無名の男の最後の賭け - 3/10

借金を返済し、母親のためにフライパンを買い、仕立て屋に残り半分の代金を支払ったら、ろくに手元に金は残らなかった。借金を返済するのが目的で、フライパンはおまけだ。最近焦げ付いて困ると言っていたから、エレステック社の最新型を買ってあげた。リスクも考えると、もう少し稼げたってよかったかもしれないが、これでよかったと思っている。
あの仕立て屋には感謝しなければならない。あの店がなければこの計画は成立しなかっただろう。

からくりはこうだ。
ヒーローのふりをして、ヴィランを捕まえ、掛け金を受け取る。
それだけ。単純だろう?

ミッドシティには犯罪者が多い。スーパーパワーを持つものから、持たないが特殊な機械を用いるもの、そのどちらもないがただ単に迷惑なもの。そしてそれらを捕らえる、ヒーローや警察がいる。毎週誰かが捕まったり、刑務所から逃走したりする。人間は乱数のある場所にはギャンブルを見出すものだ。
それを利用したのがヴィラン賭博だ。ヴィランがいつ捕まるのかに賭けておいて、当たったら配当がもらえる。もちろん、そう簡単に捕まるものではないから、一般にオッズは高い。誰が捕まえるまで当てたらとんでもないことになる。だからこそやる価値のある賭けだと、競馬や競艇に飽きてしまったギャンブラーは考えているのだが、おれは違った。
ここで勝つしかないのだ。
これは他のギャンブルよりも比較的情報が物を言う。ならよく調べれば勝つ確率が上がるはずだ、そう思っていたし、そうするくらいしか他に道はなかった。貯金は底をつきかけている。クレジットカードの限度額はまだある。確率と統計なら多少知ってはいる。
だからといってこれに一点投資するわけにもいかない。いくら情報を仕入れて確率を上げたところで、無数にいるヴィランと星の数ほどいるヒーローのマッチングなんて普通は当たりっこない。それなら競馬で三連単を狙ったほうがいいだろう。おれもそこまで落ちぶれちゃいないつもりだ。
そんなところで知ったのがあの仕立て屋だ。

仕立て屋のはなしは賭場の知人から聞いた。ヴィラン賭博は一応合法ということになっているが、あまり品のいい趣味とは言えない。ただ、当てようと思ったらある程度この街やヒーローたちに関する知識が必要となるため、ここに来るようなひとは往々にして独自の情報網を持っており、彼もそのひとりだった。
確か、最近はどこで服を買えばいいのかわからないみたいな話題だった時だったと思う。彼はそういえばさ、とウィスキーをグラスに注ぎながら言う。
「どんな服でも作ってくれる仕立て屋があるらしくって」
「仕立て屋って普通そうだろう」
仕立て屋なんかとは無縁の生活を送ってきた。自分を含めて多くの人にとって、既製服を買うので精一杯だ。もし結婚式を挙げられたなら、ウェディングドレスくらいはオリジナルのものを作ってやりたいと考えていたこともあったが、それは昔のことだ。
「そこは違うんだ。本当になんでも作ってくれるんだ。たとえばそう、ヒーローのコスチュームもそこが請け負ってるって聞いた。なんならトライスターズのもだ。激しい戦いの中をくぐり抜けるための技術はそこにしかないんだって」
「ヒーローショー用の偽物じゃないのか」
「偽物も作れるだろうけど――でも、本物、らしい」
本物のヒーローの服を作れる仕立て屋。それがもし存在するとしたら、もしかしたら、この状況を変える手立てになるかもしれない。
「――気になるな、それどこなんだよ」
彼は店の名前を教えてくれた。自分も知っている店だった。もっとも、入ったことはなかったけれども。ショーウィンドウが光っているのを見たことがあるというくらいだ。映画に出てくるみたいな古風ながらも恰好良いスーツやドレスたち。
ミッドシティに仕立て屋はそう多くない。多くは既製品に追われて姿を消してしまっていた。その中で生き残るにはさまざまな依頼に応えなくてはならなかったのかもしれない。

仕立て屋に頼んで、ヒーローの服を買う。
おれは犯行予告を出しているヴィランを選んで、そのヒーローがそいつを倒すのに賭ける。
そしてそのヒーローのふりをしてヴィランを捕まえる。
簡単なはなしだ。
もっとも、自分だってことがばれちゃいけないから、無力化にとどめて、ほんとうに捕まえるのは警察になるのだが。

何度もやれることじゃない。だからこれでよかったのだ。
おれはマグネティックマスターの右腕を見る。磁力を操ることのできるこのアーマーのおかげで、昔みたいに精密な作業をすることもできるし、何より身体全体を見せなければヒーローのふりもできる。青と銀色の派手なアーマーは、暗闇の中でも見間違えられることはない。誰かに襲われて気が動転しているならなおさらだ。さいわいなことに、インヴィジブルエアはきちんとこれをマグネティックマスターだと証言してくれたらしい。
『ほんもの』が本気を出せば地殻に作用して地球の軌道を変えるくらいの出力を出すこともできるとかいうが、これはせいぜい半径一メートルくらいの効果範囲しか持たない。それでも素手よりはずっといい。
ドライバーを引き寄せて腕時計のネジを巻く。こういったことだってできる。もしかしたら仕事に復帰できるかもしれない。そんな考えはすぐに消える。右腕だけやたら派手なアーマーを着ている会社員なんかいるもんか。

ある朝、出かける支度をしていたら、携帯に着信があった。
母親からだ。
「母さん、どうしたの」
「実はこの前の事故で家が壊れちゃって。ほらあのあれよ、トリックマスターの爆弾騒ぎってわたしの家の近くであったの」
「無事?」
「私は無事でも、家が無事じゃなかった」
なんでも壁に穴が空いてしまったのだとかいう。今は板で塞いでいるけれども、そのうち工事が必要だ。母は今働いているし、こちらも今仕送りはしているが、それでもきっと足りないだろう。
生き残る理由ができてしまった。あといくら必要なんだろうか。

あれで最後にするつもりだった。でも仕方ない。
やらなきゃいけないならやるしかないだろう。
今日の予定は変更だ。
おれは仕立て屋に向かう。

ノックする。返事はない。もう一度ノックする。ドアが開く。

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