四
あなたへ
あなたへの手紙は、書いてから引き出しにしまっています。切手を貼って、出したところで、どこにも到着しないのですし、そもそも、わたしはあの場所の住所を知りません。自分がいた場所の住所を知らないのは、今となってはおかしなことなのだとわかりますが、あのころは、外に出ることもなかったのですから、自然なことでした。
アレンに聞いたらわかるのでしょうか。
もうそろそろ、アレンに頼るのもやめたいと思っているのですが、ならどこに行けばいいのか、たまにアレンの家に顔を出し、仕事の手伝いをしてくれている、キャシーではないだろうし、ということくらいはわかっており、わたしは今日も地下室にいるのです。
最近のアレンは普段と変わりません。思い悩むこともなくいつも朗らかにしています。昨日なんかは近所のスズメバチの駆除を頼まれたそうです。わたしも同行しました。わたしはハチに刺されることがないので、便利だったのでしょう。わたしの肌はヒトとは異なる素材でできているので。アレンが蜂の巣にスプレーをかけて、ハチの動きを鈍くしたところで、わたしが棒で蜂の巣を落とし、下で待っていたキャシーがそれを受け止めました。みな防護服を着ていたので、安全に作業は遂行されました。
その家の住人は喜んでいました。アレンと写真を取ることを望んでいたので、わたしはシャッターを切りました。後日、写真が届けられることになるでしょう。
その帰り道、キャシーは先に自分の家に帰ると言い、わたしとアレンはふたりで帰路につくことになりました。まだ夕日と呼ぶには傾いてはいないけれども、太陽は中天よりも下がった位置にありました。
少しばかり長い影の中、アレンは言います。
「話したことなかったっけ、天命のはなし」
「聞いたことないですね」
「前の世界のはなしなんだけど、いきなり、今の世界は間違っていて、正しくするためには〈統一するもの〉を消さなきゃいけないってわかったの」
「アレンはそれを神と呼ぶのですか?」
天命というのは、一般に神から授かるものです。わたしは、アレンが神を信じているとは知りませんでした。
「うーん、わからない。別に声とか聞いたわけでも姿を見たわけでもないし。でもわかったの。わかったから、やれたから、おれはやったの。それを簡単な言葉に丸めると、天命なんだと思う」
家につくまでに、影はもう少し伸びていました。わたしは、この家を自分の家と呼ぶのに抵抗がないことに気が付きました。
あの部屋も、あなたの家であって、わたしの家ではなかったのですが。
キャシーと別れる前に、彼女はわたしにブラックベリーをくれました。なんでも、キャシーの家の庭で採れたものなのだそうです。ジャムにするのもいいけど、新鮮だから生で食べられるよ、と、言っていました。カゴいっぱいのブラックベリーはみずみずしく、いくらでも食べられるものだとすら思ったのですが、すぐになくなってしまいました。アレンにも半分分けたのですが、アレンもまたたく間に食べ終わっていました。
あなたはブラックベリーを食べたことがありますか?
そういえば、わたしはあなたがものを食べるのを見たことがありませんね。
そして、今朝のことです。
アレンは、わたしに旅をするほうがいいと言いました。
「旅って、どこに」
「まあ、まずは庭を一周するところからはじめるといいよ。そのうち、行きたい場所が見つかるんじゃないかな」
そういうわけで、わたしはアレンの作っている庭を一周することにしました。アレンの庭というのは、わたしが住んでいる家の庭ということでもありますが、アレンがわたしに、庭の手入れをするように頼んだことはありませんでした。買い物や、家の掃除や、料理などに関しては、頼まれることがあったのですが、庭に関してだけは、キャシーにも触らせていませんでした。なにかこだわりがあるのでしょうか、と聞いたことがあります。
「別に、こだわりとかじゃなくって、これは、おれのものだと、思いたいだけなんだ」
「ここはアレンの土地ですよね」
「うん、所有権の話じゃなくてね」
「だからお前たちに任せたっていいんだけど、でも、頼まれ仕事だけじゃなくって、おれが自分でやってる実感がほしいっていうか、なんだろうな。自分でもよくわからないんだけど、おれは、おれのものがほしいんだよ」
そうですか、とわたしはうなずきました。何を言っているかはよくわかりませんでしたが、アレンはたまに、そういった発話をすることがあります。
とにかく、庭です。アレンの庭は、家の周りに広がっています。わたしの足では、だいたい百歩もあれば回れるくらいの大きさです。広すぎもせず、狭過ぎもせず。ここを歩いたことがないわけではないのですが、今回はこの庭にあるものをつぶさに眺めてみようと思ったのです。そうすれば、何かがわかるのかもしれません。
わたしは石造りの階段を降りて、庭に出ます。遠くに金属で花の細工が施された門扉が見えます。普段ならそこにまっすぐに向かうのですが、今日は庭を一周する日なので、右に曲がります。そうすると、アレンが形を整えたのだろう小さな木が並んでいます。今は花をつけてはいませんが、冬になると赤い花を咲かせるそうです。この季節にはつややかな葉が茂っています。それらに近づくと、青々とした香りがかすかにします。かさりと音がしたので、そちらの方を見ると、茶色い鳥が木に止まっていました。雀でしょう。珍しいものではありませんが、この庭に動きをもたらしていました。さらに歩いていくと、平たくて丸い石が三つ置いてあります。この石が何を表しているかは定かではありませんが、石の上に乗って今までいた家の方を見ると、ちょうど玄関が見えることがわかりました。その石を過ぎると、落ち着いた青色に塗られた郵便受けが設置されています。中に郵便物は入っていませんでした。
庭を一通り見て、家に戻ると、アレンはまた本を読んでいました。わたしの姿を見ると、
「どっか行きたいところできた?」
「特にないですね、あの庭が満ち足りているということはわかりましたが」
わたしに外の――この場合は、この家と、スーパーマーケット以外の――世界に興味を持って欲しいということは、わかります。しかし、あの庭をつぶさに見て、思い返したのはひとつしかありません。それは外ではなくて、部屋の中の景色でした。外を知ってしまったからこそ、あの部屋が、異質であったことが、わかりつつたったのです。
だから、わたしはあの家に行きたいと言いました。
わたしがかつていた場所。部屋しか知らない、場所。窓から外を見ようだなんて一回も思わなかったあの頃、部屋に窓がないことを当然だと思っていた、あの頃。
あれは地下室だったのでしょうか? そのような推測ははたらきますが、唯一答えを知っているあなたは、答えてはくれません、もう。
アレンは、ひとつ息をついて、でもまあ、おれが言ったんだもんな、とつぶやいて、
「え、あの家――って、〈統一するもの〉が住んでたところ? あれまだ、残ってるのかな。当然、あのころと同じ形で残ってるとは、思えないけど」
「場所はわかるんですよね?」
「場所はな。行ったことあるもん。世界がこの形になる前だから、道は変わってるかもしれないけどさ」
じゃあ今度教えてやるから、行きなよ、と言われ、わたしはその地図を持っているのですが、まだ、あなたの家だった場所には、行っていません。
その地図によれば、あなたの家だった場所は、ここから遠くはありません。一日あれば行って帰れる距離です。あなたは認識されていなかったはずなので、たまに認識してしまう誰かが、あなたの家を制圧していなければ、そのままであることでしょう。
わたしは恐れているのです、あの家に行って、あなたがいないことを。いや、いないことくらいはわかっています。ほんとうにいないことが、わかったら、わかったら、どうすればいいのか。
アレンは、わたしがまだあの家に行っていないことを知っているでしょう。しかし何も言いません。
ある夜、チキンソテーを食べながら、アレンはぽつりと言いました。
「かみさま、っていうのがほんとうにいるとするなら、おれたちの区別なんかつかないんじゃないかな」
わたしは、神の実在についてはっきりとした見解を持っていません。概念としては知っています。アレンがたまに天命、と言うことは気になりますが、彼が神についてどのような見解を持っているのかは定かではありません。今の発言からすると、たとえ話の中にはいるようなのですが。
アレンはチキンをナイフで切りながら続けます。
「おれたちが、羊の群れを見ても、羊がたくさんいるとしか、思わないように」
そのたとえは、実際に見たことがなくても、わたしに伝わるものでした。
わたしは羊の群れを直接見たことはありません。ただ、羊が群れるものだという情報は与えられています。羊が白いという情報は与えられています。その情報だけでは、羊たちの、それらの区別は、つかないのでしょうか。
わたしは鳥を食べたことがあります。今食べています。食べたところで、鳥の本質を理解できるわけではありません。ましてや見ただけでは。
でも。
何も知らないよりは、ましなのではないでしょうか。
わたしは想像します。羊の群れというものを。草原の中に配置された白のことを。それらは自由気ままに動いていて、わたしには区別することができないのです。
だから、羊の群れが見たいと思いました。
そうアレンに言ったら、
「見に行けばいいんじゃないの」
と返されました。
「羊の群れは、どこにいますか」
「えっとね、たぶん、北の土地」
そういうわけで、わたしは北の土地に行くことになりました。
日差しはまるでヒトを刺すようです
シロ
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