I must be with you - 2/7

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他の誰にとっても何事でもないようなことに対して特別な意味を見出すことを運命と呼ぶならば、エリック・レーンシャーにとって、それは、運命だった。
ショーウィンドウの向こうの鞄が自分を呼んでいるように感じられたり、噴水のきらめきと若葉の交差に詩情を読み出したり。同じものを見ていても、みなと同じようには感じられない視界を持つことを運命と呼ぶのならば、運命でしかなかった。
もっとも、彼は必然と言うだろう。あるいは偶然と。自分がその視界を選び取っただなんて、あってよいことではないものだから。

雨だった。運命の訪れたのは。
都会の雨は空気を静かにするもので、それだけものごとを際立たせる。ニューヨーク、マンハッタン、世界で最も騒がしい都市のひとつでさえも、一ブロック先のクラクションの音さえもが手元に届くくらいに、静かだった。
あれから一週間が過ぎようとしていた。エリックは次に何をすべきなのか考えあぐねていた。フェニックスと呼ばれる高エネルギー体、それにまつわるいくつかの事件と、たくさんの戦いは、ひとりの死によって急速に終わりへと導かれた。『主犯格』の失踪で幕を下ろしたその事件は、人間とミュータント双方のコミュニティに影響を与えた。
そう、スコット・サマーズはどこにもいない。

すべてが終わって、アベンジャーズ側がもはや無力化されたサイクロプスを捕らえようとしたとき、それは起こった。時空が僅かに揺らめき、キャプテン・アメリカが手を伸ばそうとしたその瞬間、断絶が発生し、吸い込まれていくのを見た。
そして、ばちん、と、一瞬の炎だけを残して消え失せた。
エマ・フロストが地上に残る彼の痕跡を辿ったけれども見つからなかったのだという。というよりも、出力が安定しなさすぎて見つけようにも無理な状態だったという。フェニックスに関わったものたちはみな例外なく不安定さを抱えるようになった、と、いうのが、明らかになった最初のひとりであった。
指名手配になってはいるが、1人の人間を見つけ出すにはこの国はあまりにも広い。セレブロの安定稼働を行えるミュータントも、フェニックスの影響もあるのか、現在はいないようだった。
関係者に対するアベンジャーズ側からの事情聴取も終わり、エリックとしては特に答えることもなかったのだけども、ともかく自由にはなった。スコットの行方など、知るはずはないし、知っていたとしても答える義理はない。
だから行く場所がなくなってしまった。
用事がないのだからこの街を離れたっていいのだ。世界中にいくつかある隠れ家のひとつがマンハッタンにもあって、そこにいるけれども、かつての仲間たちと連絡を取って、今生まれつつある新たなミュータントたちに声を掛けて回ったっていいのだ。
一般のテレビでも報道されるくらいに、ミュータントが急増していた。今までが減り過ぎだったのだが。何年か前だったら、なんらかの手段で居場所を探り、仲間にする努力をしただろう。いくらだって仲間はいるのだ、協力して、ミュータントの未来をよりよくするために、悲願を叶えるために、はたらいていただろう。
驚くべき速さで日時は進み、どうでもいい生活を維持するために、生きてはいる。
とっくのとうに王に戻ろうと思うことはやめていた。我らが民は救われるべきであったけれども、救うべきであったけれども、即座に行動すべきであるとは、思えなくなっていた。

そう、雨だった。
冷たくも温かくもない雨だ。
エリックは傘を差していて、隠れ家に戻るところで、スーパーマーケットの袋を片手に、歩いていただけだった。近所のスーパーマーケットだ。高級でもなんでもない。大通りから路地を一本入ったところに、レンガ造りの入口がある。
入口までには三段ほどのコンクリートの階段があって、そこに、ひとが倒れていた。かろうじて衣服を纏っている、くらいの、男が地面に落ちていた。
この街で人間が倒れていることなんて、そう珍しいことではなかった。大都会にはよくあることで、田舎から出てきたものはまずこれらを無視する方法を学ぶのだ。エリックももちろんその作法を身に着けていた。何も見ないで歩くこと、それと同時に標識を見忘れないことを身に着けていた。
そうなのにもかかわらず、エリックは見てしまったのだ。
目が合った。そうとしか思えなかった。目の合ったものを簡単に無視できるような人間では、残念ながらなかった。
目が合ったというのは気のせいに違いない。もし、彼が、まぶたを開いたとしたら、エリックが無事に立っているわけなどないのだから。
ただの人間だったら無視もできたかもしれない。しかしその相手はミュータントなのだ。というよりは、ミュータントであり、かつ、知り合いだというようにしか、認識できなかった。
ここにいるべきではないひと、誰もが探しているひと、見つけたならば、然るべき機関に報告したほうがよいひと、それなのだ。
だけれども目が合ってしまったのだ。見てもいないのに、その存在はエリックの足を止めるには十分で、行動させるには十五分で、ほとんど無意識のうちに、彼に触れていた。脈をとる。生命活動のあることを確認する。周りに人間のいないことを目視する。彼の身体を担ぎ上げる。重たくはある、が、不可能ではない。

目が合ったというのは幻想でしかない。
だけれども。
エリックは確かに見たのだった。マカボニーの色を、その奥にある、炎のゆらめきを幻視する。世界を一時だけ手に入れて、まっさかさまに堕ちた、彼でしかなかった。

とりあえず部屋まで運び上げた。身体は雨と同じ温度をしていた。服を脱がせて、湯を沸かして、水を加えて温度を調整して、タオルに浸して身体を拭く。
外傷はさほどないようだった。
その辺に合った服を適当に着せて、とりあえずベッドに放り込む。部屋にひとつしかないベッドだ。保温性が申し分ないとはいえないが、羽毛布団ではある。
目に関してはどうしようか迷ったが、そのあたりにバイザーが落ちていたような気はしないので、とりあえず包帯を巻いておいた。危険は未然に防ぐに越したことはない。
彼はまだ眠っている。
これがスコット・サマーズでなかったらどうしようか。捨てればよいのだろうか。これがスコット・サマーズであったらどうしようか。
言葉はなにも出てこない。
ポットで湯を沸かす。コーヒーが飲みたかった。先ほどスーパーで買ったインスタントの粉をマグカップに入れる。ポットの口から蒸気が出る、沸騰したのを確認して、お湯を注ごうとしたところ、すみません、と、リビングの方から声がした。
間違いなくスコットの声であることが、残念なくらいに理解されてしまった。やはりそうだったのか、というか、ここまできて違ったらどうするつもりだったのか、あまり考えてはいなかったのだが。
ちょうどいいところだった、と、コーヒーをもう一杯分用意して、持っていく。温かい飲み物というのは冷えた体を温めるのに有用である。スコットは上体を起こして、目の包帯を確認しているようだった。

「目が覚めたか」
どういうつもりだ状況を説明しろよくもまあここを見つけたな今まで何をしていた、くらいのことは言いたかったのだが、スコットの発した言葉の前に、すべて消え失せてしまった。

「あなたが、プロフェッサー?」

マグカップの落ちる音がする。足元が熱くて、コーヒーはこぼれているのだろうから、掃除しなくてはならない、と、思う。

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