母親の家の修繕費を払って、自分の家賃を払って、仕立て屋に代金を支払っても、それなりの金額が残った。小洒落たレストランで食事もできるし、なんならあの仕立て屋でヒーロースーツ以外のものを作ってもらうこともできるだろう。
そうする気はなかった。残せる金は多くて悪いことはない。
おれは情報収集に向かう。次はどうしようか。
ノースサイドストリートを歩いていた時に、信号の前で立ちすくんでいる少女を見つけた。年齢は7,8歳くらいだろうか。あたりを見回していて、何かを探しているようだ。進まない彼女に苛立つ誰かが舌打ちをするのが聞こえる。おれはそいつからは距離をとって、なおかつ彼女からも離れるように歩いた。かつての自分だったらもしかしたら彼女に声を掛けたのかもしれない。どうしたんだ、迷子なのか、警察に一緒に行こうか、そして警察に事情を説明して引き取ってもらう。だけれども今は違う。金にならないことをするほど暇ではない。この街の多くのひとびとと同じように。
ノックする。返事はない。もう一度ノックする。ドアが開く。
今はもう、予約を取ってから行くようにしている。
助手の青年が時間通りですねと言う。
同じヒーローが何回もこの街に来ていたらおかしいと思われるかもしれないから、毎回違うヒーローの服を作ってもらっていた。最初はマグネティックマスターの右腕、次はミスターライトニングの左腕、その次はファストパスの右足、そしてディファレンスエンジンの左足。本物みたいに、すぐに脱着可能な機構も後払いでつけてもらった。おかげで服を着替える手間がなくなったし、真実が露見しにくくもなった。
あれは仕立て屋と言うよりは魔法使いに近いのではないかとも思うが、当人たちは一介の仕立て屋という姿勢を崩さない。
今はサングラスを掛けてできるだけ暗がりで活動しているけれども、いつかマスクも作ってもらったほうがいいかもしれない。でもマスクを作ったら、本格的にヒーローのパチものとして怪しまれるのではないかという懸念もあった。
『善良な市民』による自警団的活動は規制されているわけではなかったが、ヒーローたちはそれぞれ固有のブランド価値を持ち、それが毀損されたら法的手段を取ることもあった。ヴィランがヒーローの恰好をして悪事を働くなんてことは、非常に古典的かつ有効な嫌がらせのひとつだ。寄付だとか保育園への訪問くらいの害のない行為ならともかく、本物だと言い張って活動したら何をされるのかわからない。
もっとも、こちらは一度も名乗ったことがない。あっちが勝手に勘違いしているだけだ。
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