ことばという手段、その不確かさ

今のところメインのSNSとしているブルースカイのbioの最初は「嘘つきの見習い」だ。「ゆかいな嘘つき」とかでもよかったんだけど、なんとなく見習いにしている。嘘という概念に対する執着があるというか、自分は嘘つきだと思っている。というかほんとうのことを言ったって誰も聞いてくれないんだからせめてゆかいな嘘をつこうみたいな考えがずっとある。そうなるとこのテキストも嘘だということになる。クレタ人のパラドクスだ。

比較的ことばを使うのが得意な方なのだが、それはわたしがことばのことを信用していないからだと思う。信用していたら切り刻んだり何だりしないと思う。音韻に興味を持つことができないのに意味の連関もぐちゃぐちゃにしている。そうやっていくつかの言葉遊びを作っており、それは楽しいが、それが何になるのかはわかっていない。形式と意味に関連があるとうれしい。形式のために意味を曲げていき、それが言いたかったということにしてしまうことがある。

言いたいことなんて最初からなかったのかもしれない。

冗談めかしてなにかを言ってればほんとうのことを混ぜたって気付かれないのではないかという考えがずっとある。ぜんぶ嘘だよ。

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