what we are here is what we were there.

視界の端に白が瞬く、それらが小さな花であることをエリック・レーンシャーは知っている。道端の花は踏み潰すものだと思っていた。目的のためには儚くも消し去らねばならぬものなのだと。あるいは人間に踏み潰されるものなのだと。だけれどもここでは違う。射し込む光の多彩さに応じてさまざまな彩りを持つ花々は、誰にも脅かされずここにある。薄い桃色、サファイアの青、夕焼けのオレンジ、それから水分を含んで透明に漸近する白。そのひとつに近付けばやわらかな香りが鼻腔を満たす。ジャスミンから甘さを抜いた青みのある香。これは傷を癒やすものだろう。
楽園の花々はひとつの島から芽生えて多様な姿を見せるのであった。楽園の名をクラコアと呼ぶ。地球の上にあってなお人間の踏むことのなかった地。我々のための約束の場所。それはさまざまな緑を持ち絢爛豪華な植生をなす。ジャングルのように、芝生のように、公園のように、庭園のように。人の手の加わらぬ原生林のように。そしてみな地球にこれまであったものとは異なっている。クラコアへのゲートとなる花が最も特徴的だが、島は望めば望むだけ、願いを叶える植物を与えてくれるのだ。サイファー曰く、ひとつの生態系かつひとつの生命、独自の言語を持つひとつの文化、意思をも持つ島、クラコア。どこからか風が吹き、草花を静かに揺らす。ジャスミンに似た花はジャスミンではなく、我々もまたそうであった。私達に似ているが、以前の私達ではない。それでいて、これまで存在していた我々とは違うものなのだと、なおかつたしかにここに存在してよいものなのだと知っていた。

島は我々を祝福する。
我々は島を敬愛する。

すべてに満ち足りた、外の世界とは違う『理想郷』、しかしながら世界にはまだ敵がいるのだ。ホモ・サピエンスの大半は我らが要求を受け入れ、そうでない国もあるものの戦争状態にはない。なのに人間の一群はミュータントを敵視する。何故なのか合理的な理由が見つからない。空が降ってくるわけがないと信じ切っているのに、どうして完全な上位種の存在を信じられないのだろうか。
敵は近代兵器を使っているし、ものを考えられないわけでもあるまいし。
そういった日々もいつかは終わるのだろう。
新しく生まれる子どもたちや、ようやく故郷の土を踏める帰還者たちが、明日を憂うことなく暮らせるようになるのだ。
ここで。
クラコアで。

エリックの家である〈House of M〉は、これまでのあらゆる住処よりも居心地がよかった。白を基調としたシンプルなインテリアと、生活を助けてくれる植物たちの優雅な融合。ここに来るまでは、自分で作ってもよいと考えていたが、新しい家に来てからはそういった気持ちが一切なくなった。どんな家にも不満があるものだが、島が与えてくれたこの屋敷では、望む前に与えられ、望んだものはよりすばらしいやり方で顕現する。
インターホンが鳴る。敵襲を告げるアラートではなく。
モニタを見ればよく知った顔であった。エリックは入室許可を下す。
長いエントランスを抜けてやって来た人物は、小さな手提げ袋を持ってきていた。
「この前の任務はご苦労だった」
「やるべきことをやったまでだ」
暗い赤色のサングラスを掛けて、スコット・サマーズがやって来た。
「マントを着ていないあなたを見ると、ここは平和なんだなと思うよ」
「私服で着るほど、私は寒がりではないんでな」
手提げ袋の中に入っているのは、サマーハウスのみなで作ったクッキーなのだという。エリックは鉄製のポットに電磁調理器の要領で湯を沸かす。スコットは壁面に青々と茂る葉をちぎって、ティーポットの中に入れている。これはハーブティーのように扱える種類の植物なのだ。カモミールに近いはたらきを持っており、リラックス作用がある。クラコアが提供してくれるものの中には、こうやって日常生活に役立つものもあるのであった。
「そこの花も香り付けに入れるといい」
わかった、と答え、スコットは小ぶりの花をガラスポットに入れる。ピンク色のツツジに似ているその花は、ローズヒップのような酸味を持つ。ゼリーとしても美味しいと聞いたことがあるので、エリックは今度作ろうと思う。
机の上に置いてあった皿はシンクの中に入れる食器洗いも簡単なものだ。緑色のスライム状の液体の中に入っている酵素が汚れを分解してくれるらしい。手洗いはおろか食器洗浄機も必要ない。
しばらくするとガラスポットの中の花々が開く。無味乾燥な紅茶よりも、こうやって彩りのあるものがおもしろいのだとエリックは思う。スコットが食器棚からカップとソーサーを出しておいてくれた。勝手知ったるものだ。こうやって彼が――彼以外の多くのミュータントものだが――がこの家に来ることは珍しいことではなかったので、特段不思議なことはない。
ホームパーティーをする!あの磁界王エリック・マグナス・レーンシャーが!
だなんて考えることもあるが、それははるか遠い過去の物語だ。
今は単なるミュータントの庇護者であるし、ティータイムを楽しむことだってできる。

スコットは、クッキーの他にも小さな本を持ってきていた。
青い布で装丁されており、クラコアの文字で書かれている。エリックはそれを難なく読むことができる。簡単な単語で書かれたそれは、どうやら冒険物語であるようだ。
「新しくやってきたミュータントの子供の中には、物語を書くものもいるんだ。もちろん、ミュータントが主人公の物語を」
その中には、エリック、あなたのようなキャラクターもいたような気がするとスコットは笑う。
「我々は人間の物語を読まされ続けてきたからな」
ミュータントの子供が書く物語はミュータントが主役であること。当然のことのようで、当然ではないことだ。これまでこうやって、ミュータントが自らの言葉で話し、語り、描いたものを、人間が正当に扱ってきただろうか?そもそも、今まで我々は自分たちの言葉すら持っていなかった。生まれた土地に縛られて、その土地で話されている人間の言語を用いてきた。
スコットはハーブティーを一口飲んで言う。
「そう、そのときに気付いた。僕らが今まで使ってきた教科書も、テレビで流れているドラマも、みんな『普通の人間』がベースになっているのだと。ミュータントは周縁化され、例外的な存在として扱われていた」
「クラコア国営テレビでも作ったらどうかと、今度のカウンシルで提案してみようか」
「それはいい。テレビと言っても、モジョーは御免だけど」
「平和になったら、きっとクラコアの民のみならず、全世界の人間がミュータントが普通に出演する番組を見ることになるんだろうな」
「ミュータントは増え続けるし、我々にもう死は存在しない。そういった時代に生きることさえできるんだ」
生きることができるというよりは、生きていなくてはならない。
チャールズ・エグゼビアの理想郷がここだ。そしてエリックは理想郷の庇護者だ。
かつてのユートピアのように儚く消えるものであってはならない。

エリックはハーブティーをカップに注ぐ。さわやかな香りがあたりに広がった。
白い皿にはスコットの持ってきたクッキーを乗せる。ジンジャーレモンフレーバーらしい。サマーハウスでは、サマーズ家とその他のひとびとが、ゆっくりと暮らしているそうだ。
「今度は僕の家にも来てくれてもいいんだ、エリック。中庭は広く、ミュータントの英雄はいつだって歓迎される」
「ポラリスも共に来るだろう」
「それはいい」
任務がなければ穏やかな日々が続くのだ。任務はミュータントを守るために大切なことだが、日常を送れなくなるのが寂しい、そう考えるようになったのがいつからなのか、エリックには見極めきれずにいる。
しかしそんなことはどうだってよいのだ。
ここに平穏がある。

「戦いが終わったら――戦いが終わるって、何なのか」
そういえば、とスコットは言う。
それは当然の疑問であった。彼の人生に戦いのなかった頃はないだろう。教師として働いていても、どこかで子どもたちが襲われていた。国家に、そして同胞たちをも敵に回した時期はなおさらだ。
そのときエリックはスコットのそばにいたのであったが、後進を育てつつも、基調が闘争であったことはよく覚えている。
「僕らはあの頃を覚えてはいない。僕たちが敵と戦っていたころ、その敵が同胞であったころ、すべては記憶としては存在するけれど、僕の記憶ではない」
「私にとってもそうだ。これは何回目の人生なのだろうか」
白紙に戻されて、データベースから書き起こされる魂が、本質的に生前と同一なのかを、エリックは知らない。それは人間の思考では計り知れないことだ。眠りと死を隔てる基準がなくなってしまったここで、そんなことを取りざたする理由がないともいえるのだが。
ミュータントに神がいれば、どれほど救いだろうかと思う。
残念ながら彼らの神はホモ・サピエンスを担当しているようだ。
「でもいつか、今度こそ、敵がいなくなる日が来て、僕らは物語を紡ぎ、日々を過ごし、みなに感謝して生きるのでしょう。そのとき僕らは、また輝かしいパーティーをして、その次の日は、何にも心患うことなく目を覚ますのだろうか」
『人間』がその内側で些細な差異を見つけては集団を排斥していたことを、エリックはよく知っている。自らの身をもって、そして、さまざまな歴史から得た知識によって。
ミュータントが地球を支配して、外宇宙からの脅威にも耐えて、この小さな島が世界の全てとなった時、我々がそれを繰り返さないなどと、どうして言えるだろうか。
ホモ・スーペリア。ホモ・サピエンスからの超越を示すためのその名は、同時に彼らとの類縁性を示す。
だが今、それを告げてどうなると言うのだろうか?未来を信じて、ひとつの目標に向かって進み続ける我らが若き戦士の、蘇り続ける不屈の魂に対して、悲観主義を押し付けてどうなるのだろうか。
だからエリックはこう答える。
「少なくとも、私の知らない朝日だろう」
「その日を、みな心待ちにしている」
スコット・サマーズは朗らかに答える。その言葉に影が落とされないことを、エリックは願っている。

我々は花を愛するようにここにいて、私は自由を夢見る必要もなくて、彼は正しさのために戦える。
それの何に問題があるのか、我々にはついぞわからなかった。

2022-05-30

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