Goodbye once (more) - 7/9


あなたへ

羊の群れを見てから、わたしの考えは多少変わりましたが、それはそうと、他の羊の群れを見たいとは思いませんでした。他の羊で構成されていたところで、それは羊の群れであることには代わりありません。細胞が新陳代謝していったところで、ヒトが同一個体であるのと同じように。ほんとうにそれは同じことでしょうか。
あなたは牧羊犬であり、あなたは脳だったのでしょう、と思っています。
牧羊犬を失った羊の群れはばらばらになるはずなのですが、世界はかつてと同じままに存在します。少なくとも、わたしの目にはそう見えます。
アレンにそれについて尋ねてみたのですが、今日の仕事のほうが重要だと言って答えてくれませんでした。だからあなたに手紙を書いているのです。
あなたに手紙を書けば何かが解決するというわけではありません。そのくらいのことはわかっています。この手紙はアレンが書けと言ったから書いていたのですが、書き続けているのはわたしの意思です、ということはわかってきました。
今回は鉛筆で書いてみることにしました。余白には絵を描くこともできるでしょう。あのころは、ラムダが言っていたことをそのまま描けばよかったのですが、いざ自由に絵を描けと言われると困ってしまいますね。誰もわたしに絵を描けと言っていないのですが。
だから困っているのです。アレンの仕事の手伝いをしたり、たまに本を読んだりするだけで、やるべきことが見つかりません。一度、わたしはわたしにとって不要なのかと思い、消去することを試みたのですが、あなたはわたしに死を与えなかったので、死ぬことはありませんでした。
結局、あなたはわたしを連れて行ってはくれなかったのです。
ともかく。
わたしは困っているのでしょうか。
アレンは、困っている人を助ける仕事をしています。頼まれたら、なんでもやると言っています。なんでも、とはいっても、飛んでいった瓦を作り直したり、庭の雑草を抜いたり、どうしてもスケジュールが合わなかった職場に代わりに入ったり、するだけなのですが。
それでも、アレンは周りのひとたちに感謝されています。周りの人たちは、アレンが世界を救ったことは知らないのに。おそらくは。
ある家のフローリングの張替えを行ったあとの帰り道、わたしはアレンに尋ねました。
「アレンは、もっと、ほめたたえられたいとは思わないのですか?」
もちろん、アレンは正当な報酬を得ています。しかしそれだけです。
アレンはきょとんとしていました。
「え? どうして?」
「だって、世界を救ったんですよね?」
「そうみたいだね。おれは〈統一するもの〉を倒したからね」
「それは、誇るべきことなんですよね」
「それは、おれの答えるべき問いじゃないと思う」
結局、アレンは正しいのでしょうか。あなたが正しかったことは知っています。もしあなたが正しくなければ、あなたが正しさを与えたわたしは間違っていた、ということになるからです。でも。
あなたが間違っていたのであれば、わたしも間違っている、そういうことになるのだと、気付きました。
あなたが間違っていたのかどうかを、あなたに聞くことができないのが、残念でなりません。

今日は鉛筆を削りながら書いていました。鉛筆をナイフで削っている間は余計なことを考えないで済むので好きです。この好きという感情は、誰がわたしに与えたものなのでしょうか。わたしは器として作られた、そのはずで、あなたの余剰を受け止めるための器で、余剰はもはや存在しないから、存在しなくていいはずの、器。

「ひとりが死んで変わるような世界なんてないよ」
「なら、どうしてあのひとは死んだんですか?」
「ついでに、誰かを殺して変わる世界もない」
わたしがかつてアレンに問うたことと、アレンの答えですが、わたしはその意味を解釈しかねています。ひとりを殺して変わる世界などないのであれば、あなたは死ななくてよかったはずです。
それとも。
あなたはひとりではなかったのでしょうか、そのときは、すでに。
だからといって、ヒトとしてのひとりでなかったとはいって、あなたが死ななければならない理由にはならなかったでしょう。

鉛筆は削らなければならないから不便ですね。不便なのにその不便さを好ましいと思っています。ボールペンのほうがよほどなめらかなのですが、鉛筆には消せるというメリットがあります。それならばシャープペンシルを使えばいい、という考えがあり、今度はきっとそうすることでしょう。
「アレンの言う天命とは、結局なんだったんですか」
アレンは、天命について直接は答えることなく、ベランダの白い花に水をやりながら言いました。
「そのうち、この世界も、お前たちのものみたいに――だったものみたいに、ある程度は均質化していくんだと思う、でも、それはすべての個性をなくしたかたちではなくて、すべての存在をピースとして扱うのではなくて、なんだろうな」
アレンの視線の先には空があるのですが、曇りひとつない青空があるのですが、その空が何を意味しているのか、わたしにはわかりませんでした。
「おれにもまだわからないんだけど、うまいこと均衡していくんだと思う」
「今の状態よりも、かつてのほうが均衡ではないのですか」
どうなんだろうね、どっちにしても、と、アレンは続けて、
「そしたらまたおれみたいなのが現れて、ぜんぶめちゃくちゃにするんだ」
もっとも、均衡しちゃったらおれ、誰かに消されちゃうんだろうな、と、かつての彼と矛盾するようなことを、アレンは言います。
「たぶん、世界はそうやってできている」
世界はそうやってできている、のではなくて、世界がそうやってできていると解釈しなければ、アレンの現状が説明できないだけなのではないかと思ったのですが、天命とかいうのは、アレンの状態を正当化するための何かなのではないのかと思ったのですが、わたしはそうとは言わず、代わりに、庭の手入れを手伝いましょうか、と言いました。
それはやんわりと断られました。

この手紙の余白に、羊の絵でも描こうと思いましたが、わたしが思い出せるのは、不定形の白の塊だけで、それを構成する一頭一頭の顔は、わかりませんでした。羊の群れの輪郭を、ここに記しておきます。それは、羊の群れだと言わなければ、あいまいな形でしかないのでしょうけれども、かつて撮った写真のほうが実態に近いのでしょうけれども、わたしの頭の中にあるのは、このようなぼんやりとした線のみです。

何かをなさないことは、何かをなすよりも難しいことがありますね
シロ

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