それは地平線から歩いてくる。
頭があり、両腕があり、両足があり、胴体を持つ。
人間の形をしたそれは、まっすぐこちらへと歩いてくる。
そこは彼の家、居場所、戻るべきとされる座標。
彼は笑顔で歩いてくる。
何が楽しいのかを我々は知ることができない。彼の内観を得た時、我々はもはや我々ではなく彼となっているので。
彼がなぜ手を挙げて挨拶をするのかを我々は知ることができない。彼の神経組織を操作できるのは彼なのだから。
彼は我々ではない。
我々が彼ではないように。
わたしがあなたではない、というのとは、少しばかり異なっている。
彼は我々の延長線上にはない。もちろん見上げた先にもない。もちろん振り返った後にもない。
彼を座標軸に定義できない。平面上には存在しない。せめて虚数まで含めてほしい。
せめてもの願いは却下される。彼は虚数平面にも存在しないため。
幾何学の範囲で我々は彼を捉えられなかった。数学は敗北した。
法律上彼が何者であるかについては議論が必要である。歩いている死体に対する法律は存在しないためだ。死人は動かないし、これから動くこともない。死んだ後も動いている死人はおそらく生者と呼ばれている。それならあれは生者なのか。
歩いているのに?
そう、歩いている死体。
彼をそう呼ぶことができる。
彼は三日前に死んだからだ。
自らの望みによって、よく切れるナイフで心臓を一突きされて、彼は死んだ。
死因は失血死ということになっている。その前にショック状態で死んだのかもしれないが、彼が死んだという事実の前では死因なんて些細なことだ。
少なくとも十字架にかけられてはいない。それは別の彼のことだ。
この彼のことではない。
彼の似姿は世界中に配布されている。
人間というのがそうだ。
頭があり、両腕があり、両足があり、胴体を持つ。
そういったものはだいたい似姿である。
この定義では犬との違いを判別することはできない。
だから彼は言葉をも持ってやってきたのだ。他のあらゆるものと人間を区別するために。
これが言葉だ。
これが言葉だというメッセージを伝えるのが言葉だ。
これが言葉だというメッセージを伝えるのが言葉だというメッセージを伝えるのが言葉だ。
無限後退をよしとはしない。
彼がそうしたのではなく、言葉がそうしたのだ。
だからこう述べることもできる。
彼は言葉を運ぶものであり、言葉が彼を運んでいるのだと。
彼は地平線から歩いてくる。
ほら、もう足まで見えるだろう。
近づいてきたのだ。そう、彼が近づいている。我々は逃げることができない。
逃げたところで、彼が到来する時刻が多少変化するだけだ。
なんならもう出会ってしまっている。もう遅い。
出会わないにはもう遅い。
彼はあなたの家を訪れるだろう。
彼は彼らの家を訪れるだろう。
彼は我々の家を訪れるだろう。
彼はこの世界に訪れている。
彼は地平線から歩いてくる。
彼が歩いてくるのが地平線なのだと、我々は定義する。
2019-10-28
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