「あ――っ! いつになったらンコソバに帰れるんだ、オレは!」
とっくに日が落ち、夕食も終え、自室でひとり、ヤンマ・ガストは山積みの資料の前で頭を抱えた。ガス灯に照らされたマナ石がテーブルの隅に置いてある。
ヤンマがこの世界に『賢者』として呼び出されてからおおよそ三ヶ月。魔法があり、魔法使いがいて、倒すべき厄災がある、この世界のロジックは掴めてきたのだが、だからといって科学技術が存在しないのにはまだ、慣れていなかった。
なんでも、ヤンマは賢者の魔法使いたちを率いて厄災を倒すために呼ばれた、らしい。
ヤンマが普通の人間だったらここで使命を果たすのもよかっただろう。
ただ、ヤンマ・ガストはンコソパ国の王である。民を背負う総長である。自分がひとりいなくなったところですぐに瓦解するようなやわな国を作った覚えはないが、だからといって帰らない理由にはならない。
そのため、ヤンマは自らの国に帰るための理論を組み立てようとしていた。さいわいなことに文献ならたくさんあった――魔法科学の。
理論を構築するにもまず文献の文字が読めない、というのが大きな壁として立ちはだかった。自らの知る体系とは異なる文字を覚えるのには多少の苦労があったが、プログラミング言語を覚える勢いでどうにかなった。自然言語は必ずしも論理的にできていないというのが困ったところだったが、そのあたりは魔法使いたちに聞いてなんとか学術書を読めるところまで持ってくるところができた。
しかし読めるようになったところで、異なる論理体系で書かれたテキストは読み解くのが難しい。
そもそもここが『どこ』なのか、定かではない。自分のいたチキューと同じ次元に属する違う星なのか、それとも次元からして異なっているのか。チキューには魔法なんかなかったから、後者が濃厚なのではないかとヤンマは推測している。
だが、ヤンマ・ガストは、パソコンはおろか電気がなかろうとも、その程度で諦めるような技術者ではない。この世界にマナ石という代用資源があることは、ムルとかいう言ってることがあまりよくわからない――ただ彼の作り出した技術は本物のようだが――から聞いており、その文献を元にヤンマはチキューに戻るためのマシンを作ろうとしていた。その副産物としてこの世界の科学技術は大きく発展することになったのだが、それはまた別の物語。別の機会にするとしよう。
同じ行に三回目を通してもさっぱり頭に入ってこない。は? マナ石を特定の機序で熱すると爆発的なエネルギー生成の可能性があって? そのエネルギーって具体的に何なんだよ、特定の機序ってなんなんだよ、それこの後説明あんのか? とか思いつつデジタルデバイスなんかではない紙の資料と格闘していたところ、ノックの音がする。入れとヤンマは答える。
「賢者さん、まだやってんだな」
声の主はネロ――青い髪をざっとくくった、エプロン姿の青年、歳はヤンマと同じくらいに見えるが、実際もっと長い時間を生きていると聞く――であった。
「なんか根詰めてっからさあ、これ」
彼はヤンマの机のほうにすたすたと歩いてきて、書類をざっと避けて、白い皿をヤンマの前に置いた。皿の上にはくし切りにされたトマトと白いチーズが交互に重ねられ、緑色のソースがかかった料理が置かれている。
「トマトのカプレーゼ」
あ、バジルソースは自分で作ったんで、と、ネロはあたかもそれが普通のことであるかのように言う。
「この時間だと……夜食、ってとこか?」
「研究には栄養が必要だろ」
「一理あるな」
いただきます、と手を合わせて、ヤンマは添えられた銀色のフォークを手に取った。
「うめーな」
汁気のあるトマトとやわらかなチーズを一緒に食べるとジューシーさとミルキーさが相まっておいしい。
こっちの世界に来てからの食事はたいていおいしかった。その中でも格別、といった気分になるのは、疲れているのもあるだろうか。ンコソパにいたころも夜更かしすることが多かったが、だいたいゼリー飲料かエナジードリンクでしのいでいたこともあり、まともな夜食なんて食べたことがなかった。
いやこれ最高だわ、とぺろりと平らげたヤンマに向かって、ネロは、
「切って並べただけだけどな」
と謙遜してみせる。
「でもソースはテメーが作ったんだろ?」
なんといってもバジルソースだ。フレッシュなバジルの苦味がトマトとチーズにアクセントを加えていた。トウフの野菜と同じくらいおいしい。
「まあ、その程度は」
「優れた技術者はもっと胸張って生きたほうがいいぜ」
そうヤンマが言うと、ネロは口角を上げた。
「もっと俺の本領が発揮できる料理で喜んでほしいんでね」
「その意気だ」
「肉と魚なら?」
ヤンマは間髪入れずに答えた。
「肉だな」
技術者は身体が資本というところがある。元気の出る料理はあればあったほうがいい。ステーキとかハンバーグとか。
「次のディナー楽しみにしてろよ」
ネロは腕を組む。
「――そうだ、キッチンにもっと火力出る装備作ってやろうか?」
ヤンマが最初にこの建物の中を案内されたとき、気になったのがキッチンだった。水道は通っておらず、井戸から水を汲んでくる必要があるし、火を使う調理に関しては、薪を燃やしてその熱で調理しているのだという。他の文明レベルに対して低いと言える。ガスがあるのならガスを使えばいいし、なんならマナ石からの安定的なエネルギー抽出が実現されればそちらのほうがいいだろう。
「遠慮しとくぜ」
「そうそう、そのくらいオレにかかれば簡単……って、え?」
予想を裏切るネロの返答に、ヤンマは首を傾げた。
なにごとも、便利な方がいいんじゃないのか?
ネロはヤンマの皿を片付けながら言う。
「料理に必要なのは火力でも、ましてや魔法でもなくて――食べた人に喜んでほしいと思う心、それだけだ」
じゃあ研究がんばってな、俺はもう寝るから、流石に。と、ネロはヤンマの部屋から立ち去った。
ひとり残されたヤンマは、文献どこまで読んだっけ、と雑多に片付けられた山を崩しながら呟く。
「なんだあ、あいつ」
技術が世界をよりよくしていくだろうという、自分の見解に変わりはない。だけれども、ネロが、腕の立つ料理人が、あのように言うのならば、それもまた真、ではあるのだろう。
「まあ、矜持のあるやつは、嫌いじゃないぜ」
ヤンマはひとつ伸びをして、さ、あと一息頑張りますか! と自分に活を入れた。すてきなカプレーゼの分くらいは、今晩やってやろうじゃないか。
2023-07-23
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