Goodbye once (more) - 9/9


あなたへ

この手紙をこう始めるべきなのか、わたしは知りません。でも、この手紙をこう始めるべきなのだと、わたしが決めました。これが最後になるでしょう。この手紙が最後になることも、わたしが決めました。
わたしは、いつだかアレンからもらった地図を持って、あの家に向かうことにしました。誰も連れていくつもりはありませんでした。もしあなたが、わたしと同じ立場なら、そうしただろうと考えたからです。誰にも何にも言わずに、出てきました。
地図というよりは、道順が書かれているその紙に従って、三十分ほど歩いたところ、そこには小さな一軒家がありました。見たところ、いたって普通の家に見えます。生け垣があって、そこには白い花が咲いています。赤銅色の門扉は開かれており、誰でも入ることができそうです。しかし、誰もその家には目を留めません。もしこの地図がなければ、わたしもきっと通り過ぎていたことでしょう。

これはほんとうにあの家なのでしょうか、わたしがずっと閉じ込められていて、あなたが存在した、あの家なのでしょうか。真相は不明瞭で、なぜならわたしは、あの部屋のことを、もはや薄ぼんやりとしか記憶していないからです。あの部屋には情報はありましたが、光景はありませんでした。今のわたしは部屋を出て、外の景色を見てしまいました。外の世界のほうがよほど、あのころラムダたちから教えられていた情報よりも鮮明で、明確で、わたしの記憶に残ってしまったのです、たとえばここに来るまでに見た光景、季節外れの揚羽蝶、アスファルトが靴を履いたわたしの足に反発すること、転びかけたときの浮遊感、きっと今日の夕食はカレーあるいはそれに類するものだと察することができる香り、湿度が肌に触れる、その感触。
わたしはすっかり、この世界に塗り替えられてしまって、あなたが与えてくれたすべてを忘れてしまう日がいつか来るのでしょう。

わたしは門を開きます。ドアをノックします。何の返答もないことを確認してから、ドアノブをひねります。鍵はかかっていません。

薄暗い廊下を歩くと、一筋の光が差し込む扉があって、わたしはそれを開き、部屋の中に入ります。
その部屋には緑色のランプがありました。電気で動くタイプのそれの、スイッチを入れると部屋は明るく照らされました。隅には、白い机と椅子が置かれており、床は、誰かが毎日掃除していたのかのように埃ひとつありません。わたしは机の方に歩きます。机の上には、紙と鉛筆とボールペンが置かれています。紙を折ったら入れられるような、白い封筒も置かれています。
わたしは、ここにあなたがいるのだと思いました。あなたがもうこの世界にいないことは重々承知しているのにもかかわらず、あなたが、この部屋をきれいに、あのころのようにきれいに、保っていてくれているのではないかと、思ってしまいました。

わたしはボールペンを手に取り、この手紙を書いています。

この部屋には窓があります。あの部屋にはあったでしょうか。なかったはずなのですが、確実にそうだ、と言い切ることは、今のわたしにはできません。アレンの家の地下室にはありません。それを言い切ることができます。この部屋の窓からは、薄いカーテン越しに木の枝が見えます。枝には、緑の葉がふんだんについており、日光を遮断しようとしていますが、遮断しきることはできず、光はこの部屋に差し込んできています。もっとも、ランプがなければ、手元は文字が書けるほどの明るさにはならないのですが。ランプのおかげで、今わたしはこの手紙を書いています。

机の引き出しの中に、何か、入っていないかとは思ったのですが、何もありませんでした。ものがあったのは机の上だけです。鍵のかかった引き出しはひとつもなく、中身の入っている引き出しもまた、ひとつもなかったのです。

これはほんとうにあの部屋なのでしょうか? わたしが閉じ込められていた部屋なのでしょうか? この部屋にはジグソーパズルはありません。ジグソーパズルはあの部屋を構成する要素ではありましたが、すべてではありません。だから、わたしには、今この部屋を見ているわたしには、これがあの部屋であったのかを、判定することはできません。
でも。
そんなことはもう、どうだっていいのです。
この家にわたしを連れてきた、アレンの地図は間違っていたのでしょうか? 正しかったのでしょうか? 作り変えられてしまった世界は、家もまた変化させたのでしょうか?
それもまた、どちらでもかまいません。

ここに部屋があり、わたしがいます。今、わたしの手は文字を連ねており、その文字は意味をなしています。誰にも届かないとしても、あなたがこれを読まないとしても、あなたが存在しないとしても、わたしはこれを、書いています。それは事実です。わたしにとって。その事実は、かつてあなたが存在したことを証明しつづけます。もしそれが正しい証明でなかろうとも、わたしは、それを、正しいと思います。

きっと、こうやってずっと書いているのは、わたしはあなたにさよならを言い損ねており、それを言い終わることはないのでしょうけれども、さよならと、言わせてほしい、それだけの、話なのです。

あなたの家だった場所より
シロ

2024-11-06

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