ある日、空が割れ、それは現れる。僕らはそれを知っている。知っているからこそ驚嘆する。現実であることに恐れおののく。それは巨大なヒトの姿を取っており、その表面は銀色に輝いている。その背には黒い顔があり、その身体には赤いラインが入っている。その頭部は太陽をかたどっており、その瞳は光を反射してつやめく。
ある日、空が割れ、タローマンが現れる。
はじめてタローマンが「出現」したのは東京都心から少し外れた街でのことだった。僕はその最初の出現に立ち会ったひとりである。立ち会ったというか、行きあったというか、ただ、それを、目撃しただけというか。たしか昼過ぎだったと記憶している。そう、ランチを食べて外を歩いていたら、急に空が暗くなった。雲がかかったにしては不自然な暗さに、人々は立ち止まって上を見上げた。
最初に空に見えたのは銀色の大きな筒のようなもので、それが指であることはすぐにわかった。銀色の筒は五本あって、こちら側に伸びてくると人間の手のようなものになったからだ。右手の次は左手。手は空間を割いて、向こう側には真っ黒な空間が見えて、ぬるりと巨大な顔が現れた。金色の太陽のかたちをした頭部は、じっとどこかを見ているように思えた。
「タローマンだ」
と僕は思わず呟いていた。隣にいた人が僕を見た。タローマンを知らないのだろうか。
手だけではわからなかったけれども、顔を見ればすぐにわかった。これはタローマンだ。
タローマンは70年代に放送されていた、岡本太郎の作品とことばをモチーフにした特撮番組だ。僕は再放送で見ることになったのだけれど、お世辞にも現在の一般知名度は高いとはいえない。最近十話分くらいの本編映像や、いくつかの長編映画も発掘されたけれども、それらは局地的にしか人気が出ていない。だから隣の人が知らなかったとしても当然のことだ。
それにしてもタローマンだ。タローマンはフィクションだ。そんなことはよく知っている。だからといって、あれがなんらかのプロモーションだとも思えない。新宿などには飛び出して見えるモニタがあったりするけれども、空高くにモニタを設置できるような技術は現代にはない。あったら自分が使いたいくらいだ。というかあれが映像だったらさすがにわかる。ドローンだってあんなにうまく映像を投影できないだろう。
タローマンは真っ黒な空間からすいっと出てきて、遠くの方に着地した。揺れが伝わってくるほどの距離ではなかったが、身長が50メートル以上はあるタローマンのことだ、ここからでもよく見えた。
僕はスマートフォンを取り出して、タローマンの遠景を写真に収めた。多少ぶれてはいるけれども、たしかにタローマンだった。
後から聞いたニュースによると、さいわいなことに、怪我人は出なかったという。偶然なのか、意図的なのかは、定かではない。僕らにタローマンの考えていることなどわからない。タローマンはビル街を歩き、たまにビルを覗き込み、唐突に空を飛び、どこかに消えていった。
僕らはしばらく空を見ていたが、何もないことがわかると、思い思いに自らの日常に帰っていった。そうだ、僕にもこれから予定があったんだった。こんなところで立ち止まってはいられない。
タローマンの出現はすぐにSNSで拡散され、ニュースになった。テレビのヒーローが実際に現れたのだ。ニュースにならないわけがない。僕のところに取材が来た。あの日タローマンを見たんですよね、と聞かれたので見ましたと答えた。画像も提供した。タローマンの制作会社にもインタビューがなされたそうなのだが、当然、一切関係ないとのことだ。
『タローマンは実在しません』
と言い切った現社長のことばはネットミームにすらなった。僕だってそのくらいは知っている。タローマンは実在しない。テレビの中にしかいないはずの存在だ。中に人が入っていることだって知っている。制作現場の逸話だって読んだことがある。
でも僕は、僕らはあの日、虚空から出てきたタローマンを見たし、写真や動画だってたくさん残っている。
タローマンは実在する、というのが揺るぎない事実になり、それはそうとタローマンがその後どこに行ったのかは、誰も追うことができなかった。あんなに大きいのに。
その後、タローマンは世界中のさまざまな場所に出現した。出現しては、踊ったり、ビルに腰掛けたり、ただ歩いたりした。タローマンの動画が各種SNSで拡散された。フェイクも出るようになったが、僕にはそれが偽物だとすぐにわかった。タローマンはそんなわかりやすいでたらめをやらない。
そのうち、人類はタローマンに慣れはじめた。タローマンによる建物の損壊などの被害はあるが、それらは災害と同じものだと認識された。タローマンの出現場所や頻度を予測しようとする試みはすべて失敗した。タローマンは予測不可能な動きをするもので、それは僕らがテレビの中で見ていたのと同じだった。
現実にタローマンがやってきたことにより、タローマンブームが起こった。僕が集めていたタローマングッズはオークションで高騰しているようだったが、売るつもりはなかった。僕が買っていたのは換金できる財産ではないのだ。
僕はタローマンコレクション棚の整理をする。『大長編タローマン万博大爆発』で実際に使われた、ロボットに偽装するために刺すアンテナのホコリを払う。作中では光っていたけれども、これに発光ギミックはない。合成で光らせていたのだろうか。資料はないけど、きっとそうなのだろう。
タローマンで検索すると新規映像がたくさん出てくるようになってから、一ヶ月ほどが経過した。タローマンは相変わらず気まぐれに出現し、消えていった。タローマン作中のように、奇獣が現れることはなかった。地球防衛軍なんてないから、それでいいんだと思う。
だから、僕にとって、タローマンはやっぱり画面の中の存在だった。一度自分で見たし、写真も撮ったけれども、だからといって『実際にいる』という気持ちにはならない。
僕にとっての現実は、仕事があり、趣味があり、生活があるこの人生だ。服を選び、食事をとり、夜には眠るこの流れのことだ。その中にタローマンはあるが、アクチュアリティのある現実ではない。僕はタローマンのファンではあるが、それだけだ。
だから、その日も、新しいタローマンの映像がないか軽くチェックしてから家を出て、歩いていて、急に空が暗くなって、もしかしたらまた、と思ったら「出現」で、もちろんそれはうれしいけれども、ちょっと撮れたらいいかなってくらいで、そんなに重く考えていなかった。
僕がタローマンの出現に立ち会うのは、これが二度目だった。世界は広い。貴重な機会ではある。でも二回目だ。待ち合わせまで時間があることを確認して、僕は立ち止まった。周囲には普通に歩いている人たちもいる。
タローマンは空の裂け目から這い出してきて、近くのビルに腰掛けた。しばらく足をぶらつかせていると、すっと停止した。
次は何をするのだろうか。僕には思いもつかないようなことをしてくれるんじゃないだろうか。
そう思っていたら、タローマンはビルを降りて、空中に浮いた。地面から10メートルくらいのところだ。横顔を陽光が照らしていて、眩しいくらいだった。僕はスマートフォンを構えて、何回かシャッターを切った。今度はきれいに撮れたはずだ。
画面を見ていると、タローマンが急にこちらを向いた。正面顔って珍しいな、でも下からだから正面ってわけでもないか、と思いつつまた写真を撮った。
そうしていると、ぐっと視界が暗くなる。タローマンが身をかがめるようにしてこちらに顔を向けている。
ああ、わかった、タローマンは僕を見ているのだ。
ほかでもない、僕を。
僕はスマートフォンを下ろす。
タローマンまであと20メートルもないだろう。この距離だとかなり大きく見える。車がクラクションを鳴らしているのを異世界のように感じた。僕は足を進めることはできなかった。後ずさることもできなかった。金色の目が僕を見据える。人間のものと比べると、つるっとした目。まぶたも瞳孔もないのに、瞳だとわかる、目。いつもどこを見ているのかわからないその目。だけれども、今、僕はタローマンを見ているし、タローマンも僕を見ている。そう確信できる。まちがいなく、これが、真実だと。まるで世界中に僕とタローマンしかいないのではないかと思えた。タローマンの表情はわからない。その顔が変化するところを見たことはないし、変わることなんかない。だからその表情は祝福のようにも、威嚇のようにも思えたし、解釈をする必要なんかないようにも感じられた。
僕よりもはるかに大きなその存在が、僕を包み込むようでいて、しかし僕のほうがタローマンに突き刺さって、その存在を永遠に変えてしまったかのような錯覚にも襲われた。
その瞬間は長くは続かなかった。あとから考えてみれば5秒もなかっただろう。しかしそれは僕にとって永遠に等しかった。タローマンと視線を交わしたそのとき、僕は自分がどこにいるのかさえも忘れていた。自分が何をするべき人間で、どのような生活をしているのかを忘れた。世界のすべてが金色に包まれていて、タローマンが「いる」とか「いない」とか、そんな議論をするのがナンセンスであると思えるほどにそれは存在していた。
タローマンはふと横を向いた。その目線の先にはハトが飛んでいて、タローマンはそれを追いかけて歩いていった。
僕はようやく息ができた。タローマンと見つめ合っているとき、無意識に息を止めていたのだ。タローマンを見る以外のことを何もしたくなかったんだと思う。さほど時間は経っていないから、予定には遅れずにすむ。よかったと思う。よかったと思いながら歩くその足が、先程までとは違うもののように感じられた。全身の細胞が入れ替わって別物になってしまったかのようなそれは体験だった。何が起こったわけでもないのに何かが変わったそれが「出現」だった。僕以外の誰も経験しないかのようなそれは、それは、ことばを尽くすほどに手のひらからこぼれ落ちていく時間だった。
僕の体験したそれが、この世界にとって、最後の出現であったことは後からわかった。それから半年、一年、タローマンは現れなかった。人類はタローマンが出現していた頃のことを徐々に忘れていった。インターネット上の動画もフェイクが増えてきた。
それでも僕は忘れないだろう、あのとき、タローマンが僕を見たことを。
タローマンが存在することを。
僕は信じていくだろう、タローマンがこれからも存在し続けることを。
たまたま僕らの目の前にいないだけなのだ。
だから、そう。
今でも目を閉じると、あの瞳と目が合うような気がするのだ。
2025-09-25
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