パノラマ/Reply - 2/2

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写真が届く。
写真だけが届く。
知った男の筆跡で、自分と妻の名前が書かれた封筒に、写真だけが入っている。

天堂家にはじめてその封筒が送られてきたのはふたりが結婚式を挙げた年の冬だった。通例手紙を送るサイズと同じくらいの茶封筒。表側には住所とふたりの名前、裏側には何も書いていない、一見怪しいそれを開けたのは、竜には筆跡に見覚えがあったからだ。
「凱……?」
左払いを大きめにとるその癖は、文字に伸びやかな印象をもたらす。
結城凱はふたりの結婚式の日に事故にあって、しばらく入院していた。奇跡的に一命を取り留め、回復したはいいものの、今度はふらりといなくなってしまった。誰にも行き先を告げることなく。竜は凱の勤めていたバーに何か知らないか聞きに行ったが、どこへ行ったかはわからないと返された。
もう一度確認する。どう見ても凱の筆跡だ。なら危険なものではないだろう。
竜は封筒の上の方をハサミで切って開ける。
その中から出てきたのは風景写真だった。花や山や猫の写真だ。いくつかピントのずれたものもある。数えると、全部で二十四枚あった。撮った写真をすべて送りつけてきたのだろうか。
人間の姿はどこにもなかった。
それもなんだか彼らしいように思える。旅先で誰かとなかよくなって写真を取らせてもらうようなタイプには、あまり見えない。
竜はこれが凱からの手紙であることを疑っていなかった。
彼が生きていてくれるのはうれしい。だけど。
「せめて送り主の住所も書けよ」
これじゃあ返信も送れないじゃないか。

二通目の手紙は四ヶ月後に届いた。春の自然の写真が多い。花がたくさんあるな、ということしか竜にはわからなかったが、香には種類もわかるようだった。
「これはツツジでこれはセイヨウタンポポ、こっちは……早めのアイスバーグかしら」
「アイスバーグ?」
「バラよ。見ればわかるでしょう?」
竜にもバラがバラなことくらいはわかる。彼女がアイスバーグと呼んだのは白くて華やかなバラだ。でも品種名がすらすら出てくるようなことはない。いつか行った香の実家には大きなバラ園があった。幼い頃から親しみがあるのだろう。
「そうね、今度バラ園に行きましょう」
さまざまな種類のものを見ればわかるようになるはずよ、と、香は上機嫌にしている。

写真が届く。
写真だけが届く。

今度は雪山の写真だった。相変わらずどこからなのかはまったくわからないが、おそらく北の地域なのだろう。リスもいる。地元ではよく見たものだが、東京に来てからとんと見ていない。実は東京にもけっこうリスなどの小動物がいるとか聞いたこともある。目に入らなくなったのはいつからだろう。
かつての仲間たちとは度々会っていた。そのときにこの写真の話をした。もったいぶらないで手紙でもつければいいじゃないとアコは言った。まあそれも凱らしいよなと雷太は笑った。
彼ら彼女らの元には届いていないらしい。住所を知らないだけなのかもしれない。

写真が届く。

結婚してから二年も経たないうちにこどもに恵まれた。ひとりめは息子がいいと思っていたら、そのとおりになったので、運がいい。息子には涯という名前をつけた。凱から音だけ借りる形となる。香と話し合って決めた。最高の友人にちなんだ名前にしようと思ったのだ。たぶん凱も許してくれるはずだ。
涯が生まれてからすぐにまた写真が届いた。たぶん凱が許してくれたんだと思う。あいつは何も、知らないはずだけれども。
今回の写真はレンガ造りの建物が多かった。歴史的な雰囲気を醸し出すそれらと、初夏の緑が対照的だった。
だいたい年に三、四回くらいのペースで写真が来た。中の写真は毎回違うけれども、宛名の筆跡は変わらない。香がそれらの写真をアルバムにまとめてくれていた。丁寧に貼られたそれらはひとかどの写真集のようにも見えた。
素人目にもわかるくらい、彼の写真は上達していた。竜はあまり語る言葉を持たないが、香はここがこうなっているから構図がよいのだと教えてくれた。彼女は自分の知らないことをたくさん知っているのだと、これまでの人生でそういったことを積み重ねてきたのだと、知ることができたのも凱の写真のおかげだった。

写真が届く。

どこかの図書館だろうか、大きな本棚の写真だった。何の本が並んでいるかは判別できないが、立派なハードカバーが多い。
そういえば凱から勧めてもらった本はずっと読めずにいた。何回かチャレンジはしたがどうしても読み進めることができなかった。主人公が何を考えているのかさっぱりわからない。
香に相談したら、ああ、『異邦人』ね、昔読んだことがあるわ、と言われた。あのよくわからない冒頭にもフランス語的な深い意味あいがあるのだとも教えてくれた。
教えてくれたはいいもののわかるようにはならない。
それも含めて凱らしい本なのかもしれない。
結局、その文庫本は机の上にずっと置かれたままだ。

写真が届く。
写真だけが届く。
はずだったけれどもーー

あれから十年が経った。いろいろなことがあった。アコはアイドルは引退したけれどもテレビタレントとして活躍しているし、雷太は相変わらず農場経営に精を出している。香はバラの世話がさらにうまくなった。庭は彼女の実家にも引けを取らない様子となっている。次の春にも立派に花を咲かせるだろう。竜だってバラの名前をいくつか覚えた。あの白はアイスバーグ。あの赤は……なんだっただろうか。
とにかく、きれいに咲くのは、知っている。
涯ももう小学二年生だ。立派に成長してくれよな、と、思っているし、きっとそうなるだろうと信じている。

ある日天堂家の前で一台のバイクが止まる。
チャイムの音がする。香が出る。書斎にいた竜を大声で呼ぶ。
そして竜は見る。
写真ばかり送ってよこしてきたあの男を。十年間そうやって、生きていることだけを知らせてきた男を。そんな、気まぐれこの上ない黒猫のような男を。
相変わらずブラウンのジャケットがよく似合う。ブルーのシャツもあの頃みたいだ。
だけれども。
記憶の中では年を取ることなんかないんじゃないかと錯覚していた男の眦には、あのころはなかった皺があって、彼が生きていてよかった、と思う。
お互いに生きてきた場所は違うけれども、同じ時間を生きてきたのだと実感する。
天堂竜は結城凱に大きく手を振る。
さあ、これから、話をしようか。

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