五
あなたへ
北の土地は、夏でもある程度涼しいのだと知っています。今いる土地は、夏になると帽子やサングラスなしでは外に出るのが困難な暑さです。北は、どうなのでしょうか。
「そういえば、いつまで律儀に手紙書いてるの? 届かないのに」
「手紙を書けと言ったのはアレンの方ではありませんでしたか?」
「最初はそう。でも続けてるのはお前だよ」
旅立つ前に、そんなことを言われたのを覚えています。
今は小さなコテージの、自分に割り当てられた部屋でこの手紙を書いています。実際、羊の群れを見るだけなら、郊外にある牧場に行けばよかったのですが、アレンがせっかくなら遠くに行ったほうがいいよ、というので、北まで行くことにしました。北の牧場は、たいそう広いと聞きましたし。
「アレンは行ったことがあるんですか?」
「ないよ」
「なのにどうしてそこまで勧めるんですか?」
「お前はたぶん、いろんなところに行ったほうがいいんだよ」
いつものように、それが正しいのだと言わんばかりに、アレンは言いました。
机の上にはブラックベリーがこんもり入ったガラスの器が置いてあります。コテージの管理人がサービスに、とくれたものです。庭で取れたから、わけてあげるよ、と言われました。いつだか、キャシーがくれたブラックベリーのことを思い出しながら、わたしはそれを口にしました。北の方で採れたものだからなのでしょうか、それとも真夏だからなのでしょうか。ブラックベリーの旬は、初夏から夏の終わりまでです。その真っ只中ともなれば、味が変わる可能性があるでしょう。このブラックベリーは、甘味と酸味のバランスが取れていて、口の中いっぱいに甘酸っぱい香りが広がり、とてもおいしいものでした。それと同時に、キャシーがくれたものも、よいブラックベリーであったことがわかりました。比べるようなものでも、ないのです。
管理人に、ブラックベリーの礼を言ったら、そんなこと気にしなくていいよと言われました。いたってなごやかなヒトだなという印象が、わたしには残されました。
あなたが支配していたのは世界すべてなのですが、中央から離れると、その事実もあまり知らしめられていないらしいですね。もっとも、あなたの支配というのは、常にしずかで、穏やかで、声高ではないので、知らないのは当然のことともいえるのですが。アレンが知っていたほうがおかしいのです。
それはさておき、わたしは長距離列車に乗るのははじめてでした。スーパーマーケットには歩いて行けるし、大きな店舗に行くのだって、アレンの車で行けたのですから。運転はキャシーが行うこともありましたが。アレンは他人から頼まれたことはなんでも行うものでしたから、車があるのは便利なことでした。車で行けない場所は、アレンの管轄外です。
わたしは車の助手席に乗っていて、アレンは車を運転していました。それが日常になったころ、ふと思ったことを、聞いたことがあります。
「アレンは、すべてを救うことはもう、しないんですか?」
「だって、そんなこと、できないじゃん」
「でも、あなたはあのひとを倒して、世界を救ったんでしょう?」
「それは、また別の話だよ。排水管を直したり、買い物の代行をしたり、庭の木を切ったりするのが、今のおれのやるべきこと。あのときのおれは、世界を救わなきゃいけなかったから、やっただけ」
信号が赤になりました。車は停まります。
「では、今の世界は救われるべきではないのだと?」
「そういうむずかしいことは、わからないな。なんか、偉いひとたちは、文学とか哲学とか社会学とか統計学とか使って、次の世界の危機について考えているみたいなんだけどさ、おれはそういうの関係ないの」
「しかし、この世界には犯罪があります」
「〈統一するもの〉の世界にだってあっただろ?」
「それは、管理されたエラーです。完全な野放図ではありません」
信号が青になりました。車は進みます。
「その区別は、被害者にはつくのかな」
「つきませんが、均衡は取れていました」
「そう、完全な均衡ね、あいつの作った世界。それが均衡だってことにすら、構成員に気付かれない世界」
あなたの世界では、誰もが役割を持っていました。そしてその役割について、誰も知りませんでした。その上で、平穏が成り立っていたのです。
アレンは続けます。
「おとぎばなしに、悪い王様って出てくるじゃん。女王様でもいい。とにかく、悪くて、民に圧政を敷いていて、最後に倒されて、ハッピーエンドになるやつ」
「そのような物語類型は、世界各地に見られます」
「〈統一するもの〉はそれじゃなかった。圧力で押さえつけてなんかいなかった――ただ、均衡をとっていた。でもそれって、ひとりの人間――存在がやるべきじゃないんだよ」
「だから、アレンはあのひとを倒したんですか?」
「前も言ったじゃん、そうするべきだからそうしただけだよ」
ほら着いた、今日は水回りの掃除だ、と、アレンは言いました。
その日の仕事は、ある家の水回りすべてをきれいにすることで、わたしもその手伝いをしたのですが、アレンはてきぱきとわたしや家の人に指示を出しており、これが世界を救ったヒトの能力なのだと感心するばかりでした。
いつも話がどこかに行ってしまいますね。そういえば、わたしもこのコテージの水回りのお手伝いをさせてもらいました。ここについたとき、管理人が、蛇口から水がずっと漏れている部屋なんだけれども構わないか、と聞かれて、それならこちらで直せます、と言ったのです。そして、わたしはその言葉を実行しました。用意された工具を適切に使用して、水漏れを直す。アレンが言っていたことを思い出せば、簡単なことだったのです。その旨を、アレンに手紙で送ろうかな、とも思ったのですが、どうせまた会うのですから、今書かなくてもいいでしょう。
会える人には手紙を書かなくてもいい。だからわたしはあなたに手紙を書いていませんでした。
しかし、手紙というのは誰かが読むことを期待して書くものでもあります。この手紙は、あなたに読まれることが期待されていません。燃やしたところで、煙になるだけで、あなたの元に届くわけではありません。そんなことを、この手紙に書いたところで、いったいなんになるのか、わかりませんが、とにかくわたしは書いていて――書くことで、何を得たのでしょうか。
明日、牧場に行きます。
羊の群れというのはどのくらいの大きさなのでしょうか?
コテージの一室にて
シロ
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