用RPしていたりして、えっその紅白のパフォーマンスってやっぱりタローマンの概念的顕現だったんですか?!になったりしていた。タローマンがどんどん現実に現れていく。

そうこうしていたら1月18日に109シネマズ大阪エキスポシティでべらぼうフィナーレ上映祭が開催された。わたしはその日は仕事だったので行けなかったのだが、レポがたくさん流れてきたのでほんとうに助かった。そしてさまざまなレポを総合するとこうだ。

藤井監督が山口一郎さんの衣装と、山口一郎さんが紅白で振り回していたタローマンの棒(通称べら棒、藤井監督製)を借りてきて、新宝島を踊っている(偶然なのかわからないが、5人で)

映像は個人の方が撮ってくださっているものがいくつかあるので検索してもらいたい。当然ながら、新宝島とタローマンは一切関係ない。というかなかった。2025紅白までは。山口一郎さんが突然べら棒を取り出すまでは。山口一郎さんはタローマンを紅白に連れて行ってくれた。今度は藤井監督が山口一郎さんをべらぼうフィナーレ上映祭に連れてきてくれたのだろう。わりと不思議な状況なのだが、タローマンというコンテンツにはこれを許す力があると思う。

ここからは解釈の話なのだが、山口一郎さんが映画で着ていた衣装を身にまとって新宝島を踊っている藤井監督(withべら棒)は、見立てとしてフィクション山口一郎(映画のラストでフィクションということになった「彼」のこと)だったのではないだろうか、と思える。スーツアクターがヒーロースーツを身にまとうことによって「ほんもののヒーロー」を顕現させるように。フィクション山口一郎は、フィクションなのだけれども、このような遠回りをすれば「そう」なのではないか、そしてその手に持っているべら棒も、2025年紅白で見立てによって「ほんもののタローマン」であった。ということはフィクション山口一郎(見立て)がタローマン(見立て)の手を取った(見立て)ということではないだろうか。見立てばっかりなのだが、「ない」ものって見立てるしかないし、そのほうがよほど「ほんとう」である。そういうことで絵を描いた。小説も描けたらいいですね。

よかったなあと思っていたら藤井監督のXの更新がある。全体的にとてもよかったのだが、一部を抜粋する。

岡本太郎も、そして山口さんも?言っていました。 「ぼくはきみの心のなかに実在している。疑う必要はいっさいないさ。そうだろ。」

この「山口さんも?」の「?」を読んだ瞬間に、よかった、と思った。それを言ったのが現実の山口一郎さんではないという留保がそこにあるから。完全にそうだと言いきるのでもなく、もしかしたら「そう」かもねというくらいの意味合いがそこにある。それに「そう、岡本太郎も言っていた」はタローマンの根底をなすことばであり、それに「山口さんも?」が加わることによって、山口一郎さんのインタビュー部分がタローマンというコンテンツの「真正性」を担保していた(過去形)という読みもサポートする。(タローマンクロニクルの山口一郎さんの帯文は二箇所あり、最後に載っているほうが本人コメントなのだろう。そこでもフィクション山口一郎がいるということはかなり明確なのだが、今回美しいかたちで表明されたと思う)

というかフィクション山口一郎も「心のなかに実在している」んだ……になっている。最近そういう読みになってきたのがサポートされてしまった。

正直なところ、これはモキュメンタリーの体裁をとってはいるが、そうではない、と言明するのはあまり粋なことではなく、わかっていても黙っていたほうがいいことなのだろうな、と思っていたのだけれども、でも、わたしはフィクション山口一郎が「いる」ことを知ってしまったため、いないキャラクターの話をするしかなくて、ずっとしていて、それが「?」の一字でやわらかく受け止められたような、そんな気がしている。

さて、8月22日に公開1周年イベントがあるらしいですね。行けたらいいですね。

 

 

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昨日何が起こったか

あけましておめでとうございます。いつの間にか2026年になっていました。そしてもう夜になっています。わたしは一日中なんか……てんやわんやしていました。昨日2025年まとめ記事を書いた時は落ち着いていたのに……

では何が起こったのか時系列順に説明しましょう。

タローマンが紅白に出るのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。映画はかなりのロングランだし、なんかタローマンって縁起物っぽい感じがする。サカナクションも紅白に出るし……ということで「ないことはないかな」という感じがしていた。でもタイムテーブルにないものって出るか?紅白というビッグコンテンツで?怪獣も新宝島もタイアップ先あるし……とわたしはない寄りで考えていた。タローマンは家で見てるって監督もポストしてるし……

でも普通にサカナクションは見たいので、それまでにお風呂に入っておこうとかそういうことをしていた。年末短歌のタグをやりながらぼんやりと紅白を見ていた。星野源さんのパフォーマンスがすごかった。任天堂の「すべて」じゃん……

とか思っていたらサカナクションの出番が来る。一曲目は怪獣。演出がめちゃくちゃよかった。完全にMVの続きとなっており、「存在するはずのない邂逅」がそこにあった。MVの「主人公」は宛先に届いたのかを知らないけどきっと届いたと信じていたであろう、その気持ちの先があった。けっこう短縮されてたけどメドレーだもんな……と思っていたら新宝島の明るいセットになりーー

山口一郎さんがタローマンのうちわを持っている

正直初見時はそこから先の記憶があまりない。山口一郎さんが笑顔でよかったな……と思っていたら終わっていた。司会のみなさんも一切タローマンには触れない。え?????

いやその……なんでこんなに動揺しているかってわたしが映画タローマンでいちばん好きなところが「タローマンとフィクション山口一郎の間に横たわる無のかたち」なので……そして現実の山口一郎さんが祝祭的パワーでタローマンを「現実」にしてきた、その事実に打ちのめされていたら一時間くらい経っており、手足が冷たくなり、動悸がすごく、なんなら熱が出ていた。なんで?

もうちょっと噛み砕いて説明すると、

  • タローマン本編の「タローマンと私」パートにはモキュメンタリー的性質があり、それは語り手山口一郎が現実に存在する山口一郎と同一であることを要請する(それが嘘だとわかっていても、そうだということにするという「お約束」が作り手と受け手の間に存在する)
  • 映画タローマンラストで語っている山口一郎はフィクション存在であることが、語っている内容やアンテナによって示される
  • なぜこれが可能になったのかというと、モキュメンタリーでなくても、タローマンは「実在」するから
  • 紅白の舞台でタローマンの顔だけが示される(なんか棒のところも腕の模様になってましたね……)
  • 新宝島は「君」を描き、「君」を歌い、「君」を連れて行く歌である
  • この「君」ってタローマンじゃん(少なくとも今この場においては)
  • タローマンが「いた」ってこと!?

なんというか、身体があるよりアイコンだけのほうが逆説的に存在強度が高いんですよ。この場においては。「それ」が「ある」ことだけが示されて、あとはすべて曲が語ってくれる。語ってくれたような気がしてしまう。実際にはなんかいろいろ事情があったのだろうしその全貌はまだ明かされていないのですが(何かあったっぽいことだけが山口一郎さんのYoutube配信などでわかる 追記:1月1日雑談配信の最初の方でお話されている)そういうのはいったん置いて、タローマンが、「現実」になったんですよ。

それで現実に打ちのめされてばかりもいられないなと思ってなんか書いたりもした。急いで書いたし気が動転してたから荒い部分もたくさんあるんだけどあのときにしか書けなかったからこれでいいと思っている。サイトに再録するならちょっと直すけど……当然ながら「ぜんぶ嘘」だし、それをわかってくれるひとに向けて書いてる。

わたしはタローマンの「現実」と「フィクション」のあわいの部分を愛しており(他の部分も好きだけどいちばん関心があるのがここ)、それを実感したイベントだった。山口一郎がタローマンを「現実」にして、タローマンが山口一郎を「フィクション」にして、そこできれいに片付いたかと思いきや山口一郎がタローマンをまた別の「現実」にした。映画のラストを美しいものだと思っているし、フィクションとしてはあれで終わりでいいと思うんだけど、なんか、ボーナスステージが急に来た。なんか終わった風に書いてるけど別にまだ落ち着いていません。落ち着くためにこれを書いている節がある。

そうですね、今年は気の利いたすてきな嘘つきを目指していきましょう。おそらくわたしの向いている方向はそちらなので。

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2025まとめ

最近は急に発熱して急に平熱に戻るなどしていました。なんとか平熱の状態で年を越せそうでよかったです。周りを見ていても謎の発熱がある人がちらほらいるのでみなさんもお気をつけて。

それはさておき今年のまとめ!なんかたくさん書いたし描いたぞ。

1月

  • インターネットに書けることはあまりないのだがかなり忙しくしていた
  • 小説を書くためにYoutubeに上がっている漫才を一日ひとつ見よう計画を1月下旬から3月くらいまでやっていた。というかお笑いライブに行ったのもこのためだった。
  • タイタンライブレアに行く。生の赤ちゃんには迫力があった。

2月

  • K-PROプレミアムLIVE(2/1)で完全ノーマークだったラパルフェのコントにハマる。サイトには上げてないけど絵とか小説とか書いてた。ここから同じコントを現地で3回(配信などでも2回)見ることとなる。
  • 1ヶ月間ほぼラパルフェの特定コントでくだをまいていた。
  • 上記の関係でWEL(ワタナベの事務所ライブ)に行く。ファイヤーサンダーの水族館がよかった。こたけ正義感の出囃子これなんだ!?になった。
  • ルミネtheよしもとに行った。エバース、席の関係で佐々木が一切見えなかった。マルセイユとさや香がよかった。
  • 自分の創作の原点を見返しこういう話を書いたりもしていた。

3月

4月

  • Obsidianで週報をつけはじめる。一応続いている。
  • 教皇選挙を見る。画面の色ばかり気にしていた。
  • 突発的に箱根に行き、ポーラ美術館でシニャックを見る。スーラの横に置いてあるとうれしい。川の側にあるカフェもよかった。
  • 好きな古着屋を見つける。いい感じにゴージャス。

5月

  • MCUはもういいかなと思っていたところ一応見に行ったサンダーボルツにハマってボブジョンを書く
  • 5月から9月上旬まで時短週6勤務のような状態になり、けっこう大変だった。
  • 埼玉県立近代美術館にシニャックを見に行く。小規模ながらもいい展示だった。あと椅子が好きな人は行ったほうがいい。
  • 誕生日に食べたレモンタルトがおいしかった。

6月

  • ボブジョンの同人誌を出す。長年の友人に表紙を描いてもらえてHAPPY。なお原稿執筆カフェに行ったら1.5時間で5000字書けてしまい、早めに帰ることになる。
  • シティホテル3号室の単独ライブに行く。衝撃のラスト。
  • 三菱一号館美術館でシニャックの版画を見る(ルノワール×セザンヌ モダンを拓いた2人の巨匠)。なかなかかわいい。
  • 友人とプチクールダルジャンのアフタヌーンティーに行く。とにかく器がすごい。

7月

  • Discordで「怖いコントをみんなで見る会」をやる。8月に2回目もやった。どちらも盛り上がってよかった。
  • スーパーマン(2025)を見る。ジェームズ・ガン、お前……!という気持ちになる。
  • ファンタスティック・フォー:ファーストステップを見る。リード・リチャーズがリード・リチャーズしていた。
  • ザ・スーサイド・スクワッドを見てポルカドットマンにめちゃくちゃになる。
  • ザ・ギースの単独ライブに行く。技巧派がバカをやっており、よい。
  • 旅に出るときほほえみを』が個人的今年ベスト本(既刊)でした。

8月

  • 大長編タローマン万博大爆発を見る。このときはこんなことになるとは思っていなかった。
  • MIU404を見る。おもしろかったが、自分にバディものの才能がないことがわかる。
  • ピースメイカーS1を見る。大傑作じゃないですか。S2は……なんでああ終わったの……
  • キュウの単独を見る。歴代最高傑作である可能性すらある。
  • フォロワーたちとめちゃくちゃおいしい鱧を食べる。

9月

  • 急に大長編タローマンにおける山口一郎さんがフィクション存在になったこととその意味に気付き、そのことしか考えられなくなる
  • フォロワーさん主催の1万円分の本を買ってその後プレゼンする会に参加する。楽しかった。
  • 人間の絵を描くのもおぼつかないのにタローマンの絵を描きはじめる。
  • 山口一郎さんが登壇する舞台挨拶が急遽決まり、なんとかしてスケジュールを調整し、フォロワーさん方にもチケット取りを手伝っていただき、参加する。
  • ここでタローマンと「僕」の話は終わりかなと思ったらまだぜんぜん続きがある。

10月

  • タローマンの同人誌を出すことに決める。本文トレーシングペーパー。べらぼうな巨人にはべらぼうな二次創作をするべきですからね。
  • 鷲野デパート名品展に行く。ジオラマが凝っててうれしい!
  • 岡本太郎記念館に行く。太陽の塔がこちらを見ている。
  • ゴッホ展に行きシニャックを見る。キャプションにもいて助かった。

11月

  • タローマンの同人誌の発送作業が終わる。なんとかなりましたね。
  • 岡本太郎美術館の雑談型アート鑑賞に参加する。ひとりでは見えないものが見える。
  • マンガが描けるようになる。やりたいことをやるぞ。
  • このサイトを急に作る。どんどんよくしていきましょう。

12月

  • 舞台PROPS!に行く。いい感じにまとまっていた。
  • 急に歴史創作ができるようになる。タローマンを混入したからでは?
  • 山口体験美術館に行く。なんか人間国宝の茶器でお茶が飲める。
  • 不真面目なマスターだったがFGO終章にぎりぎり滑り込んだ。これからどうなるんですかね。

思い返すといろいろなことがありました。ここに書いてないこともたくさんあります。なにはともあれ生き延びたのでよいのではないでしょうか。それでは来年もよろしくお願いいたします!

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年末短歌とは何か

わーっとなっていたら年末になっていた。一年って早いですね。読みたい本がたくさん積んであるのでなんとか崩していきたいです。『言語学を科学哲学する』、ハードだけどたのしいです。あとイーユン・リーも買っちゃったので読みたいですね。

それはそうと年末短歌です。短歌のコーナーを作って今までのログを入れたんですが、わたしは2019年から「いいねしてくれた人に短歌を詠む」という企画をやっています。思ったよりもやってるな……その名の通りなんらかのSNSでタグのついた投稿にいいねしてくれた人に対して短歌を詠む行事です。勝手にタグを作って勝手に始めました。もちろん誰でもやっていい企画です。年々参加者が増えており、去年は60首を超えています。

これを始めた当初はそんなに何も考えてなかったというか、年末の移動時間の暇つぶしくらいに思っていたんですけど、近年は明確に「祈り」だなあと思っています。わたしがその人に対して短歌を作っている間は、少なくともその人について考えています。何を祈っているって、なんだろう、幸せっていうのも難しいですからね、とにかくその人がその人であることを祈っており、その輪郭を描くことに注力しています。それが何になるかって何にもならないんですが、まあ、そういう時間を持つことにしています。だからこれは自分のためでもあるんですね。いろんな人に祈ってその結果として短歌が出力されるの、楽しいので。

内容としてはその人が今年ハマってたジャンルとか、印象的だったできごととかが多いです。アイコンの印象に引っ張られることもありますね。

なおたまに短歌がおみくじ的な当たり方をすることがあるらしいです。それは読んだ人がすごいんだと思います。

あと実は別にわたしのアカウントをフォローしてなくてもいいねしていいんですよね。そういう場合も100ポストくらいは読んで何か考えます。というかこのタグきっかけでフォロワーになった人もいたりします。気軽に参加してみてください。

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妹の結婚式があったので短歌を詠む

妹がふたりいる。妹のうちひとりが結婚したとき短歌を詠んだので、もうひとりが結婚するときも短歌を詠むべきだろう。昨日結婚式があったのでそのときの短歌をつくることにする。なおわたしは同性婚の法制化と選択的夫婦別姓の実現と個人単位での社会保障をさっさとしたほうがいいと思っている。

この短歌はフィクションですが感情はリアルです。短歌ってそういうものだからね。

Today is your day

寒いねえ寒いねえって言いながらささやかなふわふわの赤いショール

三歳の走るバージンロードにはものすごいトミカしか見えていない

そういった儀式によって祝福を遂行するイタリア語の聖句

てのひらにいっぱいのフラワーシャワーを実現するには花が足りない

いもうとのともだちのスタッドピアスといもうとの耳のピアスホール

ほんとうがなんだったってかまわないエンドロールの文字が真実

ふさわしい黄色のリンドールをくれる お前がいつでも正しかったよ

セットした髪から無限にヘアピンが出てきたね一日が終わったね

 

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可動域無機物換装とは何か

イラストコーナーに可動域無機物換装という項目がある。造語だ。もしかしたらこのサイトでわたしを知る人がいるかもしれないので説明しておこうと思った。というか最近わたしを知ってくれた人もびっくりするかもしれないし……しかし自分にとって自明すぎて説明が難しいな……ということで質問者が存在しないQ&Aでお送りする。実在する質問が送られてきた場合追記する。

可動域無機物換装って何?

可動域無機物換装は、関節部分などを球体や多面体などに置換した状態の人間のイラストのことである。球体や多面体には色がついていることが多い。実現可能性については一切考慮されていない。実現しないと思う。なお、「可動域無機物換装世界」と言う場合は、可動域無機物換装技術が実現され、人々がファッションとしてそれを行っている世界を指す。テクノロジーがすごいと思う。

どうして可動域無機物換装をはじめたの?

2年前に急にイラストを描きはじめ、急に自分の好きなものを描いていいんだ!ということに気がついたときに、胴体が水槽になっている人を描いた。その次に腰が八面体になっている人を描いた。そこでわたしの理想って「これ」じゃないのか!?ということがわかり、そういうイラストをどしどし描いている。

可動域無機物換装は球体関節とは違うの?

球体関節はちゃんと可動するようになっているが、可動域無機物換装は現在の物理法則で可動するようにはなっていない。あと断面がグレーアウトしている。別にグレーである必然性はないのだが、特に何色に塗るモチベーションもないのでそうなっている。球体はともかく八面体とかどうアニメーションするのか一切わからない。わかる人はやってください。

可動域無機物換装に要件はある?

特に要件はないのだが、その世界の人にとって可動域無機物換装がファッションであるとうれしい。現実世界でピアスを開ける程度の気軽さでやれたらいいと思う。なおわたしはピアスを開けるのも怖いほど痛みに弱いため、痛くもないといいと思っている。

可動域無機物換装を描いてもいい?

どんどん描きましょう。SNSに上げるときは可動域無機物換装タグをつけてもらえるとわたしが見られるのでうれしい。

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