シロクマ宅配便のメンバーは昼食を事務所でとることが多い。地域密着型ローカル宅配サービスだということもあり、そこまで広範囲を回らなくてもよいというのがその理由だ。ただ、スケジュールの都合上どうしても外で食べなくてはならないこともあり、それが今日だった。ままあることだ。コンビニの駐車場にトラックを止め、運転席で、桃井タロウはさなえが朝持たせてくれた弁当を開こうとした。きっとこれもおいしいに違いない。
そこに声がかかったのはままあることではなかった。
「あ、桃井さんだ」
窓の外にはスーツに淡いピンクのネクタイ、眼鏡を掛けたサラリーマンの姿。雉野つよしだ。元気よく手を振っている。
桃井はトラックの窓を開けた。
「どうした、また何か用でもあるのか」
また決闘でも申し込まれたらどうしようかと思ったところだが、今の雉野つよしは特段弱くは見えないし、そうではないのだろう。
雉野はえ、いや、用ってほどじゃないんですけど、見かけたので、と言う。
「おれはちょうど弁当を食べようとしていたところだ」
「そうだ、天気がいいし、せっかくだから、外でご飯食べませんか?」
配達スケジュールにはまだ余裕はあるし、桃井に断る理由はなかった。窓の外、雉野の向こう側を見やる。確かに、今日の空は澄んでいる。
近くの駐車場に車を置きなおし、桃井は雉野と歩いて公園に向かった。
雉野はどこか浮かれている様子だった。地面に足がついていないというよりは、飼い主に会ってはしゃぐ小型犬のような純粋さで。そこはかとなくざらついた声で語られるさまざまなことに桃井は相槌を打っていた。人間のはなしを聞くのは嫌いではない。
なんでも、外回りの途中で昼食を食べようとしていたところ、偶然桃井の乗ったトラックを見つけたのだという。
「なんとなくそんな気がしたらそんなことがある、今日はツイてるのかもしれません」
自分はラッキーアイテムか何かなのだろうか、と桃井は思う。
街路樹の葉は青く、陽光を透かして輝いていた。市街地の中心部からは外れ、一本路地を入ったところ、青い看板に公園まであと五百メートルですとの表示がある。
その公園までは歩いて十分もかからなかった。何回か配達の途中に通りがかったことがある、中規模の公園だ。遊んでいる子どもたちや、それを見守る親、昼時ということもあり、自分たちのように弁当を食べる大人たちなどでにぎわっていた。中に入ったことはなかったから、入口にあった地図を見ていたら、雉野がこっちこっち、と桃井を促した。
「お気に入りの場所があるんです! ついてきてください」
そう言って雉野が桃井を連れて行ったのは、公園の中心部であった。古びてはいるが手入れの行き届いた看板に『四季折々のひろば』と書かれている。
それでね、ここのベンチです。やった、空いてますね、と雉野は言う。
「ぼくここの公園好きなんですよ、特にこの、噴水が見えるところが。きらきらしてて、いいですよね」
ふたりは木製のベンチに座った。そのベンチのちょうど正面に噴水がある。四方に水路を持つその噴水は、すっくと伸びる翼のような抽象的な石造りのオブジェを中心とした、三段構成となっていた。
「こんな場所があるとは知らなかった」
「桃井さんにも知らないことはあるんですね」
「当然だろう」
見たことのないものは知らないし、知る必要のないことは、知らない。
桃井タロウはいただきます、と弁当を開く。中には白米と葉物のおひたし、彩りにミニトマトも入っており、メインはからあげだ。
雉野も隣で弁当を開けては目を輝かせていた。見たところ、わかめの混ぜご飯とキャロットラペ、卵焼きと豚の角煮が入っているようだった。
「みほちゃんのとっておき弁当! いただきます!」
雉野は箸を手に取った。豚の角煮を口に運んで、
「おいしい!」
「よかった」
それは本心からのことば。本心以外を口にすることなどできないのだから。
桃井もからあげを齧った。冷めていてもジューシーな味わいだ。
そのへんで走っている子どもたち、あれは鬼ごっこをしているんですかね、とか、他愛のない会話をしながら食事を進めていたところ、あれ、と雉野は首を傾げる。
「今日の卵焼き、あんまり甘くないですね。ぼく、卵焼きはお菓子なんじゃないかなってくらい甘いのが好みなんです」
もしかしたら砂糖を入れるの忘れちゃったのかもしれません、という雉野の表情は、しかし不満そうではなかった。
「うれしいな」
「なぜだ」
「だって、みほちゃんがぼくのために作ってくれたんですよ」
その返答は、桃井にとって不可解なものであった。
「でも、あんたはそれを好きじゃないんじゃないのか」
ええと、と、雉野は口ごもって、それから、要するに、と言う。
「ぼくのためにやってくれたことなら、なんでもうれしいんです。ぼくはみほちゃんのことが大好きだから」
雉野はさらに卵焼きを口に放り込んだ。
「うん、やっぱり今日のは味付けが違うな」
「逆じゃないのか」
「え?」
雉野はこちらを見て箸を止め、目をぱちくりとさせた。
「愛しているものがやってくれたことだから、なんでもうれしい、じゃないのか。なぜなら自分にその愛が伝わってくるから。あんたはそう言っているように聞こえる」
「えっ、でも、恥ずかしくないですか、みほちゃん……妻が自分のことを愛しているだなんて、他のひとに言うの」
ぼくにはちょっと、自信がないです、雉野はすこしうつむき気味に答えた。
桃井は雉野の背中を叩いた。
「もっと自信を持て。あんたは毎日弁当を作ってもらうに足る人間なのだと」
「たしかにそれは……そうかもしれませんね。みほちゃんはぼくのためにいろいろなことをしてくれる。だから、ぼくも、少しでもみほちゃんのためになるようなことをしたいんだ」
まずは午後の営業がんばらなきゃなんですけど、と、雉野は頭を掻いた。
「すみません、なんか、妙なはなしになっちゃって」
「いや」
実際雉野つよしのはなしは桃井タロウにとって興味深かった。理解はできないものの、自分とは異なる思考をするものとして。普通、愛してくれるひとがいるならば、それを誇るものではないのだろうか。少なくとも、桃井にとっては、誰かに愛されたこと、大事にしてもらったこと、そういったことはすべて、誇るべき記憶だ。
「今度桃井さんも家に来ますか? みほちゃんの料理、食べてもらいたいんです。ほんとうにおいしいんですよ」
「……もしそんな機会があればな」
やったーとはしゃぐ、これが自分より年上だとはにわかに信じがたい。人間は年齢によって規定されるものではないのだが、それでもこの男が平均よりもだいぶ茶目っ気があることは否定出来ないだろう。
そのとき、噴水がひときわ高く上がった。空中に一瞬だけ小さな虹を作る。水は即座に落ちて、水面は飛沫に揺れた。
「今の見ましたか?」
「ああ、美しかった」
ぼくはきれいなものを見るとみほちゃんのことを思い出すんです、はやくほんもののみほちゃんに会いたいな、だなんて言う雉野は、心から妻を愛しているのだろう。そして、その逆も然り。だから、きっとその目に映る世界はうつくしいものだ。愛し合いされて回る世界なのだから。
だけれども。
レンズの向こう側にある、彼の瞳がほんとうに見ているものが何なのかを、桃井タロウはまだ知らない。
2022-05-30
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