喫茶どんぶら。マスターの代わりにはるかがコーヒーを淹れてくれた。ちゃんと教えてもらったようにしたんだけどな、と言うはるかだが、実際のところ、マスターのものよりもすこしだけ温度が高い。ゆえにすこしだけ酸味が強い。
大テーブルに着いた面々、ブラックコーヒーを口にしたあと、桃井タロウが切り出す。
「説明してもらおうか」
「はい! まず戦ってたら急にここに飛ばされてて」
「痛くはなかったが驚きはしたな」
「それにこの世界にはどんぶらのマスターがいなくて」
「この世界はおかしいなって」
好き勝手に喋りだすお供たちに、いいからまとめて話せとタロウは言う。
「あのドンモモタロウが何をしようとしていたかについては」
「私が先に気付いたが」
と声を揃えたのは真一とソノイ。
「もう、どっちでもいいでしょ!」
「夢だと思う、はずだった」
タロウは呟く。この世界は、元の世界をそっくりそのまま移し替えてできたはずのものだった。だから、もし彼ら彼女らと戦うようなことがあっても、悪い夢かなにかだと思ってくれるはずだと信じていた。
「ただの夢で片付けるには現実味がありすぎた」
真一は襟元を触りながら言った。
「どうやって世界を渡った」
「脳人の武器には次元を超える力がある。その行き先をこちらに合わせれば、どうにでもなった」
「そうか」
「なぜ私達に相談してくれなかったんだ」
君は首を差し出せとか言っていたが、そもそもこの世界に渡すだけなら戦う必要などなかっただろう、と真一はこぼす。
「あんたたちを試したかった。きちんと次の世界で戦っていける強さがあるのかと」
「なにそれ!」
とは言ったものの、はるかの脳裏によぎるのは、ヒトツ鬼との戦闘後にわたしたちに襲いかかってくるドンモモタロウのこと。こっちは戦いで疲れてるっていうのに元気で、鍛えてやるとか言ってたけどあれが本当に訓練に成っていたのかはわからない。
まあ、タロウより強い敵、いなかったけどね。
はるかがしたり顔で頷いていると、タロウはカップをソーサーに置いた。
「何よタロウ、不満でもあるの?」
「この世界のおれは、幸せなのだろう」
獣人の森からもともと人間の世界だったところに行くときに、それからこの世界へと人々を送るときに、タロウは『自分』と出会っていた。
そこでタロウは確信したのだ。
「おれはこの世に二人といない。だから、おれはあいつだ」
そして、幸福を知るという目的は、『自分』が達成するだろうと、理解した。
それゆえに獣人たちが自らを引き裂いてよしとするならば、人間たちへの恨みを忘れてそれ自身の生を生きることができるのならば、それもよいと思った。
「何言ってんのタロウ」
はるかは朗らかに言う。
「タロウはここにいるし、今荷物も運んでる、それでよくない?」
タロウがいなくなって、さみしかったし、でもタロウがどこかで元気にやってるのも知ってるから、それはうれしかった。
そして、どういう因果かわからないけれども、タロウがまた、ここにいる。
ひとりだろうとふたりだろうと何の関係もない。
真一はソフトクリームをスプーンですくう。
「確かに君がふたりいると大変だが……気苦労が二倍に増えるだけだ、大したことじゃない」
真一も、タロウが幸福であるのならば、それがいいのではないかと思っていた。その幸福に我々の存在が不可欠というわけでもあるまい。
ひとには多種多様な縁があるのだから。
とはいえ、自らその縁を断ち切ろうとする真似をするなら、それは話が違う。
ならば日常を、もう一度、送りたいと願ったところで悪くはないだろう。
つよしはアメリカンに砂糖を入れて、かき混ぜる。
「せっかく自分がもうひとりいるんだから、なかよくすればいいじゃないですか!」
桃井さんはなんでもできるし、だいたいの決断は正しい。だいたいは。だからといって自分ひとりでどこか遠くのさみしい場所に行こうとするのは、違う。
そう言い切れるようになったのは、たぶん、ドンブラザーズとして戦ってきたおかげだ。
ジロウはテーブルから身を乗り出す。
「ちなみに、どっちが強いんですか、あのタロウさんと、ここのタロウさん」
この前までずっと、どれがほんとうの自分なのか、わからずにいた。何が自分の生まれた意味なのかも、わからなくなってしまった。タロウを超えれば、少なくともタロウを超えたものになれるのだと、思っていた。
でも結局、答えは自分の中にあったのだ。
それに。
強くなれば、たくさんのひとを守れる。それだけは事実だ。
「どっちも同じだ」
タロウは眉ひとつ動かさない。
「戦ったんですか⁉」
「戦わなくてもわかる」
そのようなことをわいわいと話していたら、外からサイレンの音がする。無駄な抵抗はやめて出てこい、などと拡声器越しの声がする。どうやら警察隊に囲まれているようだ。
「この世界でも、オレの運命は変わらないということか」
翼はコートの襟を立てる。
世界を一つ乗り換えたところで、どうやら、追われるものとしての宿命は同じということのようだった。
まったく、新しい世界を作るならちょっとくらい贔屓してくれてもいいんじゃないのか。仲間……ではあるし。
でも。
「行くぞ翼」
ソノニが翼に手を差し出した。
誰かの手を取れる世界であることには、感謝している。
ふたりは別レイヤーへ続く扉を開けて逃げ出した。いつも通りの光景といっても差し支えないだろう。
「締切が三日後に迫っているぞ。ネームは」
ソノザが携帯端末でスケジュールをチェックしていた。
「あ、まだ終わってない!」
とはるかはため息をつくが、どこか嬉しそうだ。
だってマンガをたくさん描けるってことでしょう? たくさんのひとに読んでもらえるってことでしょう?
ならいくらでも頑張れちゃう!
ソノイはテーブルの片隅でカップを手に取った。
「これにて一件落着、というわけか」
これからこのタロウとどうやってかかわっていくべきなのかはわからない。
このタロウがまたドンモモタロウになるのかも。また共に戦うことができるのかも。
ただ、月は満ち欠けを繰り返しなお丸い。一定の周期で新月になるように、一定の周期で満月となる。
それと同じことなのではないだろうか。
はるかはカウンターにめぼしい茶菓子がないか探した。クッキーはなかったが、しょうゆのせんべいがあったのでみんなに配ってやる。コーヒーに合うのかは……どうだろう。でもなにもないよりはいい。
「なんかなんにも変わってないみたい」
こうやって喫茶どんぶらに集まって、ああだこうだと話をして。そんな平和な瞬間、そんなにたくさんはなかったはずなのに、これが普段の生活に馴染んでいるところがある。
その平穏もすぐに崩れてしまうかもしれないことが、今回でわかった。
「でも、タロウがいる」
それは、まちがいなく、真実なのだ。
ねえ、今度あのタロウも連れてきて、みんなでパーティーしようよ、とはるかが言うと、みなが笑った。
もちろん、タロウも。
2023-05-03
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