お前の上に雨は降らない

彼にはその権利があったが、そうはしなかった。
エリック・レーンシャーはチャールズ・エグゼビアのすべての遺産を受け継いだ――正当な遺書によって。学園も、XーMENも、それ以外のすべての、チャールズの所有物を受け継いだ。だから、チャールズの部屋を使う権利だって、あるはずだった。恵まれし子らの学園の、いちばんよく日の当たる部屋。スコットがこどものころからずっと、困ったときにはここに行けばどうにかなるのだと、思っていた部屋。
だけれども、彼はその部屋を使うことはしなかった。その代わりに、学園の敷地内の森に、ちいさな小屋を建てて、そこに住んでいた。彼の能力からするに、それはたやすいことだった。主に金属でできたその小屋は、決められた鍵を持たず、持ち主の意思によってのみ、開いた。もっとも、スコットがブラストを撃てば、破れるものなのではあろうが。

エリックがチャールズの遺書をXーMENたちに見せてから、数日。
つまり、チャールズの葬式から、数日。
だからといって、何が変わるわけでもなかった。XーMENはエリックの指揮下に入る、とはいったものの、エリックがなにかスコットたちに言ってくることはなかった。とりあえず、この敷地内に住むのだというが、それを断るほど狭量ではなく、それを断るほど彼はかつての『世界の敵』ではなかった。敵ではないにせよ、まあ、助言が欲しければ、くれてやる、と尊大に言い放った相手に、謙虚に聞きに行くようなひとはこのチームには多くない。いないと言ったほうがいい。あのときローガンは露骨に嫌そうな顔をしていたな、と朝のコーヒーを飲みながらスコットは述懐する。
チャールズ・エグゼビアは死んだ。
だからといって、人間たちは悲しまなかった。
だからといって、センチネルが消えるわけでもなかった。
だから、戦っている。
それだけのはなしで、何も変わらない日常があり、何も変わらない日常というのは、そう、準備と戦いの、日々だ。
今日は午後からデンジャールームで訓練がある。オロロとローガンとジーンと。さまざまな組み合わせを試すのも、日常のひとつだった。

その訓練は普通に終わるはずだった。敵のロボットをハンクに設定してもらって、ランダムに出てくるそれらを、適切に対処する。右から飛んできたロボットをブラストで撃ち抜きながら、上と左から走ってくるものをオロロに任せる。後ろにはローガンがいて、機械の壊れる音がする。上空にはジーン、瞬間移動する敵を瞬時に倒した。
「今日の訓練は終わりのようね」
オロロが言うのに、みなが頷く。
このくらいの連携なら問題はなく――と、思っていたところに、金属片が、ふわりと、舞う。アルミニウムの薄片がデンジャールームの壁から剥離して、スコットの頬をわずかに切る。壊れたロボットのアームが勝手に動いて、ローガンに襲いかかろうとする。
こんな敵、ルームの設定にあっただろうか。
「おい、聞いてないぞ」
スコットが叫ぶと、外にいるハンクに叫び返される。
「こっちもだ」
ただ――これにには見覚えがある。
見覚えがあるが、最近は対峙していなかったものだ。
「訓練に終わりがあるかもしれないが――戦いに終わりはない」
デンジャールームの空高く、ホログラムを突っ切ってやってきたのは、白い髪をなびかせて、黒いマントに身を包む、
――マグニートー」
ここではその名で、呼ぶべきだろう。
空から舞い降りてきた彼は、壊れたロボットをすべて再編して、ひとつの大きな獣のようなものを作成した。高さは一〇メートルほどだろうか。
「さあ来い、XーMEN」
上空から降る威厳のある声に対して、
『どういうつもりかわからないけど――みんな、行くわよ』
ジーンのテレパシーがみなに号令を送る。
その獣は地面を蹴り、まずはジーンを狙ってきた。オロロが雷撃で阻止しようとするが、五〇センチほど逸れる。獣が飛んでいるあいだに、ローガンが本体――エリックのほうを狙おうとしたが、いかんせんローガンはエリックの能力と相性が悪い。壁に叩きつけられながら、ローガンは地獄に落ちろとつぶやいた。
スコットは状況を確認しながらブラストをエリックに撃つ。エリックは鉄のシールドを作ってそれを阻止する。
オロロの雷撃を避雷針で逸らして、ジーンの攻撃をデコイで躱して。
模擬戦なのだろうか?
彼が来るというはなしは聞いていないし、模擬戦にしては、全力過ぎやしないだろうか?
それに。
そういえば、彼は今、ヘルメットをしていない。チャールズと戦う際は、必ずつけていたあのヘルメットを。今のこちらにもテレパスたるジーンがいるというのに。
「ジーン、読めるか!?」
「読んでるわ!」
読んだ結果、ついていけていない、そうスコットにテレパシーが入って、こんなとき、教授ならどうするだろうか、と思う。
こんなとき、教授なら。
「何よりも、仲間を守ることを優先するんじゃないか?」
そう言ったのは、今まさに自分たちを攻撃しているエリックで――磁界王マグニートーで、スコットは一瞬、まるで教授のことばみたいだ、と思ってしまい、足が止まってしまう。
そのとき、すべての鉄くずが地面に落ち、宙に浮いていたジーンも地面に落下してきた。スコットはそれを受け止める。腕の中にしっかりとした重さがあって、彼女が生きていてよかった、と思う。
「ルーム内の能力使用を制限した」
外からマイク越しにハンクの声がする。
「どういうことか、説明してもらおうか」

「お前たちの力を試させてもらった」
と紅茶を飲みながら穏やかに言うのはエリックで、苛立たしげに頭をかいているのがハンクで、スコットはそれを半歩下がって眺めていた。
ダイニングルーム、いつもはXーMENの仲間たちが穏やかに暖炉の火を囲みながら過ごしているその部屋には、いつにない緊張感があった。
あの戦いで、デンジャールームは半壊した、らしい。エリックがすぐに直すそうだが。
「まあ、あなたにその権利はあるんでしょうが――一言くらい声をかけてくれたっていいんじゃないですか」
「敵はそのような繰り言を待ってくれるのか?」
ジーンは心配そうな顔をしているし、オロロはむっとしている。ローガンに至ってはビールを飲もうとしている。スコットはこの場をなんとか収めようと
「たしかに、実戦的な訓練は必要だと思うが」
と言って、ハンクに睨まれる。そんな悪いことを言ったつもりは、ないのだが。

結局、その話し合いで何かが解決することはなかった。エリックがXーMENを指揮するものであるというのは今となっては事実だし――それを不愉快に思うものはいるが――実際のところ、実戦上の指揮官はスコットであるし、それ以外のことは、話し合いで決めている。森の小屋で暮らしていて、たまに、XーMENにちょっかいをかけてくるかつての『敵』のことなんか、忘れてしまえばいいんだとハンクは言う。
それももっともだとスコットは思う。
なのに、思い出してしまうのは、あのときの。
あのときのことばが、どこか。
教授の、チャールズ・エグゼビアの残響を持っていたようで――それだけなら、いいのだが、それ以外のなにかが、あったようで――

一週間後、スコットはエリックの家の前に立っていた。ノックをしようか迷っていたら、勝手に扉が開いた。
「デンジャールームの恨みを晴らしに来たのか」
「そのつもりならこの扉をふっ飛ばしてますよ」
「その意気だ」
エリックは鈍色に光る椅子に悠然と座って、スコットに言った。
「それで、手土産も持たずに私の家にやってきたというわけか」
「ここはぼくらの家だ。その敷地にあなたが住んでいるにすぎない」
まあ、実は、ジーンが作ったアップルパイの残りを持ってきてはいるんだけれども、とスコットが言うと、なら紅茶を出してやろう、とエリックが笑う。
湯が沸くまでの間、スコットはエリックのテーブルについて、エリックの出してくれたクッキーをつまみながら、はなしをしていた。
「誰か、来たんですか、ここに」
「誰か、ミュータント以外の誰かなら、敵だろうな。ミュータントなら、ここには来ていないな」
お前以外は、とエリックは言う。ちょうどそこで、やかんから蒸気が吹き出る。エリックはポットに茶葉を入れて、湯を注ぐ。砂時計をひっくり返す。
それから、スコットに向き直って、言う。
「何か言いたいことがあってここに来たんじゃないのか」
「ええと、そのはずだったんだけれども」
「お前にしては不明瞭だな」
エリックにとってぼくはなんなんだろう、とスコットが思ったところで、砂時計が落ちきったので、エリックに知らせてやると、エリックはティーカップをふたつ、用意して、ミルクを入れたそれらに、紅茶を注ぐ。
紅茶を飲み、アップルパイを食べると、スコットはどうしてここに来たのかを思い出した。
「ああ、そうだ、あのとき、あなたが言ったこと」
あのとき、エリックが訓練に乱入してきたとき。
教授ならなんと言うだろうか? と思ったとき。
『何よりも、仲間を守ることを優先するんじゃないか?』
「なんか、とっても教授みたいだったんですけど」
子供じみた言い草だ、とスコットは思うが、そう言うしかなかった。エリックは笑みひとつこぼさずに、スコットを見据えて、言う。
「当然だ、誰よりもあれのことを考えていたからな、テレパスじゃなくてもあいつの考えそうなことくらいは、わかる」
チャールズとエリックに、かつて何があったのかは、断片的にしか知らない。けれども、このふたりが互いのことを考えていたというのは、おそらくは事実で――そうでなければ、あの場でああは、言えまい。
エリックはカップをテーブルに置く。
「それから、お前が求めていそうな、ことばも」
なんといってもお前はチャールズの愛弟子だからな、とエリックは言う。
「そういう言い方をされると……
間違いではないのだろうが、それがすべてであるとも思えない。スコットにとってチャールズは、『教授』であって、世界をくれたひとであって、それで、それで。
スコットの語彙では言い表せない、なにかであって。
そしてそのひとは、永遠に失われていて。
――何が喉に引っかかっていたのか、わかった。
「そう、さみしそうだな、って、思って」
あのひとを永遠に失ったのは、ぼくだけではないのだ。
そう思って、エリックに言う。
エリックは怪訝そうな顔をする。
――さみしい?」
「あなたが対峙しているのが、教授じゃなくって、ぼくだってことが――
エリックが戦ってきたのは、人間で、XーMENで、何よりも、チャールズだ。
だから、戦っていても、その好敵手がいないということに、不満を覚えたのではないか。
スコットはそう推測したのであった。
エリックは、ひとつ息をついてから、
「たしかに、そうなのかもしれないな」
と言う。
「だが、私はあのときお前と――お前たちと戦っていた。そうだろう」
エリックはなおもスコットを見据えている。バイザーに隠された、その瞳を。
「眼前の敵を無視するほど、私は甘くはない」
――そうですよね」
エリック・レーンシャーは真摯なひとである。
それは、戦ってきた、スコットも知っている。

エリックの選んでくれた紅茶はアップルパイによく合って、ふたりはそのティータイムが終わるまで、はなしをした。
「もし、構わないなら」
紅茶の最後の一口を飲んで、エリックは言う。
「また茶菓子を持って、来るがいい」
アップルパイを飲み込み終わったスコットは答える。
「今度は、仲間を連れてきても?」
「ああ」
エリックがこのように笑うのを、見たことはなかったな、とスコットは思う。
今は味方である、このひとの。

外に出ると、雨が降り始めていた。天気予報ではずっと晴れのはずだったのに、でも校舎までは走れば五分とかからない、そこまで濡れはしないだろう、と、思ったスコットに、影が降りる。
なんだろう、と見上げれば、そこにはアルミニウムでできた板のようなものが浮いていた。ご丁寧に、柄までついている。
「傘の代わりだ」
と家の中から声がする。
「ありがとうございます」
「礼には及ばん」
スコットは金属でできた柄を掴んだ。水滴のついていないそれは、雨の温度を移して冷たかったが、スコットは意に介さなかった。きっと、手の温度ですぐにあたたまるのだ。

2024-02-21

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