「求ム 家庭教師 詩 学生歓迎」
ジャン・プルーヴェールがその広告を見つけたのは、課題の提出をしようと場所の確認をしていたときだった。立て看板に貼られている紙の中には、大学の連絡事項から、短期の仕事の紹介、果てには雑談や厳しい教授の愚痴まである。『ブロンドーの鼻』と題された手書きの張り紙の横に、丁寧に印字されたこの広告があったのだ。要件の下に、小さく筆記体で住所が書かれており、ここまで手紙を送るようにとあった。彼はそれを手にとって、外套の中に入れておいた。
「へえ、詩の家庭教師、きっと中流階級の子供向けだろうよ。僕も幼い頃は韻律のひとつも覚えたものだ。今となっては試験の答案でこっそり脚韻を踏みつつ教授を揶揄することくらいしか出来はしないよ」
ミュザンに立ち寄ったとき、ちょうどコーヒーを飲んでいたクールフェラックに広告の話をしたら、彼はそう言った。
「それにしても、大学で募集をかけるなんて珍しいことだと思ってね。もちろんぼくもまだ初学者だけれども、他人に教えるうちに自らの基礎を見直すことにもなってよいのではないかなと」
「真面目でよろしい」
クールフェラックはおどけた調子で言う。
「それで、もう申し込んだのか」
「まだ返信はないけれどね」
もっと実力のある人の応募があれば、ぼくは選ばれないかもしれないし、とプルーヴェールは続ける。
「最近あまりうまく行ってなくてね。技術ばかりは覚えていくけれども、何を書いたらいいのかよくわからないんだ」
実際、雑誌などに掲載されている現代の詩人にはついていけないし、かといって古代の偉大な詩人たちには遠く及ばない。ダンテを読んではその空想の巨大さに慄き、アンドレ・シェニエの涼やかな韻に心を踊らせ、だからといって自分に何ができるかというと、なにもできないのだった。
プルーヴェールの内心をよそに、クールフェラックはそうだ、と切り出す。
「それにしても詩か!最近マリウスも詩に熱を上げているらしいな。この前なんて僕の家に突然やってきては『これ、「恋うる」と「恋し」どっちがいいかな』なんて大真面目に聞いてくるんだ!まったく天使の矢に射抜かれた魂というものだな!」
それらは容易に想像のつくことで、プルーヴェールは思わず笑ってしまった。あのマリウスがそこまで情熱的に振る舞うなんて、ぼくも見てみたいものだねと言った。
果たして手紙の返事は数日後に到着した。
中には日時と、パリ中心から少し外れた場所にあるカフェが指定されていた。それから、どうか内密にという内容と、前金として3フランが入っていた。もしかしたら少しばかり厄介なことに巻き込まれてしまったかもしれない。わざわざ家ではなくカフェを指定してくるということは、家には人を入れられない事情がある、もしくはあの住所は家ではなかったということだ。
しかし、手紙の形式はしっかりしていたし、良い紙を使ってある。カフェ自体も知らない場所ではなく、何らかの事件に巻き込まれたとしてもすぐに逃げられるであろう。プルーヴェールはとりあえず、その日までにもう一度詩作の復習をすることにした。
いつも通っているパリ大学、周辺カルチェ・ラタン、その近隣の地区に足を伸ばし、大通りをひとつはいると、赤い屋根のカフェがある。白猫屋と呼ばれるその店は、パリっ子ならば知らないものはいない。
店に入ると、いつもとは違って奥に通された。緑色のカーテンの先に進むと、作りのよいテーブルが合って、そこにはひとりの女性が座っていた。年の頃は10代も半ばだろうか。軽やかな金髪に合わせた白とベージュの装いに、アクセントとして春めかしい緑のリボンが添えられている。
てっきりもう少し年若いものがいるものだと思っていたプルーヴェールは声を掛けられずにいた。
「あなたが、詩人の方ですか?」
「はい、そうですが」
そう答えるのが精一杯だった。このような状況には慣れていない。
彼女は球児を下がらせ、プルーヴェールに座るよう促した。そして、
「この詩なんですけれども、「恋うる」と「恋し」どちらがよいのでしょうか!」
どこかで同じようなことを聞いたことがある気がする、と思い出そうとするプルーヴェールを横目に、彼女は続ける。
あのですね、わたし、お父様に教育を受けて、それで詩もたくさん読みはしたのですけれども、書き方までは教わっていませんし、しかし、こんなに素敵な詩をいただいたので、なんとかわたしも書いてみたくて。
朗らかかつ早口でそう言った彼女は、先程までの気品あふれる雰囲気とは全く異なっている。緊張していたのだろうか。
「申し遅れましたが、わたしのことはユーフラジーとお呼びください」
「……ぼくはジャン・プルーヴェールです」
ともかく、思っていたよりも気さくそうなひとでよかった。それから、おそらくは恋の詩なのだろう。若い娘には、よくあることだ。
「このようなものをいただいたのです」
彼女が差し出した紙を読んだプルーヴェールは、どうやったら穏当なコメントができるかを考えた。
考えたがわからなかった。
「気持ちがよく伝わってくるね」
まず一行目が『宇宙をただひとりに縮め、ただひとりを神にまでひろげること、それがすなわち愛である。』なのだ。正気では書けない。少なくとも自分には書けない。
呆気に取られているプルーヴェールに、ユーフラジーは別の紙を差し出す。
「わたくしもこれを目指して書いてみたのですが」
幾つかの単語がばらばらに記されていて、苦心の跡が見えた。輝く星、きらめく恋、愛の幻、夢の国、枯れない花、そのあたりだ。
「家にある本を参考にしたらあまりうまくいかなくて」
「どのような本を?」
その後彼女の挙げた題名はプルーヴェールを驚かせるに足るものだった。コルネイユもドーピネもある。アイスキュロスも多少。こんなものが家にあるのだという。
正直なところその書庫に行きたい。
「なるほど、これを詩にしていきたいと」
「そうです」
「でも、これをぼくが書いてしまったら、意味がないよね」
あれらの単語は、技術はともかくとして、少なくとも情熱と勢いは伝わってきた。それをまとめあげてしまったら、勢いを殺してしまうだろうことは彼にもわかった。
あのシェイクスピアだって恋となれば時として大胆になるのだ。ましてや普通の人間が、冷静でなんていられるものなのだろうか。
「だから、大事なのは技法じゃなくって、なにを伝えたいかなんじゃないかな。特にあなたは、詩人ではないのだし、好きなことを好きなように書けばいいんだ」
その言葉に自分でもはっとさせられた。近頃は技術と形式ばかりに傾倒して、何を伝えたいかを忘れてしまっていたような気がしたのだ。はじめて詩を書こうとした時は、彼女のように情熱があったのではないだろうか。
「そうなのですね!」
ユーフラジーは目を輝かせてメモをとっていた。それはメモしなくてもよいのではないかと思ったが、止めはしなかった。
「ええと、お世話になったので、代金はどうしましょうか」
代金はいいから、少しお願いがあるんだ、とプルーヴェールは言う。
それからしばらくして、パリ大学に詩の稀覯本が寄付された。プルーヴェールは毎日通っては読みふけった。本を読むために大学に行っているようなものなのに、フランス詩が少ないと思っていたのだ。それに、自分としては好き勝手書いたんじゃないかと思っているような詩が、意外な高評価を受けたりもした。
ユーフラジー――コゼットが書いた手紙は、送り主――マリウスをたいそう喜ばせた。おそらくマリウスは、コゼットの書いたものならばなんでも喜んだだろうが、それが恋のなせる技である。
2017-08-01
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