その「死者」が石川安吾の前にはじめて現れたのは、彼が現場に復帰してからニヶ月ほど経った、春も終わりにさしかかかったころだった。昼間はもうあたたかな陽気だが、二一時ともなればさすがに肌寒くはある。家に帰ろうとちょうど警視庁を出ようとしたところで、覚えのあるめまいがした。
すると、一瞬前まで誰も存在しなかった場所に、青年が立っていた。
電灯の下に立つその青年は、臙脂色のジャケットを羽織っていた。年齢は二十そこそこだろう。ゆるいパーマをかけた茶髪をしており、まっすぐな視線が印象的だ。
生き生きとしているように見えるが、これは死者であると石川には諒解されていた。
石川は数ヶ月前の事件で銃弾を頭に受けて以来、死者の姿を見、話すことができるようになった。彼はその能力を人知れず使って殺人事件の捜査に取り組んでいる。
だから石川は驚かなかった。その代わりに、まず、名前を聞こうとした。
しかし、石川が口を開く前に、青年は、
「縁ができたな」
と石川の目をしっかり見て言い放ち、そのまま消えた。
「なんだ、あれは……」
さまざまな死者を見てきたが、いきなりこんなことを言ってきたのは、はじめてだ。
石川は踵を返し、警視庁のデータベースで、今見たものに該当する事件が存在しないかを調べたが、一件も見当たらなかった。死体がまだ見つかっていないのかもしれないと思い、翌日からそれとなく調査を始めたが、引っかかることはなかった。あれは死者ではなかったのだろうか? いや、あれは確かに死者であったし、そうでなければ一瞬で消えることもないはずだ。
他の事件の捜査も行いながら、頭を悩ませていると、またあの死者が現れた。
「ああ、またあんたか」
廊下を歩いているときにまたも目の前に出現した、その青年は笑顔ひとつ見せずに言った。赤と青の制服を着ている。これはたしか、シロクマ宅配便の制服ではなかっただろうか。と思ったところでまた消え失せる。
なんなんだよ一体、と石川は廊下の壁を殴る。それから後ろを振り返る。誰もいなくてよかった。
しかし、この出現によってわかったことがある。
これは、普通の死者では、ない。
今回現れた青年と、この前の青年。同じ顔をしていたが服装が異なっていた。通例、死者が着替えることはない。今まで見てきた死者も、当然同じ服で現れていた。それに、出現した時期が離れている。石川は荼毘に付される前の死者のみを観測することができることを、経験則として知っていた。新たに発生した事件にも、この青年が被害者となっているものはなかった。
石川はこの「死者」のことを頭の片隅には置きつつ、イレギュラーな事象として処理することとした。
イレギュラーな事象として処理することを決めてから、数ヶ月後。もう秋といってもさしつかえなく、殺人事件は相変わらず起こり続け、死者は観測され、その無念を晴らし続けていた、そんな頃。
別件で捜査をしていた時、郊外の道路の上にその青年は現れた。今回もシロクマ宅配便の赤と青の制服を着ていたが、前回とは異なり、半袖だ。
石川は近くに誰もいないことを確認してから、ガードレールに腰掛けた。その青年も隣に座った。
「今度は少し時間があるだろう」
と青年は言う。
「お名前は」
「桃井タロウだ」
「配達業をしているとか」
「ああ、荷物と幸福を運んでいる」
すこし独特な言い回しだが、最近の若者はこういうところがあるのかもしれない、と石川は自分を納得させる。それから、こう口にする。
「――あなたを殺したのは誰ですか?」
「ソノイだ」
桃井は顔色ひとつ変えず即答した。
これで事件解決、めでたしめでたしと言えればいいのだが、謎が多すぎる。そもそも、なぜこの青年――桃井タロウは自分を殺した相手を即答できるのか。そして、ソノイ、というのは、あまり聞き慣れた人名ではない。日本人にも外国人にも。
「詳細を教えてもらえませんか?」
「ソノイとは決闘の約束をしていた。勝ったこともあるが、今回は負けた。それだけのことだ」
現代日本の法律では決闘は犯罪にあたる。そうなると、この桃井というのは、どこかで人知れず決闘をして殺されたというのだろうか? いや、それだけだと今まで出現した理由がわからない。
石川はひとつの仮説を述べる。
「あなたは仮死状態になったことがありますか?」
「ない」
またしても即答された。
「ここで嘘をついてもあなたの得にはなりませんよ」
「おれは嘘をつかない」
さっきからはっきりとした物言いをする青年である。これも真実なのではないかと思わされてしまう気迫がある。かなりの年下のはずなのに。
空を見上げると中天からすこし落ちた太陽があり、眩しさに目を逸らす。
桃井タロウは、
「ああ、おれがもうそろそろ復活する時間のようだな」
と言った。
「復活……?」
何を言っているか、意味がわからない、これは死者のはずだ。死者でなければ何だというのか。生き返りだなんてそれこそファンタジーの世界だ。
「おれは死なない」
そう言い残して桃井タロウは消えた。最初と、ニ回目と、同じように。
「バカにしてるのかこれは……」
石川は時計を見て、仕事に戻らなければ、と立ち上がる。
× × ×
その青年が石川安吾の前にはじめて現れたのは、次の年の初春のころだった。
休みなので、特に何もすることもなく家にいた石川は、チャイムの音を聞いて、ああ、通販で液体洗剤を買い置きしていたと思い出す。サンダルを引っ掛けて、ドアを開ける。
そこには。
白い制服を着た桃井タロウがそこにいて、
「縁ができたな」
と石川に目を合わせて言い放つ。
2023-06-21
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